2020-06-17

第2章 理論(とヨガ)

バガヴァッド・ギーター:至高者の詩


1.サンジャヤが報告する。
このように、涙に満ちた目を落とし、悲しみに沈みこんだ彼に、マドゥスーダナが申しております。
※ クリシュナ

2.威光ある至高者※1が答える。

(この)難事のなか、どうしてその不甲斐なさがあなたに起ったのでしょう。


アルジュナよ、(そのような態度は)アーリア人ではない部族が望むものであり、天界へ導くこともなく、不名誉をもたらすものです。

※1 クリシュナ ※2 勝利の栄光を誇る部族

3.

気弱になってはいけません。あなたにそれはふさわしくありません。妃プリターの息子よ、恥ずべき心の弱さを捨てて、(さあ)立ち上がりなさい!

※ アルジュナ

4.アルジュナが答える。

マドゥスーダナよ、どうして私が戦いの場で、尊敬している(大叔父)ビーシュマ司令官、そして(弓術の我が師匠)ドローナ軍師のお2人に、矢を向けて対立できるでしょう。

※ クリシュナ

5.

間違いなく、高徳で尊敬すべき師たちを殺すことより、この地で物乞いをして食べることの方が優れているでしょう。富を愛する師たちを殺したなら、この地で私は血に染まった享楽を食べることでしょう。

6.

私たちが勝つべきなのか、あるいは私たちに彼らが勝つべきなのか、そして私たちにとってどちらがより重要なのか。私たちはこれらのことを知りません。


(それでもやはり)私たちは、彼らを殺してまで生きたいなどとは願っていないのです。(そんな心境のさなか)目の前に、彼らドリタラーシュトラの一族が立ち並んでいるのです。

7.

哀れな情けなさに本来の在り方をダメにされ、心は混乱しています。私はあなたに「美徳」をお尋ねします。


どちらがより優れているか!? (どうか)私のために、このことにハッキリとお答えくだされ。私はあなたの弟子です。あなたのおみ足にひざま付く私に、(どうか)ご教示くだされよ!

8.

私の活力を干上がらせているこの悲しみを追い払おうにも、私には(その手立てが)どうしても分からないのです。


地上で比類のない富を得ようと、さらに神々の王国で主権を握ろうとも(私には分からないでしょう)。


9.サンジャヤが報告する。
グダーケーシャ※1は、フリシーケーシャ※2にこのように申しました。(そしてその後)「私が戦うことはないでしょう」とゴーヴィンダ※3に告げてからは、彼奴は沈黙しております。
※1 アルジュナ ※2・3 クリシュナ

10.
バラタの子孫(ドリタラーシュトラ王)よ、両軍の間で失望している彼奴に、フリシーケーシャは、この言葉を告げました。
※ クリシュナ

11.威光ある至高者が答える。

あなたは、あなたが悲しむべきではない人々に対して悲しみ、あなたは智慧のない言葉を語っています。(智慧のある)賢者は、死んだ者たちや生きている者たちに対して悲しむことはないものです。

※ クリシュナ

12.

事実として私は、これまでに存在しなかったことは決してないのです。あなたもまたなく、彼ら王たちもまたないのです。そしてまた事実として私たちすべては、これからも存在しなくなることは(決して)ないのです。

13.

ここにおける身体としての意識にとっては、あたかも少年期、青年期、老年期があるかのように見えるでしょう。(身体を離れた後も)同じように、あたかも他の身体を手に入れるかのように見えるでしょう。


(しかし)賢者は、そのことに惑わされることはありません。

14.

そして妃クンティーの息子※1よ、感覚対象※2との接触は、寒暑、苦楽をもたらし、現れては消えさる非常在※3なものです。それらに耐え忍びなさい、バラタの子孫※3よ。

※1・3 アルジュナ ※2 マートラー:要素、物質 ※3 アニッチャ:無常

15.

