締付と脱力
ウェブ上では「各部の締付」は割愛し「全身の締付」については「基礎体位」としてご紹介します。
1.締付
筋肉の収縮を行い、身体を緊張させる行為である。原語は『bandha』は、「締める、閉める、固定する、結びつける」などを示している。その言葉通り、身体を「ぎゅう」と締め、全身を結びつけ固定する行為が締付である。一般的には「引き締め、バンダ」などとも訳されている。
ここでは独自に(教典に示されていない)、体位行法への準備段階として、各部の締付と全身の締付に分類し、紹介する。
- 各部の締付 …… 脚、腕、首、顔、眼の締付
- 全身の締付 …… 前屈、後屈、側屈、捻転、拳上の締付
これらは、ハタ・ヨガ修行の基礎をなしている。
1.締付と伸び
締付に伴い起こる緊張感覚は、伸び(欠伸も含む)に伴い起こるそれと同じであり、それは筋肉が「ぎゅううう」と緊張する快適な感覚である。
伸びとは、身体を緊張させた後に弛緩させることにより、滞った生気の流れを取り戻そうとする生体反応であり、元来生体に備わっている身体調整である。
2.締付と快苦
締付と快感:調和感(合理)
部分と部分が強力し合い、全身が調和して力が入るとき、どこにも苦痛感、不快感、違和感などといった感覚はまったく起こらず、快適な感覚が起こる。その快適な感覚は、ピタリと嵌った調和感、適合感、一致感などという表現が当て嵌まる。
例えるならそれは、全指を同時に「ぎゅう」と握るときや、口と目を同時に「ぎゅう」と閉じるときの感覚である。
締付と苦痛:衝突感(無理)
部分と部分が阻害し合い、全身が衝突して力を入れるとき、どこにもピタリと嵌った調和感、適合感、一致感などといった感覚はまったく起こらず、苦痛な感覚が起こる。その苦痛な感覚は、嵌りきらない衝突感、窮屈感、頑張り感、しんどい感などという表現が当て嵌まる。
例えるならそれは、小指を伸ばしたまま拳を「ぎゅう」と握るときや、口を開いたまま目を「ぎゅう」と閉じるとき、あるいは目を開いたまま口を「んむう」と閉じるときの感覚である。
締付がピタリと極まらないとき(快適な伸びが起こらないとき)とは、無理な身体の使い方(力の入れ方、形体)をしているときである。それを指針にすれば、無理のない身体の使い方を体得できる。
3.締付と呼吸
締付の3過程
締付をより快適に、より効果的に行うためには、伸びと同様の呼吸に伴わせるべきである。主として次の3つの過程に分類できる。
- 吸息に伴わせ、適度に徐々に締付を「きゅう~~~」と強めていく
- 止息に伴わせ、適度に一層に締付を「ぎゅう~~~」と極めていく
- 呼息に伴わせ、適度に徐々に締付を「ほわぁ~~~」と緩めていく
※ 吸息は、吸い切らなくてもよい。締付が極まるかどうかが重要である。
※ 呼息は、声帯を緩めていく結果として起こるのであり、吐こうとはしないこと。
締付と止息と発声
締付を極めている最中は、止息が起こるか止息気味となる。何故なら、締付には声帯の締付も伴うためである。気息は吐く方へ流れようとするが、閉じた声帯に堰き止められているため、外に出ていきにくい状態にある。
また、伸びのときに「ゔ~~~~ん」などといった声と共に息が少し洩れるように、締付を極めている最中にも、実際に「ゔ~~~~ん」などと声が出るか、心の中で(ゔ~~~~ん)などと声が出るかのどちらかが適切である。そして締付を極めた後、声帯の隙間から息が洩れていく。このとき、口から息が出ていく場合には「あ"ぁぁ~~~」などと声が出るが、鼻から息が出ていく場合には「ゔ~~~~ん」などと声が出る。
2.脱力
脱力は、筋肉の収縮を止め、身体を弛緩させる非行為である。教典には、脱力に関することは、特に説かれてはいない。
1.脱力と溜息
脱力に伴い起こる弛緩感覚は、溜息に伴い起こるそれと同じであり、それは筋肉が「だらぁ~~~」と弛緩する快適な感覚である。
溜息とは、身体を緊張させた後(大きく息を吸った後、伸びをした後など)に弛緩させることにより、滞った生気の流れを取り戻そうとする生体反応であり、元来生体に備わっている身体調整作用である。
