2020-08-04

2020-06-17

バガヴァッド・ギーター:至高者の詩

バガヴァッド・ギーター:至高者の詩

『バガヴァッド・ギーター(bhagavadgītā)』は、ヒンドゥー教の聖典の1つで、至高者クリシュナの教えを短い詩節の形で伝えた韻文のみからなる聖典であり、叙事詩『マハーバーラタ』の一部として収められたものです。「バガヴァッド・ギーター」とは、サンスクリット語で「離欲者、至高者、絶対者」などを示す「バガヴァーン(bhagavān)」と、「詩」を示す「ギーター(gītā)」とから成り、「神の詩」とも訳されています。因みに仏教では「バガヴァーン」を「世尊」と訳しています。

ここで紹介している詩は、SitaRamaさんのブログをはじめとし、田中嫺玉氏訳の著書『神の詩-バガヴァッド・ギーター』などを参考にして、サンスクリット語原典にほどほどに忠実に、蛇足な言葉は省き、不足の言葉は補い、解りづらい言葉は変更し、より現代の日本人にも理解しやすく、実践に役立つように多少アレンジを加えています。気ままに更新していく予定です。

第1章 アルジュナの悲痛

1.ドリタラーシュトラが問う。
サンジャヤよ、美徳の地(我ら)クル族の地において戦おうと集められた我が息子たちとパーンドゥの息子たちは何をしておるのか?
※ ダルマ(法):真理、道徳、正義、教義、習慣

2.サンジャヤが報告する。
(ご子息)ドゥルヨーダナ王は、配備されたパーンドゥの息子たちの軍勢を見まわしてから軍師殿に近寄り、言葉を仰せです。

3.(ドゥルヨーダナ王が話す)
先生、ご覧ください。先生の高弟ドルパダの息子によって配備されたパーンドゥの息子たちの大軍勢を。

4.
あそこには戦いにおいてビーマやアルジュナと並びたつ勇士、弓の名手がいます。ユユダーナ、ヴィラータ、そして大戦士ドルパダ、

5.
ドリシュタケートゥ王、チェキータナ、そして屈強なカーシー国王に、プルジットとクンチボージャ、雄牛のような猛者シャイビヤ、

6.
そして勇敢なユダーマニュと屈強なウッタマウジャー、スバドラーの息子とドラウパディーの息子たち。誰も彼も偉大な戦士です。

7.
しかし最上者であられる方よ、あなた様に我が軍の指揮官たちも知らせるべく申し上げます。(ぜひとも)我々の優れた者たちをお聞きください。

8.
(まずは)先生ご自身と司令官ビーシュマ、カルナ、負け知らずのクリパ。アシュヴァッターマン、ヴィカルナ、そしてソーマダッタの息子。
※ 軍師ドローナ

9.
そして他にも、多岐にわたる武器を持ち、戦うことに長け、私のために命を懸ける多くの英雄たちがおります。

10.
ビーシュマ司令官に守られた我が軍は完全でありましょうが、ビーマ司令官に守られたあの軍は不完全でありましょう。

11.
さあ皆のもの、いついかなるときも持ち場の任務を遂行し、ビーシュマ司令官をお守りするのだ。

12.(サンジャヤの報告)
ご子息※1を喜ばせるためでしょう。威厳に満ちたクル族長老の爺さま※2が、高らかにライオンのような雄叫びをあげ、法螺貝を吹き鳴らしております。
※1 王ドゥルヨーダナ ※2 司令官ビーシュマ

13.
それに続いて、法螺貝、太鼓、シンバル、ドラム、角笛が、いっせいに鳴り、凄まじい音を響かせております。

14.
さらに今度は、(敵方パーンドゥ軍の)マドゥの子孫※1とパーンドゥの息子※2が、白馬につないだ大きな戦車の上に立ち、それぞれ聖なる法螺貝を吹き鳴らしております。
※1 クリシュナ ※2 アルジュナ

15.
フリシーケーシャ※1は「パンチャジャニヤ」を、ダナンジャヤ※2は「デーヴァダッタ(神授)」を、加えて恐ろしいオオカミ腹のビーマは大きな法螺貝「パウンドラ」を吹き、
※1 クリシュナ ※2 アルジュナ

16.
(さらに、)クンティーの息子ユディシュティラ王は「アナンタヴィジャヤ(常勝)」を、ナクラは「スゴーシャ(妙音)」、サハデーヴァは「マニプシュパカ(宝花)」を吹き、

17.
弓の名手の頂点に立つカーシー国王、大戦士シカンディン、ドリシュタディユムナ、ヴィラータ、負け知らずのサーティヤキ、

18.
そしてドルパダ、ドラウパディーの息子たち、また剛腕のスバドラ―の息子といった面々。地の持ち主(ドリタラーシュトラ王)よ、皆が一斉にそれぞれの法螺貝を吹き鳴らしております。

19.
天地を轟轟と震わせるその音は、ドリタラーシュトラ様のご子息たちの心臓を高鳴らせておりましょう。

20.
間もなく合戦が始まろうとしております。ドリタラーシュトラ様のご子息たちが配備されたことを見たのか、猿王ハヌマーンの旗印をかかげるパーンドゥの息子が弓を掴みながら、
※ アルジュナ

21.
地の持ち主(ドリタラーシュトラ王)よ、フリシーケーシャに向かって申しております。
※ クリシュナ

アルジュナ

アチュータよ、両軍の間に入り私の戦車を止めてください。

※ クリシュナ

22.

この戦いにおいて、私と戦おうとして配備された誰と私は戦わねばならないのか、その策を私が見定めるまで、

23.

私は、邪悪な心を持つドリタラーシュトラの息子を、戦いにおいて喜ばせようとここに集い、戦おうとしているこれらの者たちを見てみます。


24.(サンジャヤの報告)
バラタの子孫(ドリタラーシュトラ王)よ、グダーケーシャ※1から、このように言われたフリシーケーシャ※1は、両軍の間に入って最上の戦車を止めると、
※1 アルジュナ ※2 クリシュナ

25.
ビーシュマ指揮官とドローナ軍師、そしてすべての王たちの前で、彼はこのように返答しました。

妃プリターの息子よ、(その言葉通りに)集ったクル族をご覧なさい。

※ アルジュナ
クリシュナ


26.(サンジャヤの報告)
プリターの息子は、そこに立ち並ぶ父親たち、祖父たちを、師匠たち、叔父たち、兄弟たち、息子たち、孫たち、また友人たちを見渡しております。
※ アルジュナ

27.
さらに義父たち、親友たちを。(そして)クンティーの息子は、両軍どちらにも立ち並んでいる一族全員を見終えると、
※ アルジュナ

28.
これ以上ないほどの悲しみに絶望して、彼奴はこのように申しております。

クリシュナよ、戦おうと立ち並ぶこれらの親族たちを見ていると、

29.

私の手足から力は失われ、口は渇ききり、身体はゾワゾワと身の毛がよだつのです。

30.

「ガーンディヴァン(弓)」は手から滑り落ち、皮膚は焼かれ、心は動揺し、私は本当に立っていることさえできぬほどなのです。

31.

ケーシャヴァよ、私は不吉な前兆を感しています。戦いにおいて自分の親族を殺すのなら、このさき私が幸福を感じることなどないでしょう。

※ クリシュナ

32.

