2020-07-??

第3章 行為(ヨガ)

バガヴァッド・ギーター:至高者の詩


蛇足と判断した詩句は非表示にしてあります。また、原文の順番通りだと前後の脈絡が整然としていない箇所がありましたので、番号はそのままに順番を変更しています。

1.アルジュナが答える。

ジャナールダ※1よ、あなたは知見は行為より優れていると承認されているのに、どうして恐るべき行為のなかに私をつなぎ止めるのでしょう?(なぜなのですか)ケーシャバ※2よ。

※1・2 クリシュナ

2.

あなたは混じりあう言葉をもってして、私の知見を混乱させているかのようです。ですからどうか、一貫性を確実にして話してくだされよ。それによって私がより優れたところに到達できるように。

3.威光ある至高者が答える。

アナガ※1よ、先に私によって、世界における2種類の(悲痛を)終焉(する方法)が説かれました。理論家にとっての智慧ヨガ※2によるものと、ヨガ行者にとっての行為ヨガ※3によるものとです。


(今一度言います。行為ヨガとは、行為の成熟であり、それは「行為の放棄」を示しています。)

※1 アルジュナ ※2 ジュニャーナ・ヨガ ※3 カルマ・ヨガ

4.

(しかしここで勘違いをしてはいけません。)行為に着手しないことによって、人が行為の放棄を達成するわけではないのです。そしてまた俗世を放棄することによって、(放棄の)達成に近づくわけではないのです。

※ プルシャ

5.

事実として、誰も、一瞬でさえも、行為をすることなく立ち止まったままではいられないものです。なぜならすべての人は、自然※1の気質※2によって自ら欲していない行為をさせられているからです。

※1 プラクリティ(自性) ※2 グナ(質)

6.

運動器官を制御して立ち止まる者も、思惟器官によって(対象が)想起していることでしょう。(このように)感覚器官の対象に惑わされた(行為者としての)自己は「偽善者」と言われています。

7.

しかしアルジュナよ、思惟器官によって感覚器官を支配して捕まえ、運動器官によって(結果に囚われることなく定められた義務を遂行する)行為ヨガをし、(行為に)束縛されていないその者は(「善人」と言われ)より優れています。

※ ダルマ(法)

33.

また、自然※1の智慧※2を有する賢者も、自身の手足を適切に動かします。万象は自然に動くものであり、(定められた自分の義務を)抑止することが何になるでしょう? 

※1 プラクリティ(自性) ※2 ジュニャーナ

35.

他者の義務を引き受けて十分に遂行された行為より、自分の義務から遂行された欠陥ある行為の方が優れています。


自分の義務のなかで果てることは(他者の義務のなかで生きる)より優れています。他者の義務(のなかで生きること)は不安をもたらすことでしょう。

※ ダルマ(法)

8.

あなたは定められた行為をしなさい。事実として、行為をしないことより行為をすることの方が優れているのです。そしてまた行為をしないのなら、あなたの(その)肉体を維持することさえも成立しないことでしょう。

9.

この世界における行為は、祭儀を動機とした行為を除いては束縛です。妃クンティーの息子よ、あなたはソレを動機とした執着から解放された行為を遂行しなさい。

※ アルジュナ

10.

かつて創造主は、祭儀とともに人々を造ると言いました。「汝らはコレをもって子孫を得よ。汝らにとってコレが願望成就の牝牛である。

11.

コレをもって、汝らは神々を繁栄させよ。神々は人々を繁栄させよ。互いに繁栄させ合っているならば、汝らはより優れた最高の状態を手にするであろう」(と。)

12.

(ですから)祭儀によって鼓舞された神々は、あなたたちに求められた享楽を(あなたたちに)与えることでしょう。(しかし)神々に与えることなく神々から与えられたものを享受する者は、まさに泥棒なのです。

13.

祭儀に供えられた残りものを食べる善人は、すべての罪から解放されます。しかし、自分のために料理をこしらえる悪人は罪を食べることでしょう。

14.

生きものは食べものによって生じ、食べものは雨によって生じ、雨は祭儀から生じ、祭儀は行為から生じ、

15.

行為は根本から生じます。ですから不滅の根本は(万象の)源泉であり、万象に充満している根本は、常に祭儀において確証されてきたと知りなさい。

※ ブラフマン(梵)

16.

妃プリターの息子よ、このようにこの地で回転させられた車輪に回転させられ続けない者、(定められた運命に歯向かい)感覚を楽しむ悪意ある者は無駄に生きることになるでしょう。

17.

しかし、(外側に現れる感覚ではなく、内奥に在る)自己を楽しみ、自己によって満たされ、自己のなかで満たされた者にとって、為されるべきことはありません。

※ アートマン(真我)

18.

