第12章 信愛
「信愛」と題されているように、至高者への信愛の大切さについて、クリシュナが説明しています。ここでの「信愛」の原語は『bhakti(バクティ)』であり「絶対者への絶対的服従、献身、帰依、帰命」を示しています。
あらすじ
アルジュナが、常にあなたに堅固につなぎ止められている信愛者と、不滅の非顕現の崇拝者のどちらがよりヨガを知る者なのかを問います。
クリシュナが「どちらも私のもとに来るが、常に私につなぎ止められている信愛者たちはより安らかに、非顕現を崇拝する崇拝者たちはより苦労する」と答えます。
そして「もしも心を私に留めることが難しいのなら、修習のヨガを実践し、それも難しいのなら、私のために行為を捧げなさい。それも難しいのなら、行為の結果を放棄しなさい」と助言します。
私心なく、私なく、慈悲あり、堅忍あり、すべての生きものに敵意を抱かず、自制あり、私に思惟器官と知覚器官を留める決意をし、願望なく満足あり清純、静寂、住居なく、
「寒暑苦楽、敵味方、毀誉褒貶、名誉不名誉」のどちらか一方に執着することなく、両極を同等に見て中立、期待なく喜び楽しみを求めず、恐怖なく苦しみ悲しみを避けず、結果を求める一方的な意図的行為を放棄し、
そして「堅固に私を信愛するヨガ行者は、私のもとに来る」と説きます。