2020-07-10

第4章 智慧(ヨガ)と行為の放棄

バガヴァッド・ギーター:至高者の詩


蛇足と判断した詩句は非表示にしてあります。

1.威光ある至高者が答える。

不滅の私はこのヨガを(太陽神)ヴィヴァスヴァットに説き、(太陽神)ヴィヴァスヴァットは(人類の祖先である)マヌに説き、(人類の祖先である)マヌは(その子供である)イクシュヴァークに説いたのです。

2.

このように伝承されてきたヨガを王族の仙聖たちは知っていました。(しかし)パランタパよ、悠久の時の流れによって、この地からヨガは失われてしまったのです。

※ アルジュナ

3.

今まさにこの太古のヨガが、私によってあなたのために説かれたのです。(これは)あなたが至高者を信愛しているということと、私の同胞ということによります。なぜならこれは最上の密事だからです。

※ バクティ:至高者への全託

4.アルジュナが答える。

(しかし、太陽神)ヴィヴァスヴァットの誕生が先であり、あなたの誕生は先ではありません。(にもかかわらず)あなたが最初に説かれたということを、私はどのように判断したらよいのでしょう。

5.威光ある至高者が答える。

アルジュナよ、私の幾多の誕生が(悠久の時とともに)過ぎさられました。そしてまたあなたもそうなのです。私はそれらすべての誕生を知っています。(しかし)あなたは知らないのです、パランパタよ。

6.(威光ある至高者が答える。)

生まれることなく存在しており滅することもない自己は、万象の統治者としても存在しています。私は己の自然性の上に立ち、自己幻術によって出現するのです。

※ イーシュワラ

7.

王バラタの息子※1よ、美徳※2の衰退が起こるとき、不徳の横行が起こるとき。そのとき私は自己を現すのです。

※1 アルジュナ ※2 ダルマ(法) ※3 アダルマ(非法)

8.

徳ある者たちの救済のために、また罪深い者たちの消失のために、美徳を樹立させるために、私は時代、時代に現れるのです。

9.

アルジュナよ、私の神聖な誕生と行為をこのように如実に知る者は、肉体を捨ててから再誕生に赴くことはなく、私に赴くのです。

10.

私のみを思い、私を拠り所とする多くの者たちは、智慧の苦行によって清められ、私の本性に連れていかれ、貪愛、恐怖、怒りに離れさられたのです。

11.

その者たちが(敬意を払って)私を求めるように、私もまたその者たちに敬意を払うのです。プリターの息子よ、その人たちは一斉に私の道の後に続くことでしょう。

12.

この地において行為の達成を望む者たちは神々を祭るものです。なぜなら人の世界において行為による達成は、(神々を祭ることによって)速やかに起こるからです。

13.

四姓は(人の)気質作用の差異に応じて私によって作られました。(私はその作成者でありながら)またその行為者でもあるのです。(しかしアルジュナよ、)あなたは不滅の非行為者である私を知りなさい。

※ 4つの種姓。聖職、王族、庶民、従僕

14.

「諸々の行為が私を汚すことはなく、行為において私の欲求はない」と、私を理解する者は諸々の行為に束縛されることはないのです。

15.

このような理解の上で、解放を求めた先達たちによっても行為は為されてきました。ですから、あなたは先達たちによって為されてきた行為を遂行しなさい。

16.

「行為とは何か? 非行為とは何か?」という論点に思索家たちもまた思索を止められます。私はあなたのためにその行為について明示します。(これを)理解したのなら、あなたは悲痛から解放されることでしょう。

17.

行為の性質とは見えにくく理解しがたいものです。(しかし)確固として、(為すべき)行為についても、(為すべきではない)悪行についても、(為していない)非行為についても覚られるべきです。

18.

行為のなかに非行為を、非行為のなかに行為を見ているだろう者。その者は(眠っている)人々のなかで覚めており、(私に)心意がつなぎ止められており、完全な行為を為す者です。

19.

すべての活動から愛欲の意思が除かれた者たちは、智慧の炎に行為を焼かれた者であり、覚者たちはその者を賢者と呼びます。

20.

行為の結果への囚われを捨てて、(結果の)支えなく常に満たされている者は、行為に携わっていてもなお、わずかも為してはいないのです。

21.

すべての所有が手放され、(結果への)期待なく、心の制御された自己は、肉体的な行為のみを為しいるのであり、(私欲によって)悪事に関わることはないのです。

22.

(意図することなく)自然に得られたものに満たされ、嫉妬を離れ、相対観念に過ぎさられて達成非達成を同一視する者は、行為を為そうとも(行為に)束縛されることはないのです。

23.

(行為の結果への)執着に去られて(行為の)束縛から解放され、智慧の心が確立し、私欲のない行為を遂行している者にとって、(精神的な)行為は完全に消滅しています。

※ 原文は「祭儀のために」

24.

根本※1は(祭火に供物を)投じるという行為であり、根本は(祭火に投じられる)供物であり、根本の祭火に、根本によって供物が捧げられています。

根本に到達したのなら、(人はこのようにすべてを根本として知覚する)根本行為三昧者※2となります。

※ ブラフマン(梵) ※2 ブラフマカルマサマーディナー

25.

あるヨガ行者たちは神への祭儀を囲みます。また他のヨガ行者たちは祭儀によって祭儀を(供物として)、根本の祭火に供えます。

26.