クリシュナよ、私は勝利を望んではいないですし、王国や繁栄もまた望んではいないのです。


ゴーヴィンダよ、私たちにとって王国とは何なのでしょう!? また享楽とは、生命とは、いったい何なのでしょう!?

※ クリシュナ

33.

私たちは(ここに集められた)彼らのために王国、享楽、繁栄を望んだのです。そしてその彼らが、(このように残酷な)戦いの場に立ち並んでいるのです。

34.

先生方、父上方、息子たち。同じくして爺さま方、叔父さま方、義父さま方、孫たち。同じくして義兄弟たち、仲間たちが……。

35.

マドゥスーダナよ、(彼らが私を)殺そうとも、私は彼らを殺すことを望みはしません。たとえ三界の王権のためであろうと、まして国土のためになど。

※ クリシュナ

36.

ジャナールダよ、ドリタラーシュトラの一族を殺したところで、私たちに何の喜びがあるのでしょう!? これらの凶暴な者たちを殺したところで、私たちに罪が被さるだけのことでしょう。

※ クリシュナ

37.

ですから私たちは、ドリタラーシュトラの一族を、自分の親族たちを、殺すべきではないのです。


マーダヴァよ。自分の親族を殺しておいて、どうして私たちが安らげるでしょう!? 

※ クリシュナ

38.

貪欲に心奪われた彼らが、たとえ一族を滅亡させることの罪を、そして友を裏切ることの罪を知らなくても、

39.

ジャナールダナよ、一族を滅亡させることの罪が私たちに知られているときに、この罪から逃れることは私たちに知られるべきではないなどということが、どうしてあるでしょう!?

※ クリシュナ

40.

一族が滅亡するとき、太古からの一族の美徳もまた滅びます。美徳が滅びるとき、一族すべてを悪徳が支配することでしょう。

41.

クリシュナよ、悪徳の支配により一族の女性たちは堕落するでしょう。ヴァールシュネーヤよ、女性たちが堕落するなら、血筋の混乱がもたらされるでしょう。

※ クリシュナ

42.

(この)混乱は、一族の殺人者たちと一族にとって地獄に墜ちるためのものとなるでしょう。供物と清水による(先祖)供養を失った彼らの先祖は地獄に墜ちる(と信じられている)からです。

43.

一族の殺人者たちのこれらの罪により、血筋の混乱が起こることによって、社会の美徳が断たれ、永遠なる一族の美徳もまた断たれるでしょう。

44.

(このように)社会の美徳が断たれた人々の住むところは、決まって地獄であると私たちは聞いております。

45.

私たちは王権の繁栄を貪り求めて、自分の親族を殺そうと企てたのです。ああ、なんと大きな罪を犯すことを決意したのでしょう。

46.

もしも(この)戦いにおいて、武器を持たない無抵抗の私を、武器を手にしたドリタラーシュトラの一族が殺すのなら、それは私にとってより幸せなことになるでしょう。


47.(サンジャヤの報告)
悲痛に心をかき乱されたアルジュナはこのように申し、戦いのさなか矢もろとも弓を投げ捨て、戦車の腰掛に座り込んでおります。


第1章 解説

「アルジュナの悲痛」と題されているように、主人公アルジュナの置かれている状況について、また戦うことになんの意義も見いだせず悲痛に苦しむ心境についてを説明しています。第1章は物語の本題に入る前の状況説明の章と言えるでしょう。

ところで、第1章には様々な人物の「名前」が登場するだけでなく、個人に対しても様々な「名前」が与えられているため、読む側は頭が痛くなるところです。次に、物語のなかで呼ばれるアルジュナとクリシュナの名前を上げてみます。

  • アルジュナ(銀白色)
  • 王パーンドゥの息子
  • ダナンジャヤ(富の征服者)
  • 妃プリター/クンティーの息子
  • グダーケーシャ(濃い髪の者)
  • マハーバーフ(剛腕の者)
  • プルシャルシャバ(優秀な者)
  • アナガ(無垢な者)
  • バラタルシャバ(王バラタ?)
  • クルサッタマ(クル族の最上者)

  • クリシュナ(紺碧色)
  • マーダヴァ(マドゥの子孫)
  • フリシーケーシャ(逆立つ髪の者)
  • アチュータ(不滅の者)
  • ケーシャヴァ(美髪の者)
  • ゴーヴィンダ(牛飼いの主人)
  • マドゥスーダナ(悪魔を殺す者)
  • ジャナールダ(人を養う者)
  • ヴァールシュネーヤ(ヴリシュニの子孫)

このように、ある「対象」に対して様々な「名前」を付けているのもバガヴァッド・ギーターの特徴です。ですからここでも、単一にアルジュナやクリシュナと固定することなく、原本に従って訳しています。

このことに関しては、「名前とは色形に付けた単なる呼び名であり、どのようにも変化するものであり、上っ面に過ぎず、その本質とは何の関係もない」として受け取ることが、バガヴァッド・ギーターの本質を理解するうえでは賢明と言えるでしょう。

第2章 理論(とヨガ)

1.サンジャヤが報告する。
このように、涙に満ちた目を落とし、悲しみに沈みこんだ彼に、マドゥスーダナが申しております。
※ クリシュナ

2.威光ある至高者※1が答える。

(この)難事のなか、どうしてその不甲斐なさがあなたに起ったのでしょう。


アルジュナよ、(そのような態度は)アーリア人ではない部族が望むものであり、天界へ導くこともなく、不名誉をもたらすものです。

※1 クリシュナ ※2 勝利の栄光を誇る部族

3.

気弱になってはいけません。あなたにそれはふさわしくありません。妃プリターの息子よ、恥ずべき心の弱さを捨てて、(さあ)立ち上がりなさい!

※ アルジュナ

4.アルジュナが答える。

マドゥスーダナよ、どうして私が戦いの場で、尊敬している(大叔父)ビーシュマ司令官、そして(弓術の我が師匠)ドローナ軍師のお2人に、矢を向けて対立できるでしょう。

※ クリシュナ

5.

間違いなく、高徳で尊敬すべき師たちを殺すことより、この地で物乞いをして食べることの方が優れているでしょう。富を愛する師たちを殺したなら、この地で私は血に染まった享楽を食べることでしょう。

6.

私たちが勝つべきなのか、あるいは私たちに彼らが勝つべきなのか、そして私たちにとってどちらがより重要なのか。私たちはこれらのことを知りません。


(それでもやはり)私たちは、彼らを殺してまで生きたいなどとは願っていないのです。(そんな心境のさなか)目の前に、彼らドリタラーシュトラの一族が立ち並んでいるのです。

7.

哀れな情けなさに本来の在り方をダメにされ、心は混乱しています。私はあなたに「美徳」をお尋ねします。


どちらがより優れているか!? (どうか)私のために、このことにハッキリとお答えくだされ。私はあなたの弟子です。あなたのおみ足にひざま付く私に、(どうか)ご教示くだされよ!

8.