2.脱力と快苦
脱力と快感:調和感(合理)
部分と部分が強力し合い、全身が調和して力が抜けるとき、どこにも苦痛感、不快感、違和感などといった感覚はまったく起こらず、快適な感覚が起こる。その快適な感覚は、だらりと落ち込んだ調和感、適合感、一致感などという表現が当て嵌まる。
例えるならそれは、全指を同時に「だらり」と腑抜けさせるときや、口と目を同時に「だらり」と腑抜けさせるときの感覚である。
脱力と苦痛:衝突感(無理)
部分と部分が阻害し合い、全身が衝突して力が抜けきらないとき、どこにもだらりと嵌った調和感、適合感、一致感などといった感覚はまったく起こらず、苦痛な感覚が起こる。その苦痛な感覚は、イライラと浮ついた衝突感、窮屈感、頑張り感、しんどい感などという表現が当て嵌まる。
例えるならそれは、小指を伸ばしたまま、あるいは曲げたまま手を「だらり」と腑抜けさせるときや、口を開いたまま目を腑抜けさせるとき、あるいは目を開いたまま口を腑抜けさせるときの感覚である。
脱力がだらりと極まらないとき(快適な溜息が起こらないとき)とは、無理な身体の休め方(力の抜き方、形体)をしているときである。それを指針にすれば、無理のない身体の休め方を体得できる。
3.脱力と呼吸
脱力の3過程
脱力をより快適に、より効果的に行うためには、溜息と同様の呼吸に伴わせるべきである。主として次の3つの過程に分類できる。
- 吸息に伴わせ、適度に徐々に緊張が「ス――ふわぁ」と強まっていく
- 止息に伴わせ、適度に徐々に脱力が「だらぁ~~~」と強まっていく
- 呼息に伴わせ、適度に一層に脱力が「――――――」と極まっていく
※ 呼息は、吸息を止める結果として起こるのであり、吐こうとはしないこと。脱力が極まるかどうかが重要である。
※ 締付や脱力における呼吸は基本的に鼻呼吸であるが、呼息は口呼吸でもかまわない。ただし脱力では、鼻から吐く場合も、口から吐く場合も、空気音の「は」が発声されるときのように、声帯はより弛緩した形体が適切である。
脱力と止息と発声
脱力を極めている最中は、止息が起こるか止息気味となる。何故なら、脱力に伴い呼吸機能が停止するためである。気息は吐く方へも、吸う方にも流れようとせず、一時的に呼吸が静止したような状態にある。
また、溜息のときに「はぁ~~~~」などといった声と共に息が少し洩れるように、脱力を深めるときにも、実際に「はぁ~~~~」などと声が出るか、心の中で(はぁ~~~~)などと声が出るかのどちらかが適切である。このとき、口から息が出ていく場合には「はぁ~~~~」などと声が出るが、鼻から息が出ていく場合には「ふぅ~~~~」などの空気音声が出る。
<ひとつ>の方法
締付とは、筋肉を収縮する(力を入れる)行法であり、脱力とは、筋肉を収縮しない(力を入れない)行法である。故に、締付により脱力は進み、脱力により締付は進む。
即ち、締付と脱力は心身の制御により、心身を浄化し、調えようとする同じ<ひとつ>の行法の側面である。
純粋化:バランスを図る(均衡化)
ハタ・ヨガでは、締付/脱力などのように、心身に作用する相反する気質を意図的に操作することにより、激動質/停滞質への偏りを、純粋質に均すことがその要点である。純粋素直な生気の流れを堰き止めている要因である「両極への急激/緩慢な偏り、急性/慢性な偏り」などという不均衡状態を、「両極への適度な偏り、適切な偏り」などという均衡状態へ仕向け、純粋素直な生気の流れを取り戻すことである。
故に重要なのは、どちらか一方の行法に偏ることなく、バランスよく繰り返すことである。
締付と脱力とは、交互にバランスよく繰り返しすことにより、心気を停滞質に傾ける月気道と、心気を激動質に傾ける太陽気道への生気の流れを阻止し、心身を浄化し調える方法と言えるでしょう。
注意
※ 食前や排泄後の、心身がスッキリ軽快な状態であるときに実践すること
※ 身体を締付けず、心身がスッキリ軽快な状態となるものを着用すること