ハタ・ヨガの修行法(P29,30)

基礎

♨ まんぐーす爺さんの教説から習う

基礎が無ければ家屋は建てられぬ様に、基礎鍛練をせずして習得される技術など何一つとして無いじゃろう。家作りの基礎工事が、その後に建築されるすべてを支える土台である様に、様々な技術の基礎鍛練は、その後に習得されるすべてを支える土台なのじゃ。基礎工事を省いて建物を築くならばどうじゃろう。各部がまったく噛み合わず、余計に手間と時間を浪費する事に成るじゃろう。建物はぐらぐら揺ら揺ら、隙間は空き、雨、風、虫なども防げぬに違いない。基礎鍛練を省いて技術を習うもまた、散々な結果を生むだけじゃ。基礎鍛練が最も重要なのじゃ。そして基礎こそが心髄であり、奥義そのものなのじゃ。

ヨガへの道を進みゆく者は、基礎を固める事の重要性を自覚し、確固とした基礎を作る事に、十分な手間と時間ひまを掛けるが良いのじゃ。

♨ 幼稚さの卒業

ヨガにおける基礎とは、解放の必要性の確信、その熱望であり、「もう後戻りはしない!」などと言い切れる覚悟と言えるじゃろう。それはまた成熟し、実を落とし、妄想世界じんせいから離れる覚悟でもあるのじゃ。その基礎の無い者は、その基礎を固めるための基礎、つまり地盤から固めてゆくが良いのじゃ。その地盤とは、未熟さ、幼稚さから卒業し、成長してゆこうとする意志じゃ。

暗愚で思慮浅く主観的であり、故意にも不意にも他者を傷付け、意見うそを語り、盗み、無駄に付き合い、無駄に物を持つ事。陰気に沈み、陽気に浮かれ、粗略な行為に怠け、粗暴な行為に遊ぶ事。本当に大切で必要な物事に関心を向けず、本当は邪魔で不要な物事に関心を向ける事。本当に恐れるべきを恐れず、本当に求めるべきを求めず、本当に安らぐべきに安らがぬ事。それが幼稚さじゃ。

♨ 大人への成長

明晰で思慮深く客観的であり、他者を傷付けず、意見うそを語らず、盗まず、無駄に付き合わず、無駄に物を持たぬ事。陰気に沈む事無く、陽気に浮かれる事無く、粗略な行為に怠けず、粗暴な行為に遊ばぬ事。本当に大切で必要な物事に関心を向け、本当は邪魔で不要な物事に関心を向けぬ事。本当に恐れるべきを恐れ、本当に求めるべきを求め、本当に安らぐべきに安らぐ事。それが大人じゃ。

ところで、意見とは自分本意な妄想うそに過ぎぬ。主観に過ぎぬ意見は妄想ようちさをより深め、客観である事実は妄想ようちさを破る。故に意見を語る事は慎み、事実を語るのじゃ。もしも意見を語る必要がある時は、注意深く、謙虚であるべきじゃ。
事実ただしきに恐れる事など何も無い。恐れるべきは己に対する意見あやまりと、その意見あやまりに根差した臆病さ貪欲さ、即ち幼稚さじゃ。幼稚さから卒業するのじゃ。成長するのじゃ。成熟した大人に成るのじゃ。成長を助ける事は正しく、成長を妨げる事は誤りじゃ。覚悟を決め、揺らぐ事の無い確固とした姿勢で成長だけを望むのじゃ。後戻りは出来ぬ。今ここで、前を向き、一歩を踏み出すのみじゃ。


さあ、地盤から固めてゆきなさい。


基礎


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