(しかし)プルシャルシャバよ、苦楽を同一と見なす賢者がそれらに惑わされることは決してないのです。彼は「不死の者」(と呼ぶに)に値しています。

※ アルジュナ

16.

存在ではないものから存在性が生じることはなく、存在であるものから存在性が失われることはないのです。(非存在は現れては消えるものであり、存在は現れも消えもしない常在のものであり、それは不生不滅です。)


これら(存在と非存在)の2つの本質を見る人々によって、(苦楽)両者の終局は見られてきました。

17.

このすべてに充満されているソレ(として在ること)によって、不滅のソレを知りなさい。この不滅を破壊することは誰にもできません。

18.

常在する魂※1は不滅で無限であり、これらの身体は有限であると言われています。ですから戦いなさい、バラタの子孫※2よ。

※1 プルシャ ※2 アルジュナ

19.

(不滅の)ソレを殺害者であると思う者、またソレが殺害されたと信じる者。両者はどちらも、ソレが殺すことも殺されることもないことを知らないのです。

20.

ソレはあるとき生まれ、あるとき死ぬということもないのです。ソレは新たに生まれることもなければ、(死んだ)後に新たに生まれることもないのです。


太古の初めからあるソレは不生、常在、永遠であり、身体が殺されようとも、ソレが殺されることはないのです。

21.

不生にして不変であり、常在にして不滅であるソレを知る者。妃プリターの息子よ、どうしてその者が、誰かを殺させたり、誰かを殺したりするでしょう。

※ アルジュナ

22.

あたかも使い古した衣服を脱ぎ捨て、新しい他の衣服を手に取るかのように、あたかも意識は使い古した身体を脱ぎ捨て、新しい別の身体と一緒になるかのようです。


(しかしソレ自体は決して、生まれも死にもしていないのです。)

※ アルジュナ

23.

刀がソレを切ることはななく、火がソレを焼くはないのです。そして水がソレを濡らすこともなく、風が(ソレを)乾かすこともないのです。

24.

ソレが切られることはなく、ソレが焼かれることはないのです。そして濡らされることもなく、乾かされることもないのです。


常在にしてすべてに行き渡っている堅固なソレは、不動にして永遠なのです。

25.

ソレは現れることがなく、ソレは考えることができず、ソレは変わることがないと言われています。ですから、ソレについてこのように知ったのなら、(今後)あなたは悲しむべきではありません。

26.

また、もしもソレを常に生まれてくるもの、あるいは常に死んでしまうものと信じるとしても。たとえそうであろうとマハーバーフよ、あなたはそれを悲しむべきではないのです。

※ アルジュナ

27.

事実として、生まれたものにとっては死ぬことが定められており、そしてまた死んだものにとっては生まれることが定められています。


ですから(このような)不可避のことのために、あなたは悲しむべきではないのです。

28.

バラタの子孫よ、生まれるものとは最初には現れておらず、中間に現れており、最後には現れていないものです。そこにどうして悲痛があるでしょう。

29.

ある誰かは稀有にもソレを見ることでしょう。また同じように、別の(誰か)は稀有にもソレを語ることでしょう。そしてまた別の(誰か)は稀有にもソレを聞くことでしょう。


しかしある誰かは(ソレを)聞いたとしても、(平凡にも)ソレを知ることはないでしょう。

30.

バラタの子孫よ、すべての身体において、この意識はいつであろうと殺されることができないのです。ですからすべての現象に対して、あなたは悲しむべきではないのです。

※ アルジュナ

31.

さらにまた、自分の美徳を考慮しても、あなたは身を震わせるべきではないのです。事実、王族にとっては戦いよりも優れた美徳など他にありはしないのです。

32.

(あなたは今)企てることなく開かれた天国の門に辿り着いたのです。妃プリターの息子よ、幸福な王族こそがそのような戦いに遭遇するのです。

※ アルジュナ

33.

しかしもしもあなたがこの美徳の戦いを遂行しないのなら、そのとき自分の美徳と名誉とを捨てて、あなたは罪を被るでしょう。

34.