その者にとっては、この地で為されたことによる利得、為されなかったことによる損失は何もないのです。またその者にとっては、すべての物事のなかに拠り所となるものは何もないのです。

19.

ですから、(損得の結果に)囚われることなく、いつのときも為されるべき(定められた)行為を遂行しなさい。事実、(損得の結果に)囚われることなく(定められた)行為を行なっている人※1は、至上の存在(である真の自己※2)に到達します。

※1 プルシャ ※2 アートマン(真我)

20.

(かの)ジャナカ王なども、(定められた)行為によって達成まで連れていかれたのです。また同時に、世の人々を維持することを考えてもなお、あなたが為すことには価値があるのです。

21.

様々に異なる人々の誰もかれもが近接する最良の者は、規範となる行為を遂行する者です。この世の人々はその者の後に続くことでしょう。

22.

妃プリターの息子よ、私には三界において達成されるべきことなど何もありはしません。また、行為において得られなかったことや得られるであろうことに、私が関与することはないのです。

※ アルジュナ

23.

なぜならもしも私が行為において(得られなかったことや得られるであろうことに)関与することなく、まったく臆することがないのなら、妃プリターの息子よ、人々は一斉に私の道の後に続くことでしょう。

※ アルジュナ

24.

もしも私が(そのような)行為を遂行しないのなら、世の人々は破滅することでしょう。そして私は混乱の創造者となり、私はこれらの創造物を破滅させることになるでしょう。

25.

王バラタの息子※1よ、無明※2な者たちはあたかも(自分たちが行為を)遂行しているかのように行為に夢中になっていますが、(行為に)夢中になっていない智者は、世界を維持することを願って(行為を)遂行していることでしょう。

※1 アルジュナ ※2 智慧の欠如

26.

(また動揺なく、心意が)つなぎ止められた智者は、行為に夢中になっている愚かな者たちに、知見の混乱を起こさせることはしないでしょうし、その者たちにすべての行為を喜びをもって遂行させるための活動をしていることでしょう。

27.

自然の為している作用は、完全に気質によります。(にもかかわらず)偽我に惑わされた(偽我当人である)自己は、「私は行為者である」と考えています。 

※ アハンカーラ:心に形成される自己観念。自我

28.

しかしマハーバーフよ、気質による作用との分離のなかで(自己の)本質を知っている者は、「気質は気質のなかで関与している」と考え、(行為に)夢中になっていません。


(つまり「私は気質に関与していない。行為は気質に為されるのであり私が為しているのではない。私は行為者ではない」と知っているのです。)

※ アルジュナ

29.

自然の気質に惑わされた者たちが、(あたかも自分が行為をしているかのように)気質による行為に夢中になるのです。(しかし、このように)知識が不完全で鈍い者たちを、知識が完全な者が(本当のことを伝えることによって)動揺させることはないでしょう。


(なぜなら本当の教えとは、伝えられても動揺と混乱を招くことのない者、教えを理解できる者にこそ、伝えられるものだからです。)

36.アルジュナが答える。

(ところで)ヴリシュニの子孫よ、あたかも軍隊に命令されているかのように、人は何に強いられて望みもしない悪事に動くのでしょう。

※ クリシュナ

37.威光ある至高者※1が答える。

それが愛欲であり、それが怒りであり、(自然の)激動性※2の気質から起こるものであり、大食漢の大悪党です。この地ではそれこそが敵であると知りなさい。

※1 クリシュナ ※2 ラジャス

34.

感覚器官からの感覚を標的にして(愛欲を生む)貪愛 ※1と(怒りを生む)憎悪※2は成り立っています。この2つこそが、あなたにとっての敵なのですから、両者の支配を受けるべきではありません。

※1 ラーガ:快楽への愛好 ※ ドヴェーシャ:苦痛への嫌悪

38.

あたかも煙に火が覆われているかのように、汚れに鏡が覆われているかのように、また羊膜に胎児が覆われているかのように、同じようにそれによって智慧は覆われているのです。

※ ジュニャーナ

39.

妃クンティーの息子※1よ、智者※2の智慧※3は常に、満たしがたい愛欲印象の敵に覆われているのです。

※1 アルジュナ ※2 ジュニャーニ ※3 ジュニャーナ

40.

感覚、思惟、知覚は、この(敵にとっての)居場所であると言われています。これらが智慧を覆って人を惑わせているのです。

42.

(人において)感覚はより上位であり、感覚より思惟がより上位であると言われていますが、思惟より知覚がさらに上位にあります。しかしながら(真の智慧、真の自己である)ソレは、知覚を遥かに超えたものです。

41.