また他のヨガ行者たちは耳などの感覚器官を(供物として)、抑制の祭火に投じます。また他のヨガ行者たちは音などの感覚対象を(供物として)、静寂の祭火に投じます。

※ 原文は「感覚器官」

27.

また他のヨガ行者たちはすべての感覚作用、気息作用を(供物として)、智慧により燃え立つヨガの祭火に投じます。

28.

また他のヨガ行者たちは供物の祭儀、苦行の祭儀、ヨガの祭儀を為します。また誓願を遵守する修行者たちは、(聖典読誦の)自己学習による智慧の祭儀を為します。

29.

また他のヨガ行者たちは吸気に呼気を投じ、呼気に吸気を投じ、呼吸の流れを堰き止め(気息作用を制止へと導く)調気法に身を投じます。

30.

また他のヨガ行者たちは食事を節制し、生気に生気を投じます。


これらすべてのヨガ行者たちは祭儀を知り、祭儀によって(心の)汚れを滅ぼす者たちです。

31.

(結局最後は)祭儀に供えられた残りものである不死(の甘露)を食べる者たちが、永遠の根本※1に赴きます。


クルサッタマ※2よ、祭儀のない世界はありません。どうして他の世界があるでしょう。(世界は捧げ合うことによって成り立っているのです。)

※1 ブラフマン(梵) ※2 アルジュナ

32.

このように多種の祭儀が、根本の表面において繰り広げられており、これら(の祭儀)はすべて行為を因としていることを知りなさい。このように理解したのなら、あなたは(行為の)束縛から解放されることでしょう。

33.

(行為を捧げる)智慧の祭儀は、(供物を捧げる)物質的な祭儀より優れています。妃プリターの息子よ、(異なって見える)すべての行為は分け隔てなく、(結局最後は)智慧において完成するのです。

34.

あなたは(智慧ある者に)ひれ伏すことによって、質問することによって、奉仕することによって、それを知りなさい。本質を知る智慧者たちは、あなたに智慧を教示することでしょう。

35.

王パーンドゥの息子よ、(智慧を)知ったのならあなたは、再び今のように誤謬に陥ることはないでしょう。あなたは万象を余すことなく自己のなかに見ながら、私のなかにも見ていることでしょう。

※ アルジュナ

36.

仮にあなたがすべての犯罪者のなかで最も罪深い者であろうと、智慧の船をもってするのならすべての罪悪(の川)を渡ることでしょう。

37.

あたかも炎が薪を燃やして灰とするかのようにアルジュナよ、智慧の炎はすべての行為を灰にするのです。

38.

智慧によるものと同じような浄化道具などこの世界にありはしません。(克己し)自身でヨガを達成した者は、(精神的な行為の)死をもってしてそれを自己のなかに見出すことでしょう。

39.

信心あり、感覚器官の制御を重視する者は智慧に遭遇するものです。(そして)智慧に遭遇したのならすかさず、最上の寂静に到達することでしょう。

40.

理解も信心もなく疑心ある自己は(苦しみのなかに自己を)失うものです。疑心ある自己が安らぐことは、現世でも来世でもありはしないのです。

※ ジュニャーナ

41.

ヨガによって行為を放棄された者、智慧によって疑心を切断された者、(自己によって行為を)自制する者。ダナンジャヤよ、その者たちは諸々の行為に束縛されていないのです。

42.

ですから、無智から生じた自己の心中に立つこの疑心を、智慧の剣によって切断し、王バラタの息子よ、あなたはヨガの上に立ちなさい。あなたはヨガに立ち上がりなさい。

※ アルジュナ


第4章 解説

「智慧(ヨガ)と行為の放棄」と題されているように、智慧(ヨガ)と行為の放棄について、クリシュナが説明しています。ここでの「智慧」の原語は『jñāna(ジュニャーナ)』であり「知識、真智、理解力」などを示しています。第4章は、理論家にとっての智慧ヨガの教えであり、それは「行為を放棄するとはどういったことなのか? 行為とは? 非行為とは?」などを理論的に理解しなさいというところが要点と言えるでしょうか。

要点

アルジュナよ、あなたは未だにこの私をこの紺碧色の身体であると信じています。繰り返しますが、私は不生不滅の魂であり、誕生してもいなければ死ぬこともないのです。もちろんこの身体はやがて朽ちるでしょう。しかし、それが何だというのでしょう? そのような些細なことが私に影響を与えることはまったくないと知りなさい。

この身体が私であると盲信しているあなたにとっては、あたかも私が語っているかのように知覚されていることでしょう。しかし実際には、私は何ひとつ語ってなどいませんし、あなたもまたそうなのです。自己は行為者ではないからです。すべての行為は自然の気質により自ずから為されていることを思い出しなさい。

①行為とは自然の気質による作用です。あなたはその身体に王族としての義務を果たさせなさい。②悪行とは「私は行為者である」という盲信に基づき、定められた義務とは無関係に損得、成功失敗などの結果を求める意図的な行為であり「貪愛」と「憎悪」によるものです。③非行為とは「私は何も為していない」という智慧の立場から為されている行為です。

あなたは非行為者として在るそのために、万象のなかで意識が現れては消えるのではなく、意識のなかで万象が現れては消えるという明白な事実を理解しなさい。不滅の魂である真の自己とは純粋な"気づき"であり、私は意識のなかで現れては消える想念でも、想念に形成された身体でもないのです。アルジュナよ、ヨガという智慧の炎によって偽りの行為者を燃やし尽くしなさい。


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