そして人々は、あなたの廃れることのない不名誉を語るでしょう。名高い者にとっての不名誉とは、(負けて)死ぬことよりもさらに残念なことでしょう。

35.

あなたは戦いへの恐れから撤退したのだと、大戦士たちは見なすことでしょう。あなたは彼らの尊敬を多く受けていたのに、後には軽蔑されることになるでしょう。

36.

そしてあなたの敵たちは、あなたの能力を非難しながら口にするべきではない多くの言葉を語るでしょう。それにはどれほどの苦しみがあることでしょう。

37.

殺されたとしてもあなたは天国を手にし、勝利したとしてもあなたは王国を受けとるのです。ですから妃クンティーの息子よ、戦う意を決して立ち上がりなさい。

※ アルジュナ

38.

苦楽、得失、勝敗を同一と見なし、その上で戦いに心意をつなぎ止めなさい。このようにしてあなたは、罪を被らなくなるでしょう。

39.

(ここまでは)理論における知見、これがあなたに語られてきました。それに対し、(ここからは)ヨガ※1における知見、これをあなたは聞きなさい。


(ヨガにおける)知見につながることによって、妃プリターの息子※2よ、それによってあなたは行為の束縛を投げ捨てることでしょう。

※1 実践 ※2 アルジュナ

40.

ここにおける取組は、消失することはありませんし、後退することもありません。わずかであろうとこの真理(の知見)は、ひとかたならぬ恐怖から(あなたを)救うことでしょう。

41.

クルの子孫よ、ここにおいては確実性を有する知見が唯一(真理の知見)なのです。確実性を欠いた者たちの知見は多岐にわたるため、(その確立に)果てがないからです。

※ アルジュナ

42.

妃プリターの息子※1よ、思慮分別のない者は「(使い道は)他にありはしない」と言って、聖典※2に関する議論を楽しみ、その華やいだ歌を詠みあげることでしょう。

※1 アルジュナ ※2 ヴェーダ

43.

愛欲(を満たすこと)は最奥の天国であると(信じて)夢中になるのなら、(そのような)行為の結果は、再誕生を引き起こすものです。


(そのような者は聖典にある)おびただしく多様な儀式に頼り、享楽と権力(を手にする道)へと向かうことでしょう。

44.

享楽と権力に夢中になることによって心を奪われてしまったのなら、確実性を有する知見が、三昧のなかで得られることはないのです。

※ 無知覚(無認識)

45.

知覚は三気質を対象としています。アルジュナよ、あなたは(対象である)三気質ではないものとして在りなさい。


2極として知覚されている両極を同一と見直し、常に(平等に照らし見る)純粋質に留まり、獲得や所有の憂いから放たれた自己として在りなさい。

※ グナ ①サットヴァ:純粋質・照明性 ②ラジャス:激動質・歪曲性 ③タマス:停滞質・隠覆性

46.

井戸からどれほど多量な清水を得ようと、すべてが清水に覆われた土地にとってその清水は役に立たないように、聖典からどれほど多量な言葉を得ようと、すべてを理解している聖職者にとってその言葉は役に立ちません。


(ですから、単なる対象に過ぎない聖典の言葉を棄てて、対象を平等に照らし観る者として在りなさい。)

※ ブラフミン(波羅門)

47.

(また、)あなたの権限を行為に使いなさい。(あなたの権限を)結果に使ってはいけません。行為の結果を動機としてはいけないということです。(そしてまた)あなたの執着が行為しないことにあってもいけません。

48.

ダナンジャヤよ、ヨガとは「平等(に見ること)」と言われているのです。成功と不成功に対して平等となって(結果に対する)執着を離れ、ヨガの立場から行為しなさい。

※ アルジュナ

49.

結果を動機とした行為は哀れなことです。事実として行為とは、(平等)知見のヨガより遥かに劣るものだからです。(ですから)ダナンジャヤよ、(平等)知見に救済所を見つけだしなさい。

※ アルジュナ

50.