私の活力を干上がらせているこの悲しみを追い払おうにも、私には(その手立てが)どうしても分からないのです。


地上で比類のない富を得ようと、さらに神々の王国で主権を握ろうとも(私には分からないでしょう)。


9.サンジャヤが報告する。
グダーケーシャ※1は、フリシーケーシャ※2にこのように申しました。(その後)「私が戦うことはないでしょう」とゴーヴィンダ※3に告げてからは、彼奴は沈黙しております。
※1 アルジュナ ※2・3 クリシュナ

10.
バラタの子孫(ドリタラーシュトラ王)よ、両軍の間で失望している彼奴に、フリシーケーシャは、この言葉を告げました。
※ クリシュナ

11.威光ある至高者が答える。

あなたは、あなたが悲しむべきではない人々に対して悲しみ、あなたは智慧のない言葉を語っています。(智慧のある)賢者は、死んだ者たちや生きている者たちに対して悲しむことはないものです。

※ クリシュナ

12.

事実として私は、これまでに存在しなかったことは決してないのです。あなたもまたなく、彼ら王たちもまたないのです。そしてまた事実として私たちすべては、これからも存在しなくなることは(決して)ないのです。

13.

ここにおける身体としての意識にとっては、あたかも少年期、青年期、老年期があるかのように見えるでしょう。(身体を離れた後も)同じように、あたかも他の身体を手に入れるかのように見えるでしょう。


(しかし)賢者は、そのことに惑わされることはありません。

14.

そして妃クンティーの息子※1よ、感覚対象※2との接触は、寒暑、苦楽をもたらし、現れては消えさる非常在※3なものです。それらに耐え忍びなさい、バラタの子孫※3よ。

※1・3 アルジュナ ※2 マートラー:要素、物質 ※3 アニッチャ:無常

15.

(しかし)プルシャルシャバよ、苦楽を同一と見なす賢者がそれらに惑わされることは決してないのです。彼は「不死の者」(と呼ぶに)に値しています。

※ アルジュナ

16.

存在ではないものから存在性が生じることはなく、存在であるものから存在性が失われることはないのです。(非存在は現れては消えるものであり、存在は現れも消えもしない常在のものであり、それは不生不滅です。)


これら(存在と非存在)の2つの本質を見る人々によって、(苦楽)両者の終局は見られてきました。

17.

このすべてに充満されているソレ(として在ること)によって、不滅のソレを知りなさい。この不滅を破壊することは誰にもできません。

18.

常在する魂※1は不滅で無限であり、これらの身体は有限であると言われています。ですから戦いなさい、バラタの子孫※2よ。

※1 プルシャ ※2 アルジュナ

19.

(不滅の)ソレを殺害者であると思う者、またソレが殺害されたと信じる者。両者はどちらも、ソレが殺すことも殺されることもないことを知らないのです。

20.

ソレはあるとき生まれ、あるとき死ぬということもないのです。ソレは新たに生まれることもなければ、(死んだ)後に新たに生まれることもないのです。


太古の初めからあるソレは不生、常在、永遠であり、身体が殺されようとも、ソレが殺されることはないのです。

21.

不生にして不変であり、常在にして不滅であるソレを知る者。妃プリターの息子よ、どうしてその者が、誰かを殺させたり、誰かを殺したりするでしょう。

※ アルジュナ

22.

あたかも使い古した衣服を脱ぎ捨て、新しい他の衣服を手に取るかのように、あたかも意識は使い古した身体を脱ぎ捨て、新しい別の身体と一緒になるかのようです。


(しかしソレ自体は決して、生まれも死にもしていないのです。)

※ アルジュナ

23.

刀がソレを切ることはななく、火がソレを焼くはないのです。そして水がソレを濡らすこともなく、風が(ソレを)乾かすこともないのです。

24.

ソレが切られることはなく、ソレが焼かれることはないのです。そして濡らされることもなく、乾かされることもないのです。


常在にしてすべてに行き渡っている堅固なソレは、不動にして永遠なのです。

25.

ソレは現れることがなく、ソレは考えることができず、ソレは変わることがないと言われています。ですから、ソレについてこのように知ったのなら、(今後)あなたは悲しむべきではありません。

26.

また、もしもソレを常に生まれてくるもの、あるいは常に死んでしまうものと信じるとしても。たとえそうであろうとマハーバーフよ、あなたはそれを悲しむべきではないのです。

※ アルジュナ

27.

事実として、生まれたものにとっては死ぬことが定められており、そしてまた死んだものにとっては生まれることが定められています。


ですから(このような)不可避のことのために、あなたは悲しむべきではないのです。

28.

バラタの子孫よ、生まれるものとは最初には現れておらず、中間に現れており、最後には現れていないものです。そこにどうして悲痛があるでしょう。

29.

ある誰かは稀有にもソレを見ることでしょう。また同じように、別の(誰か)は稀有にもソレを語ることでしょう。そしてまた別の(誰か)は稀有にもソレを聞くことでしょう。


しかしある誰かは(ソレを)聞いたとしても、(平凡にも)ソレを知ることはないでしょう。

30.

バラタの子孫よ、すべての身体において、この意識はいつであろうと殺されることができないのです。ですからすべての現象に対して、あなたは悲しむべきではないのです。

※ アルジュナ

31.

さらにまた、自分の美徳を考慮しても、あなたは身を震わせるべきではないのです。事実、王族にとっては戦いよりも優れた美徳など他にありはしないのです。

32.

(あなたは今)企てることなく開かれた天国の門に辿り着いたのです。妃プリターの息子よ、幸福な王族こそがそのような戦いに遭遇するのです。

※ アルジュナ

33.

しかしもしもあなたがこの美徳の戦いを遂行しないのなら、そのとき自分の美徳と名誉とを捨てて、あなたは罪を被るでしょう。

34.

そして人々は、あなたの廃れることのない不名誉を語るでしょう。名高い者にとっての不名誉とは、(負けて)死ぬことよりもさらに残念なことでしょう。

35.

あなたは戦いへの恐れから撤退したのだと、大戦士たちは見なすことでしょう。あなたは彼らの尊敬を多く受けていたのに、後には軽蔑されることになるでしょう。

36.

そしてあなたの敵たちは、あなたの能力を非難しながら口にするべきではない多くの言葉を語るでしょう。それにはどれほどの苦しみがあることでしょう。

37.

殺されたとしてもあなたは天国を手にし、勝利したとしてもあなたは王国を受けとるのです。ですから妃クンティーの息子よ、戦う意を決して立ち上がりなさい。

※ アルジュナ

38.

苦楽、得失、勝敗を同一と見なし、その上で戦いに心意をつなぎ止めなさい。このようにしてあなたは、罪を被らなくなるでしょう。

39.

(ここまでは)理論における知見、これがあなたに語られてきました。それに対し、(ここからは)ヨガ※1における知見、これをあなたは聞きなさい。


(ヨガにおける)知見につながることによって、妃プリターの息子※2よ、それによってあなたは行為の束縛を投げ捨てることでしょう。

※1 実践 ※2 アルジュナ

40.

ここにおける取組は、消失することはありませんし、後退することもありません。わずかであろうとこの真理(の知見)は、ひとかたならぬ恐怖から(あなたを)救うことでしょう。

41.

クルの子孫よ、ここにおいては確実性を有する知見が唯一(真理の知見)なのです。確実性を欠いた者たちの知見は多岐にわたるため、(その確立に)果てがないからです。

※ アルジュナ

42.

妃プリターの息子※1よ、思慮分別のない者は「(使い道は)他にありはしない」と言って、聖典※2に関する議論を楽しみ、その華やいだ歌を詠みあげることでしょう。

※1 アルジュナ ※2 ヴェーダ

43.