ですからバラタルシャバ※1よ、あなたはまず初めに感覚を制止して(無感覚に、次に思惟を制止して無念無想に、最後に知覚を制止して無知覚に至ることによって)、智慧※2と識別智※3を破壊するこの悪魔を打ち倒しなさい。

※1 アルジュナ ※2 ジュニャーナ:真智 ※3 ヴィジュニャーナ:真偽を識別する智慧

43.

このようにマハーバーフよ、自己によって自己(の感覚、思惟、知覚)を抑止し、知覚より上位のものに目覚め、倒しがたい愛欲印象の敵を打ちなさい。

30.

私のなかにすべての行為を放り投げて、自己に向かった意志を抱くことによって、私欲をなくして、私心をなくして、悲痛に離れ去られるまで(敵と)戦いなさい。

※ アートマン(真我)

31.

私のこの見解を信じ、不服を唱えることなく常に従う者たちもまた、行為によって(行為の束縛から)解放されるでしょう。 

32.

しかし、私のこの見解に従うことのなく非難する者たちは、すべての知識に惑わされた者たちであり、廃れた者たちであり、意志のない者たちであると知りなさい。

※ ジュニャーナ


第3章 解説

「行為(ヨガ)」と題されているように、行為ヨガについて、クリシュナが説明しています。第3章は、アルジュナにとってクリシュナの説いた「行為を放棄して平等知見を手にしなさい」という指示と、「義務である戦いを遂行しなさい」という指示とが矛盾しているようにしか思えず、混乱をしているところから始まります。

要点
行為の放棄とは、行為に着手しないことではなく、定められた義務を囚われることなく遂行することです。先に話しましたが、善不善の差別知見を棄てて、どのような行為であろうと、またどのような結果であろうと、まったく執着することなく行為すること。それが平等知見を手にするための行為の放棄です。混乱は解消されましたね?

ところで、万象は自然の気質によって作用しています。多くの人は、太陽、月、風、雨などは自然の気質によって作用していることを認めていても、行為は自分が為していると考えています。不思議なことです。しかしもちろん、人の行為も例外ではありません。

つまり人の行為もまた、自然の気質によって為されています。ここで「あなたは何も為していない。あなたは行為者ではない」と言っているのです。事実としてどこにも行為者は存在していません。ただ「私は行為者である」とする誤った知見が、自然の気質によって作用しているだけなのです。

ですから実のところ、行為を放棄するという問題ではないのです。なぜなら元々あなたは行為者ではないからです。つまり「行為の放棄」とは「私は行為者である」という誤謬を棄てることであり、あるいは先に話したように「差別知見」という誤謬を棄てることに他ならないのです。

さてここで。「誤謬を放棄しなさい」と言われて、私の見解に素直に従い、誤謬を放棄する者は非常に稀です。なぜなら、人を誤謬、妄信につなぎ止めている強力な"敵"がいるからです。それが「貪愛」と「憎悪」です。そしてまたこの敵の居場所は「感覚、思惟、知覚」です。

ですからこの"敵"を滅尽するためには、あなたは「感覚対象、思惟対象、知覚対象」への関心を棄てさり、自己への熱烈な意志を抱きソコに心を留めることによって、下位の感覚を制止し、次に中位の思惟を制止し、最後に上位の知覚を制止し、彼方なる真の智慧、真の自己に到達する必要があります。

今一度言葉を変えて説明しおきましょう。行為者としてのあなたに、感受作用の停止が訪れ、想起作用の停止が訪れ、そして終に認識作用の停止が訪れたとき、そのとき「貪愛、憎悪、誤謬」を形成していた形成作用は壊滅し、行為者としてのあなたもまた崩壊し、万象の源泉・根本としてのあなたに至ります。これこそが悲痛の終焉です。

また、このような私の見解を信じることができるのなら、それだけであなたはソコへ至ることを達成するでしょう。しかし今話した通り、大抵の者は自分の誤謬を放棄することができず、「そんなバカげた話が信じられるか! 狂気の沙汰としか思えない! オレはオレが信じる道を行く!」などと敵である貪愛と憎悪に従ってしまい、私の言葉に"憎悪"を抱くものです。

しかし理由はそれだけではありません。実に、この誤謬こそが自分を形成しているからです。この自分という闇に覆われている者にとっては、妄信を信じないことは自分を失うことと同じであり、それを怖れている訳です。それでも、心が成熟し、智慧が芽生えている者にとって私の言葉は、まったく正気の沙汰であり、この上なく尊ぶべき言葉として受け入れられることでしょう。


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