ヨガとは、行為における成熟(「行為の放棄/行為への無関心」)なのです。(平等)知見が備えられた者は、ここで善行と不善行のどちら(の行為)も棄てます。


そのためにあなたはヨガ(の立場)に心意をつなぎ止めなさい。

51.

(平等)知見が備えられた思慮ある者は、行為から起こる結果を棄てて、再誕生の束縛から解放された煩いのない境地に赴きます。

52.

(平等)知見が、あなたの誤謬による混乱を吹き飛ばすとき、そのときあなたは、これから聞くだろうことと、これまでに聞いたことに対して無関心となることでしょう。

※ 誤った知見、妄信

53.

(聖典の言葉を)聞くことで惑わされたあなたの知見は、(心の)動揺が失せた三昧において知覚が不動(の無知覚)となるとき確立するでしょう。あなたがヨガを手にするのはそのときです。

※ 無知覚(無認識)

54.アルジュナが答える。

ケーシャヴァよ、三昧の確立者、智慧の確立者の定義は何なのでしょうか? (惑わされることのない)思慮の確立者は、どのように話そうとし、どのように休もうとし、どのように動こうとするのでしょうか?

※ クリシュナ

55.威光ある至高者※1が答える。

妃プリターの息子※2よ、(最奥なる)自己※3において自己によって満たされ、すべての意向が失われ愛欲を棄てさるとき、そのときその者は「智慧の確立者」と言われます。

※ クリシュナ ※2 アルジュナ ※3 アートマン(真我)

56.

(不幸な)苦しみにおいて意向が動揺することなく、(幸福な)安らぎにおける欲求が離れさり、貪愛※1、恐れ、怒りが失われた者。その者は「思慮の確立した沈黙者※2」と言われます。

※1 享楽に執着する心意 ※2 ムニ(牟尼)

57.

あらゆる場合において欲求がなく、様々な善不善に遭遇しても喜ぶことも憎むこともない者。その者の智慧は確立されています。

58.

そしてまた、カメが(6つの)肢※1を一斉に引っ込めるように、その者が(6つの)感覚器官※2を、(6つの)感覚器官の対象※3から引っ込めるとき、その者の智慧は確立されます。

※1 手、足、頭、尾 ※2 眼、耳、鼻、舌、体、心 ※3 色、音、香、味、体感、想念

59.

食べるものを断った意識にとって、対象となる味は除かれ退くことでしょう。また(何の味もない)最高の清水を知覚しても、同じようにそれは退くものです。

60.

妃クンティーの息子※1よ、(何の味もない)魂※2を知ることの努力をしている者の感覚器官は断ち切られ、(その者の)意向を力強く運びさります。

※1 アルジュナ ※2 プルシャ

61.

(感覚対象へ向かう)心意をつなぎ止め、すべてのそれら(感覚器官)を制止したのなら、その者は想念から離れて(魂に)留まることでしょう。意志に感覚器官が従う者。その者の智慧は確立されます。

※ プルシャ

62.

(快楽)対象に心意を向けることにより、(心意と快楽対象との)接触が生まれます。(心意と快楽対象との)接触により(快楽を好む)愛欲が生まれ、愛欲により(苦痛を嫌う)怒りが生まれます。

63.

怒りにより感覚麻痺になり、感覚麻痺により記憶は錯誤し、記憶の喪失により知見は消失し、知見の消失により(その者は)廃れるでしょう。

64.

しかし、感覚対象をアッチコッチと彷徨っている貪愛※1と憎悪※2から分離させられた感覚器官によって、(感覚器官を)自分(の意志)の支配下に置いて自分(の感覚器官)を制した者。その者は平安に達します。

※1 快楽を愛する心意 ※2 苦痛を憎しむ心意

65.

この平安において、すべての苦しみの消失が起こります。(このように)癒された心の者。直ちにその者の知見は確立します。

66.