愛欲(を満たすこと)は最奥の天国であると(信じて)夢中になるのなら、(そのような)行為の結果は、再誕生を引き起こすものです。


(そのような者は聖典にある)おびただしく多様な儀式に頼り、享楽と権力(を手にする道)へと向かうことでしょう。

44.

享楽と権力に夢中になることによって心を奪われてしまったのなら、確実性を有する知見が、三昧のなかで得られることはないのです。

※ 無知覚(無認識)

45.

知覚は三気質を対象としています。アルジュナよ、あなたは(対象である)三気質ではないものとして在りなさい。


2極として知覚されている両極を同一と見直し、常に(平等に照らし見る)純粋質に留まり、獲得や所有の憂いから放たれた自己として在りなさい。

※ グナ ①サットヴァ:純粋質・照明性 ②ラジャス:激動質・歪曲性 ③タマス:停滞質・隠覆性

46.

井戸からどれほど多量な清水を得ようと、すべてが清水に覆われた土地にとってその清水は役に立たないように、聖典からどれほど多量な言葉を得ようと、すべてを理解している聖職者にとってその言葉は役に立ちません。


(ですから、単なる対象に過ぎない聖典の言葉を棄てて、対象を平等に照らし観る者として在りなさい。)

※ ブラフミン(波羅門)

47.

(また、)あなたの権限を行為に使いなさい。(あなたの権限を)結果に使ってはいけません。行為の結果を動機としてはいけないということです。(そしてまた)あなたの執着が行為しないことにあってもいけません。

48.

ダナンジャヤよ、ヨガとは「平等(に見ること)」と言われているのです。成功と不成功に対して平等となって(結果に対する)執着を離れ、ヨガの立場から行為しなさい。

※ アルジュナ

49.

結果を動機とした行為は哀れなことです。事実として行為とは、(平等)知見のヨガより遥かに劣るものだからです。(ですから)ダナンジャヤよ、(平等)知見に救済所を見つけだしなさい。

※ アルジュナ

50.

ヨガとは、行為における成熟(「行為の放棄/行為への無関心」)なのです。(平等)知見が備えられた者は、ここで善行と不善行のどちら(の行為)も棄てます。


そのためにあなたはヨガ(の立場)に心意をつなぎ止めなさい。

51.

(平等)知見が備えられた思慮ある者は、行為から起こる結果を棄てて、再誕生の束縛から解放された煩いのない境地に赴きます。

52.

(平等)知見が、あなたの誤謬による混乱を吹き飛ばすとき、そのときあなたは、これから聞くだろうことと、これまでに聞いたことに対して無関心となることでしょう。

※ 誤った知見、妄信

53.

(聖典の言葉を)聞くことで惑わされたあなたの知見は、(心の)動揺が失せた三昧において知覚が不動(の無知覚)となるとき確立するでしょう。あなたがヨガを手にするのはそのときです。

※ 無知覚(無認識)

54.アルジュナが答える。

ケーシャヴァよ、三昧の確立者、智慧の確立者の定義は何なのでしょうか? (惑わされることのない)思慮の確立者は、どのように話そうとし、どのように休もうとし、どのように動こうとするのでしょうか?

※ クリシュナ

55.威光ある至高者※1が答える。

妃プリターの息子※2よ、(最奥なる)自己※3において自己によって満たされ、すべての意向が失われ愛欲を棄てさるとき、そのときその者は「智慧の確立者」と言われます。

※ クリシュナ ※2 アルジュナ ※3 アートマン(真我)

56.

(不幸な)苦しみにおいて意向が動揺することなく、(幸福な)安らぎにおける欲求が離れさり、貪愛※1、恐れ、怒りが失われた者。その者は「思慮の確立した沈黙者※2」と言われます。

※1 享楽に執着する心意 ※2 ムニ(牟尼)

57.

あらゆる場合において欲求がなく、様々な善不善に遭遇しても喜ぶことも憎むこともない者。その者の智慧は確立されています。

58.

そしてまた、カメが(6つの)肢※1を一斉に引っ込めるように、その者が(6つの)感覚器官※2を、(6つの)感覚器官の対象※3から引っ込めるとき、その者の智慧は確立されます。

※1 手、足、頭、尾 ※2 眼、耳、鼻、舌、体、心 ※3 色、音、香、味、体感、想念

59.

食べるものを断った意識にとって、対象となる味は除かれ退くことでしょう。また(何の味もない)最高の清水を知覚しても、同じようにそれは退くものです。

60.

妃クンティーの息子※1よ、(何の味もない)魂※2を知ることの努力をしている者の感覚器官は断ち切られ、(その者の)意向を力強く運びさります。

※1 アルジュナ ※2 プルシャ

61.

(感覚対象へ向かう)心意をつなぎ止め、すべてのそれら(感覚器官)を制止したのなら、その者は想念から離れて(魂に)留まることでしょう。意志に感覚器官が従う者。その者の智慧は確立されます。

※ プルシャ

62.

(快楽)対象に心意を向けることにより、(心意と快楽対象との)接触が生まれます。(心意と快楽対象との)接触により(快楽を好む)愛欲が生まれ、愛欲により(苦痛を嫌う)怒りが生まれます。

63.

怒りにより感覚麻痺になり、感覚麻痺により記憶は錯誤し、記憶の喪失により知見は消失し、知見の消失により(その者は)廃れるでしょう。

64.

しかし、感覚対象をアッチコッチと彷徨っている貪愛※1と憎悪※2から分離させられた感覚器官によって、(感覚器官を)自分(の意志)の支配下に置いて自分(の感覚器官)を制した者。その者は平安に達します。

※1 快楽を愛する心意 ※2 苦痛を憎しむ心意

65.

この平安において、すべての苦しみの消失が起こります。(このように)癒された心の者。直ちにその者の知見は確立します。

66.

心意をつなぎ止めない者にとって(真理の)知見はありませんし、心意をつなぎ止めない者にとって進歩はないのです。そして進歩のない者にとって寂静はないですし、寂静のない者にとってどのような安らぎがあるでしょう。

67.

水上において風が船を運びさるかのように、(感覚対象をアッチコッチと)彷徨っている感覚器官に追従する心意は智慧を運びさります。

68.

ですがマハーバーフよ、感覚器官の対象から感覚器官が一斉に捕獲された者。その者の智慧は確立されます。

※ アルジュナ

69.

すべての生きものにとっては(心意を向ける必要のない)夢であるもののなかで、自己を制した者は覚めて(心意を留めて)います。


(また、)生きものが覚めて(心意を向けて)いるものは、沈黙者にとっては(心意を向ける必要のない)夢を眺めているようなものなのです。

70.

(どれほどの)水が流れ込もうと不動に確立し満たされている海のように、あらゆる愛欲が流れ込もうと(不動に確立し満たされ)愛欲を満たす必要のない者。その者は寂静に達しています。

71.

すべての愛欲を棄てて、(感覚対象をアッチコッチと)彷徨う欲求のない者は、私心なく、私すらもない。その者は寂静に達しています。

※ アハンカーラ:心に形成される自己観念。自我

72.

妃プリターの息子※1よ、これが根本※2に関する立場(の知見)です。(知覚認識作用の)終焉のなかでソコに留まるのなら、根本涅槃※3に達します。


ソレに達した暁には、(あなたは徳不徳、善不善などの)分別に困惑することはなくなるでしょう。

※1 アルジュナ ※2 ブラフマン ※3 ブラフマンニルヴァーナ


第2章 解説

「理論(とヨガ)」と題されているように、主人公アルジュナの悲痛を取り除くための理論とヨガについて、クリシュナが説明しています。ここでこの物語の結論、あるいは最も大切な教示が語られていると言えるでしょう。

要点
私たちは魂であり、ソレは不生不滅の常在であり、ソレは殺すことも殺されることもありません。ですから私たちは、これまでに生まれたことはなく死んだこともありません。生まれたものは死にますし死んだものは生まれますが、生まれないものは死にませんし死なないものは生まれません。

生死の輪廻、人生の苦しみを取り除くためには、現れては消えるこの心身は存在ではなく、現れも消えもしない魂こそ存在であるこの事実を信じ、実践によってソレを覚る必要があります。ソレを覚るための実践とは、平等知見の立場といわれるヨガに達することです。

つまり相異として見ている苦と楽、愛と憎、得と失、勝と敗、善と悪、優と劣、自と他、生と死などを同一として見る立場です。結果を気にして一方は受容し他方は拒絶するような一方的で意図的な行為から離れることです。それはつまり行為そのものに対する無関心であり、平等に照らし観ている観照者としての立場を保つことです。

また、「一方的で意図的な行為から離れる」とは、言葉を変えて言うのなら欲から離れる「離欲」です。そのためには「見たい、聞きたい、香りたい、味わいたい、触れたい、知りたい」などと知覚対象へ向かう心意を、最奥なる真我・魂・観照者につなぎ止めておくための「修習」をする必要があります。

この修習によって、アッチコッチと彷徨っていた心は静まるようになり、やがて止まり、無念無想・無知覚の三昧に至ります。放逸になり、一方的で意図的に知覚対象へ向かう「貪愛」と「憎悪」の心意を放っておいてはいけません。常に心意を制御し、自ずから知覚対象へと向かわなくなり、自ずから最奥なる真我に留まるようになるまで調教するべきです。

何の味もない無念無想・無知覚の三昧において、最奥なる真我・実在を味わい満たされたとき、心意はもはや感覚対象である非真我・非存在を味わうことへの興味を失い離欲が起こります。そのときこそ平等智は確立され、偽者のあなたも、あなたの悲しみもまた運び去られていることでしょう。

第3章 行為(ヨガ)

蛇足と判断した詩句は非表示にしてあります。また、原文の順番通りだと前後の脈絡が整然としていない箇所がありましたので、番号はそのままに順番を変更しています。

1.アルジュナが答える。

ジャナールダ※1よ、あなたは知見は行為より優れていると承認されているのに、どうして恐るべき行為のなかに私をつなぎ止めるのでしょう?(なぜなのですか)ケーシャバ※2よ。

※1・2 クリシュナ

2.

あなたは混じりあう言葉をもってして、私の知見を混乱させているかのようです。ですからどうか、一貫性を確実にして話してくだされよ。それによって私がより優れたところに到達できるように。

3.威光ある至高者が答える。

アナガ※1よ、先に私によって、世界における2種類の(悲痛を)終焉(する方法)が説かれました。理論家にとっての智慧ヨガ※2によるものと、ヨガ行者にとっての行為ヨガ※3によるものとです。


(今一度言います。行為ヨガとは、行為の成熟であり、それは「行為の放棄」を示しています。)

※1 アルジュナ ※2 ジュニャーナ・ヨガ ※3 カルマ・ヨガ

4.

(しかしここで勘違いをしてはいけません。)行為に着手しないことによって、人が行為の放棄を達成するわけではないのです。そしてまた俗世を放棄することによって、(放棄の)達成に近づくわけではないのです。

※ プルシャ

5.

事実として、誰も、一瞬でさえも、行為をすることなく立ち止まったままではいられないものです。なぜならすべての人は、自然※1の気質※2によって自ら欲していない行為をさせられているからです。

※1 プラクリティ(自性) ※2 グナ(質)

6.

運動器官を制御して立ち止まる者も、思惟器官によって(対象が)想起していることでしょう。(このように)感覚器官の対象に惑わされた自己は「偽善者」と言われています。

7.

しかしアルジュナよ、思惟器官によって感覚器官を支配して捕まえ、運動器官によって(結果に囚われることなく定められた義務を遂行する)行為ヨガをし、(行為に)束縛されていないその者は(「善人」と言われ)より優れています。

※ ダルマ(法)

33.

また、自然※1の智慧※2を有する賢者も、自身の手足を適切に動かします。万象は自然に動くものであり、(定められた自分の義務を)抑止することが何になるでしょう? 

※1 プラクリティ(自性) ※2 ジュニャーナ

35.

他者の義務を引き受けて十分に遂行された行為より、自分の義務から遂行された欠陥ある行為の方が優れています。


自分の義務のなかで果てることは(他者の義務のなかで生きる)より優れています。他者の義務(のなかで生きること)は不安をもたらすことでしょう。

※ ダルマ(法)

8.

あなたは定められた行為をしなさい。事実として、行為をしないことより行為をすることの方が優れているのです。そしてまた行為をしないのなら、あなたの(その)肉体を維持することさえも成立しないことでしょう。

9.

この世界における行為は、祭儀を動機とした行為を除いては束縛です。妃クンティーの息子よ、あなたはソレを動機とした執着から解放された行為を遂行しなさい。

※ アルジュナ

10.

かつて創造主は、祭儀とともに人々を造ると言いました。「汝らはコレをもって子孫を得よ。汝らにとってコレが願望成就の牝牛である。

11.

コレをもって、汝らは神々を繁栄させよ。神々は人々を繁栄させよ。互いに繁栄させ合っているならば、汝らはより優れた最高の状態を手にするであろう」(と。)

12.

(ですから)祭儀によって鼓舞された神々は、あなたたちに求められた享楽を(あなたたちに)与えることでしょう。(しかし)神々に与えることなく神々から与えられたものを享受する者は、まさに泥棒なのです。

13.

祭儀に供えられた残りものを食べる善人は、すべての罪から解放されます。しかし、自分のために料理をこしらえる悪人は罪を食べることでしょう。

14.

生きものは食べものによって生じ、食べものは雨によって生じ、雨は祭儀から生じ、祭儀は行為から生じ、

15.

行為は根本から生じます。ですから不滅の根本は(万象の)源泉であり、万象に充満している根本は、常に祭儀において確証されてきたと知りなさい。

※ ブラフマン(梵)

16.

妃プリターの息子よ、このようにこの地で回転させられた車輪に回転させられ続けない者、(定められた運命に歯向かい)感覚を楽しむ悪意ある者は無駄に生きることになるでしょう。

17.

しかし、(外側に現れる感覚ではなく、内奥に在る)自己を楽しみ、自己によって満たされ、自己のなかで満たされた者にとって、為されるべきことはありません。

※ アートマン(真我)

18.

その者にとっては、この地で為されたことによる利得、為されなかったことによる損失は何もないのです。またその者にとっては、すべての物事のなかに拠り所となるものは何もないのです。

19.

ですから、(損得の結果に)囚われることなく、いつのときも為されるべき(定められた)行為を遂行しなさい。事実、(損得の結果に)囚われることなく(定められた)行為を行なっている人※1は、至上の存在(である真の自己※2)に到達します。

※1 プルシャ ※2 アートマン(真我)

20.