心意をつなぎ止めない者にとって(真理の)知見はありませんし、心意をつなぎ止めない者にとって進歩はないのです。そして進歩のない者にとって寂静はないですし、寂静のない者にとってどのような安らぎがあるでしょう。

67.

水上において風が船を運びさるかのように、(感覚対象をアッチコッチと)彷徨っている感覚器官に追従する心意は智慧を運びさります。

68.

ですがマハーバーフよ、感覚器官の対象から感覚器官が一斉に捕獲された者。その者の智慧は確立されます。

※ アルジュナ

69.

すべての生きものにとっては(心意を向ける必要のない)夢であるもののなかで、自己を制した者は覚めて(心意を留めて)います。


(また、)生きものが覚めて(心意を向けて)いるものは、沈黙者にとっては(心意を向ける必要のない)夢を眺めているようなものなのです。

70.

(どれほどの)水が流れ込もうと不動に確立し満たされている海のように、あらゆる愛欲が流れ込もうと(不動に確立し満たされ)愛欲を満たす必要のない者。その者は寂静に達しています。

71.

すべての愛欲を棄てて、(感覚対象をアッチコッチと)彷徨う欲求のない者は、私心なく、私すらもない。その者は寂静に達しています。

※ アハンカーラ:心に形成される自己観念。自我

72.

妃プリターの息子※1よ、これが根本※2に関する立場(の知見)です。(知覚認識作用の)終焉のなかでソコに留まるのなら、根本涅槃※3に達します。


ソレに達した暁には、(あなたは徳不徳、善不善などの)分別に困惑することはなくなるでしょう。

※1 アルジュナ ※2 ブラフマン ※3 ブラフマンニルヴァーナ


第2章 解説

「理論(とヨガ)」と題されているように、主人公アルジュナの悲痛を取り除くための理論とヨガについて、クリシュナが説明しています。ここでこの物語の結論、あるいは最も大切な教示が語られていると言えるでしょう。

要点
私たちは魂であり、ソレは不生不滅の常在であり、ソレは殺すことも殺されることもありません。ですから私たちは、これまでに生まれたことはなく死んだこともありません。生まれたものは死にますし死んだものは生まれますが、生まれないものは死にませんし死なないものは生まれません。

生死の輪廻、人生の苦しみを取り除くためには、現れては消えるこの心身は存在ではなく、現れも消えもしない魂こそ存在であるこの事実を信じ、実践によってソレを覚る必要があります。ソレを覚るための実践とは、平等知見の立場といわれるヨガに達することです。

つまり相異として見ている苦と楽、愛と憎、得と失、勝と敗、善と悪、優と劣、自と他、生と死などを同一として見る立場です。結果を気にして一方は受容し他方は拒絶するような一方的で意図的な行為から離れることです。それはつまり行為そのものに対する無関心であり、平等に照らし観ている観照者としての立場を保つことです。

また、「一方的で意図的な行為から離れる」とは、言葉を変えて言うのなら欲から離れる「離欲」です。そのためには「見たい、聞きたい、香りたい、味わいたい、触れたい、知りたい」などと知覚対象へ向かう心意を、最奥なる真我・魂・観照者につなぎ止めておくための「修習」をする必要があります。

この修習によって、アッチコッチと彷徨っていた心は静まるようになり、やがて止まり、無念無想・無知覚の三昧に至ります。放逸になり、一方的で意図的に知覚対象へ向かう「貪愛」と「憎悪」の心意を放っておいてはいけません。常に心意を制御し、自ずから知覚対象へと向かわなくなり、自ずから最奥なる真我に留まるようになるまで調教するべきです。

何の味もない無念無想・無知覚の三昧において、最奥なる真我・実在を味わい満たされたとき、心意はもはや感覚対象である非真我・非存在を味わうことへの興味を失い離欲が起こります。そのときこそ平等智は確立され、偽者のあなたも、あなたの悲しみもまた運び去られていることでしょう。


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