(かの)ジャナカ王なども、(定められた)行為によって達成まで連れていかれたのです。また同時に、世の人々を維持することを考えてもなお、あなたが為すことには価値があるのです。

21.

様々に異なる人々の誰もかれもが近接する最良の者は、規範となる行為を遂行する者です。この世の人々はその者の後に続くことでしょう。

22.

妃プリターの息子よ、私には三界において達成されるべきことなど何もありはしません。また、行為において得られなかったことや得られるであろうことに、私が関与することはないのです。

※ アルジュナ

23.

なぜならもしも私が行為において(得られなかったことや得られるであろうことに)関与することなく、まったく臆することがないのなら、妃プリターの息子よ、人々は一斉に私の道の後に続くことでしょう。

※ アルジュナ

24.

もしも私が(そのような)行為を遂行しないのなら、世の人々は破滅することでしょう。そして私は混乱の創造者となり、私はこれらの創造物を破滅させることになるでしょう。

25.

王バラタの息子※1よ、無明※2な者たちはあたかも(自分たちが行為を)遂行しているかのように行為に夢中になっていますが、(行為に)夢中になっていない智者は、世界を維持することを願って(行為を)遂行していることでしょう。

※1 アルジュナ ※2 智慧の欠如

26.

(また動揺なく、心意が)つなぎ止められた智者は、行為に夢中になっている愚かな者たちに、知見の混乱を起こさせることはしないでしょうし、その者たちにすべての行為を喜びをもって遂行させるための活動をしていることでしょう。

27.

自然の為している作用は、完全に気質によります。(にもかかわらず)偽我に惑わされた(偽我当人である)自己は、「私は行為者である」と考えています。 

※ アハンカーラ:心に形成される自己観念。自我

28.

しかしマハーバーフよ、気質による作用との分離のなかで(自己の)本質を知っている者は、「気質は気質のなかで関与している」と考え、(行為に)夢中になっていません。


(つまり「私は気質に関与していない。行為は気質に為されるのであり私が為しているのではない。私は行為者ではない」と知っているのです。)

※ アルジュナ

29.

自然の気質に惑わされた者たちが、(あたかも自分が行為をしているかのように)気質による行為に夢中になるのです。(しかし、このように)知識が不完全で鈍い者たちを、知識が完全な者が(本当のことを伝えることによって)動揺させることはないでしょう。


(なぜなら本当の教えとは、伝えられても動揺と混乱を招くことのない者、教えを理解できる者にこそ、伝えられるものだからです。)

36.アルジュナが答える。

(ところで)ヴリシュニの子孫よ、あたかも軍隊に命令されているかのように、人は何に強いられて望みもしない悪事に動くのでしょう。

※ クリシュナ

37.威光ある至高者が答える。

それが愛欲であり、それが怒りであり、(自然の)激動性の気質から起こるものであり、大食漢の大悪党です。この地ではそれこそが敵であると知りなさい。

※ クリシュナ

34.

感覚器官からの感覚を標的にして(愛欲を生む)貪愛 ※1と(怒りを生む)憎悪※2は成り立っています。この2つこそが、あなたにとっての敵なのですから、両者の支配を受けるべきではありません。

※1 ラーガ:快楽への愛好 ※ ドヴェーシャ:苦痛への嫌悪

38.

あたかも煙に火が覆われているかのように、汚れに鏡が覆われているかのように、また羊膜に胎児が覆われているかのように、同じようにそれによって智慧は覆われているのです。

※ ジュニャーナ

39.

妃クンティーの息子※1よ、智者※2の智慧※3は常に、満たしがたい愛欲印象の敵に覆われているのです。

※1 アルジュナ ※2 ジュニャーニ ※3 ジュニャーナ

40.

感覚、思惟、知覚は、この(敵にとっての)居場所であると言われています。これらが智慧を覆って人を惑わせているのです。

42.

(人において)感覚はより上位であり、感覚より思惟がより上位であると言われていますが、思惟より知覚がさらに上位にあります。しかしながら(真の智慧、真の自己である)ソレは、知覚を遥かに超えたものです。

41.

ですからバラタルシャバ※1よ、あなたはまず初めに感覚を制止して(無感覚に、次に思惟を制止して無念無想に、最後に知覚を制止して無知覚に至ることによって)、智慧※2と識別智※3を破壊するこの悪魔を打ち倒しなさい。

※1 アルジュナ ※2 ジュニャーナ:真智 ※3 ヴィジュニャーナ:真偽を識別する智慧

43.

このようにマハーバーフよ、自己によって自己(の感覚、思惟、知覚)を抑止し、知覚より上位のものに目覚め、倒しがたい愛欲印象の敵を打ちなさい。

30.

私のなかにすべての行為を放り投げて、自己に向かった意志を抱くことによって、私欲をなくして、私心をなくして、悲痛に離れ去られるまで(敵と)戦いなさい。

※ アートマン(真我)

31.

私のこの見解を信じ、ごねることなく常に従う者たちもまた、行為によって(行為の束縛から)解放されるでしょう。 

32.

しかし、私のこの見解に従うことのなく非難する者たちは、すべての知識に惑わされた者たちであり、廃れた者たちであり、意志のない者たちであると知りなさい。

※ ジュニャーナ


第3章 解説

「行為(ヨガ)」と題されているように、行為ヨガについて、クリシュナが説明しています。第3章は、アルジュナにとってクリシュナの説いた「行為を放棄して平等知見を手にしなさい」という指示と、「義務である戦いを遂行しなさい」という指示とが矛盾しているようにしか思えず、混乱をしているところから始まります。

要点
行為の放棄とは、行為に着手しないことではなく、定められた義務を囚われることなく遂行することです。先に話しましたが、善不善の差別知見を棄てて、どのような行為であろうと、またどのような結果であろうと、まったく執着することなく行為すること。それが平等知見を手にするための行為の放棄です。混乱は解消されましたね?

ところで、万象は自然の気質によって作用しています。多くの人は、太陽、月、風、雨などは自然の気質によって作用していることを認めていても、行為は自分が為していると考えています。不思議なことです。しかしもちろん、人の行為も例外ではありません。

つまり人の行為もまた、自然の気質によって為されています。ここで「あなたは何も為していない。あなたは行為者ではない」と言っているのです。事実としてどこにも行為者は存在していません。ただ「私は行為者である」とする誤った知見が、自然の気質によって作用しているだけなのです。

ですから実のところ、行為を放棄するという問題ではないのです。なぜなら元々あなたは行為者ではないからです。つまり「行為の放棄」とは「私は行為者である」という誤謬を棄てることであり、あるいは先に話したように「差別知見」という誤謬を棄てることに他ならないのです。

さてここで。「誤謬を放棄しなさい」と言われて、私の見解に素直に従い、誤謬を放棄する者は非常に稀です。なぜなら、人を誤謬、妄信につなぎ止めている強力な"敵"がいるからです。それが「貪愛」と「憎悪」です。そしてまたこの敵の居場所は「感覚、思惟、知覚」です。

ですからこの"敵"を滅尽するためには、あなたは「感覚対象、思惟対象、知覚対象」への関心を棄てさり、自己への熱烈な意志を抱きソコに心を留めることによって、下位の感覚を制止し、次に中位の思惟を制止し、最後に上位の知覚を制止し、彼方なる真の智慧、真の自己に到達する必要があります。

今一度言葉を変えて説明しおきましょう。行為者としてのあなたに、感受作用の停止が訪れ、想起作用の停止が訪れ、そして終に認識作用の停止が訪れたとき、そのとき「貪愛、憎悪、誤謬」を形成していた形成作用は壊滅し、行為者としてのあなたもまた崩壊し、万象の源泉・根本としてのあなたに至ります。これこそが悲痛の終焉です。

また、このような私の見解を信じることができるのなら、それだけであなたはソコへ至ることを達成するでしょう。しかし今話した通り、大抵の者は自分の誤謬を放棄することができず、「そんなバカげた話が信じられるか! 狂気の沙汰としか思えない! オレはオレが信じる道を行く!」などと敵である貪愛と憎悪に従ってしまい、私の言葉に"憎悪"を抱くものです。

しかし理由はそれだけではありません。実に、この誤謬こそが自分を形成しているからです。この自分という闇に覆われている者にとっては、妄信を信じないことは自分を失うことと同じであり、それを怖れている訳です。それでも、心が成熟し、智慧が芽生えている者にとって私の言葉は、まったく正気の沙汰であり、この上なく尊ぶべき言葉として受け入れられることでしょう。

第4章 智慧(ヨガ)と行為の放棄

蛇足と判断した詩句は非表示にしてあります。

1.威光ある至高者が答える。

不滅の私はこのヨガを(太陽神)ヴィヴァスヴァットに説き、(太陽神)ヴィヴァスヴァットは(人類の祖先である)マヌに説き、(人類の祖先である)マヌは(その子供である)イクシュヴァークに説いたのです。

2.

このように伝承されてきたヨガを王族の仙聖たちは知っていました。(しかし)パランタパよ、悠久の時の流れによって、この地からヨガは失われてしまったのです。

※ アルジュナ

3.

今まさにこの太古のヨガが、私によってあなたのために説かれたのです。(これは)あなたが至高者を信愛しているということと、私の同胞ということによります。なぜならこれは最上の密事だからです。

※ バクティ:至高者への全託

4.アルジュナが答える。

(しかし、太陽神)ヴィヴァスヴァットの誕生が先であり、あなたの誕生は先ではありません。(にもかかわらず)あなたが最初に説かれたということを、私はどのように判断したらよいのでしょう。

5.威光ある至高者が答える。

アルジュナよ、私の幾多の誕生が(悠久の時とともに)過ぎさられました。そしてまたあなたもそうなのです。私はそれらすべての誕生を知っています。(しかし)あなたは知らないのです、パランパタよ。

6.(威光ある至高者が答える。)

生まれることなく存在しており滅することもない自己は、万象の統治者としても存在しています。私は己の自然性の上に立ち、自己幻術によって出現するのです。

※ イーシュワラ

7.

王バラタの息子※1よ、美徳※2の衰退が起こるとき、不徳の横行が起こるとき。そのとき私は自己を現すのです。

※1 アルジュナ ※2 ダルマ(法) ※3 アダルマ(非法)

8.

徳ある者たちの救済のために、また罪深い者たちの消失のために、美徳を樹立させるために、私は時代、時代に現れるのです。

9.

アルジュナよ、私の神聖な誕生と行為をこのように如実に知る者は、肉体を捨ててから再誕生に赴くことはなく、私に赴くのです。

10.

私のみを思い、私を拠り所とする多くの者たちは、智慧の苦行によって清められ、私の本性に連れていかれ、貪愛、恐怖、怒りに離れさられたのです。

11.

その者たちが(敬意を払って)私を求めるように、私もまたその者たちに敬意を払うのです。プリターの息子よ、その人たちは一斉に私の道の後に続くことでしょう。

12.

この地において行為の達成を望む者たちは神々を祭るものです。なぜなら人の世界において行為による達成は、(神々を祭ることによって)速やかに起こるからです。

13.

四姓は(人の)気質作用の差異に応じて私によって作られました。(私はその作成者でありながら)またその行為者でもあるのです。(しかしアルジュナよ、)あなたは不滅の非行為者である私を知りなさい。

※ 4つの種姓。聖職、王族、商人、農民。

14.

「諸々の行為が私を汚すことはなく、行為において私の欲求はない」と、私を理解する者は諸々の行為に束縛されることはないのです。

15.

このような理解の上で、解放を求めた先達たちによっても行為は為されてきました。ですから、あなたは先達たちによって為されてきた行為を遂行しなさい。

16.

「行為とは何か? 非行為とは何か?」という論点に思索家たちもまた思索を止められます。私はあなたのためにその行為について明示します。(これを)理解したのなら、あなたは悲痛から解放されることでしょう。

17.

行為の性質とは見えにくく理解しがたいものです。(しかし)確固として、(為すべき)行為についても、(為すべきではない)悪行についても、(為していない)非行為についても覚られるべきです。

18.

行為のなかに非行為を、非行為のなかに行為を見ているだろう者。その者は(眠っている)人々のなかで覚めており、(私に)心意がつなぎ止められており、完全な行為を為す者です。

19.

すべての活動から愛欲の意思が除かれた者たちは、智慧の炎に行為を焼かれた者であり、覚者たちはその者を賢者と呼びます。

20.

行為の結果への囚われを捨てて、(結果の)支えなく常に満たされている者は、行為に携わっていてもなお、わずかも為してはいないのです。

21.

すべての所有が手放され、(結果への)期待なく、心の制御された自己は、肉体的な行為のみを為しいるのであり、(私欲によって)悪事に関わることはないのです。

22.

(意図することなく)自然に得られたものに満たされ、嫉妬を離れ、相対観念に過ぎさられて達成非達成を同一視する者は、行為を為そうとも(行為に)束縛されることはないのです。

23.

(行為の結果への)執着に去られて(行為の)束縛から解放され、智慧の心が確立し、私欲のない行為を遂行している者にとって、(精神的な)行為は完全に消滅しています。

※ 原文は「祭儀のために」

24.

根本※1は(祭火に供物を)投じるという行為であり、根本は(祭火に投じられる)供物であり、根本の祭火に、根本によって供物が捧げられています。

根本に到達したのなら、(人はこのようにすべてを根本として知覚する)根本行為三昧者※2となります。

※ ブラフマン(梵) ※2 ブラフマカルマサマーディナー

25.

あるヨガ行者たちは神への祭儀を囲みます。また他のヨガ行者たちは祭儀によって祭儀を(供物として)、根本の祭火に供えます。

26.

また他のヨガ行者たちは耳などの感覚器官を(供物として)、抑制の祭火に投じます。また他のヨガ行者たちは音などの感覚対象を(供物として)、静寂の祭火に投じます。

※ 原文は「感覚器官」

27.

また他のヨガ行者たちはすべての感覚作用、気息作用を(供物として)、智慧により燃え立つヨガの祭火に投じます。

28.

また他のヨガ行者たちは供物の祭儀、苦行の祭儀、ヨガの祭儀を為します。また誓願を遵守する修行者たちは、(聖典読誦の)自己学習による智慧の祭儀を為します。

29.

また他のヨガ行者たちは吸気に呼気を投じ、呼気に吸気を投じ、呼吸の流れを堰き止め(気息作用を制止へと導く)調気法に身を投じます。

30.

また他のヨガ行者たちは食事を節制し、生気に生気を投じます。


これらすべてのヨガ行者たちは祭儀を知り、祭儀によって(心の)汚れを滅ぼす者たちです。

31.

(結局最後は)祭儀に供えられた残りものである不死(の甘露)を食べる者たちが、永遠の根本※1に赴きます。


クルサッタマ※2よ、祭儀のない世界はありません。どうして他の世界があるでしょう。(世界は捧げ合うことによって成り立っているのです。)

※1 ブラフマン(梵) ※2 アルジュナ

32.

このように多種の祭儀が、根本の表面において繰り広げられており、これら(の祭儀)はすべて行為を因としていることを知りなさい。このように理解したのなら、あなたは(行為の)束縛から解放されることでしょう。

33.

(行為を捧げる)智慧の祭儀は、(供物を捧げる)物質的な祭儀より優れています。妃プリターの息子よ、(異なって見える)すべての行為は分け隔てなく、(結局最後は)智慧において完成するのです。

34.

あなたは(智慧ある者に)ひれ伏すことによって、質問することによって、奉仕することによって、それを知りなさい。本質を知る智慧者たちは、あなたに智慧を教示することでしょう。

35.

王パーンドゥの息子よ、(智慧を)知ったのならあなたは、再び今のように誤謬に陥ることはないでしょう。あなたは万象を余すことなく自己のなかに見ながら、私のなかにも見ていることでしょう。

※ アルジュナ

36.

仮にあなたがすべての犯罪者のなかで最も罪深い者であろうと、智慧の船をもってするのならすべての罪悪(の川)を渡ることでしょう。

37.

あたかも炎が薪を燃やして灰とするかのようにアルジュナよ、智慧の炎はすべての行為を灰にするのです。

38.

智慧によるものと同じような浄化道具などこの世界にありはしません。(克己し)自身でヨガを達成した者は、(精神的な行為の)死をもってしてそれを自己のなかに見出すことでしょう。

39.

信心あり、感覚器官の制御を重視する者は智慧に遭遇するものです。(そして)智慧に遭遇したのならすかさず、最上の寂静に到達することでしょう。

40.

理解も信心もなく疑心ある自己は(苦しみのなかに自己を)失うものです。疑心ある自己が安らぐことは、現世でも来世でもありはしないのです。

※ ジュニャーナ

41.

ヨガによって行為を放棄された者、智慧によって疑心を切断された者、(自己によって行為を)自制する者。ダナンジャヤよ、その者たちは諸々の行為に束縛されていないのです。

42.

ですから、無智から生じた自己の心中に立つこの疑心を、智慧の剣によって切断し、王バラタの息子よ、あなたはヨガの上に立ちなさい。あなたはヨガに立ち上がりなさい。

※ アルジュナ


第4章 解説

「智慧(ヨガ)と行為の放棄」と題されているように、智慧(ヨガ)と行為の放棄について、クリシュナが説明しています。ここでの「智慧」の原語は『jñāna(ジュニャーナ)』であり「知識、真智、理解力」などを示しています。第4章は、理論家にとっての智慧ヨガの教えであり、それは「行為を放棄するとはどういったことなのか? 行為とは? 非行為とは?」などを理論的に理解しなさいというところが要点と言えるでしょうか。

要点

アルジュナよ、あなたは未だにこの私をこの紺碧色の身体であると信じています。繰り返しますが、私は不生不滅の魂であり、誕生してもいなければ死ぬこともないのです。もちろんこの身体はやがて朽ちるでしょう。しかし、それが何だというのでしょう? そのような些細なことが私に影響を与えることはまったくないと知りなさい。

この身体が私であると盲信しているあなたにとっては、あたかも私が語っているかのように知覚されていることでしょう。しかし実際には、私は何ひとつ語ってなどいませんし、あなたもまたそうなのです。自己は行為者ではないからです。すべての行為は自然の気質により自ずから為されていることを思い出しなさい。

①行為とは自然の気質による作用です。あなたはその身体に王族としての義務を果たさせなさい。②悪行とは「私は行為者である」という盲信に基づき、定められた義務とは無関係に損得、成功失敗などの結果を求める意図的な行為であり「貪愛」と「憎悪」によるものです。③非行為とは「私は何も為していない」という智慧の立場から為されている行為です。

あなたは非行為者として在るそのために、万象のなかで意識が現れては消えるのではなく、意識のなかで万象が現れては消えるという明白な事実を理解しなさい。不滅の魂である真の自己とは純粋な意識であり、私は意識のなかで現れては消える想念でも、想念に形成された身体でもないのです。アルジュナよ、ヨガという智慧の炎によって偽りの行為者を燃やし尽くしなさい。

第5章 行為の放棄

1.アルジュナが答える。

クリシュナよ、あなたは(智慧による)行為の放棄に加え、ヨガ(による行為の放棄)もまた賛美しておられます。2つのなかでより優れた方を、私に説いてくだされよ。

2.威光ある至高者が答える。

(智慧による行為の)放棄と行為ヨガ(による行為の放棄)のどちらも至福をもたらします。それでも2つのうちでは(智慧による)行為の放棄より、行為ヨガ(による行為の放棄)の方が優れています。

3.

憎むことなく、期待することのない者は、常に放棄者※1であると理解されるべきです。マハーバーフ※2よ、2極として知覚されている両極を同一と見る者は、安らかに束縛から解放されます。

※1 サンニャーシン:放下者、出家者 ※2 アルジュナ

4.

愚かな者たちは、理論とヨガを別々に語りますが、賢い者たちは語りません。(なぜなら)どちらか一方が正しく遂行されたのなら、どちらの成果も同じように見出すもの(だから)です。

5.

(つまり)理論によって見いだされる立場は、ヨガによっても同じように達せられるのです。理論とヨガとを同一のものと見ている者。その者は(正しく)見ています。

6.

しかしマハーバーフ※1よ、(理解による)放棄は(行為による)ヨガなしに達成することは難しいのです。(行為による)ヨガに心意をつなぎ止めた沈黙者※2は、間もなく根本※3に到達することでしょう。

※1 アルジュナ ※2 ムニ(牟尼) ※3 ブラフマン(梵)

7.

ヨガに心意をつなぎ止め、感覚器官が制され、自己が清められ、自己が征服された者は、万象すべてが自己となり自己が万象となります。その者は(行為を)為していようと(業報の)汚れに染まることはないのです。

※ 行為の果報。善行による善報と悪行による悪報

8.

(私に)心意がつなぎ止められ(自己の)本質を知る者は、見ていようと、聞いていようと、触れていようと、嗅いでいようと、味っていようと、動いていようと、眠っていようと、呼吸していようと、「私は何も為していない」と見ていることでしょう。

9.

(また)その者は、お喋りしていようと、(矢を)射っていようと、(弓を)掴んでいようと、目を開いていようと閉じていようと、「(単に)感覚器官が感覚対象に関与している(だけのこと)」ということを熟知しているのです。

10.

根本のなかに諸々の行為を放置して、(行為の結果への)執着を手放して(行為を)遂行している者は、水によって汚されることのないハスの葉のように、悪事によって汚されることはないのです。

11.

身体によって、思惟器官によって、知覚器官によって、あるいは単に感覚器官によって、ヨガ行者たちは自己を清めるために、(結果への)執着を手放して行為を遂行します。

12.

(私に)心意がつなぎ止められた者は、行為の結果を手放して究境の寂静に到達します。(一方)心意をつなぎ止めていない者は、果報に囚われた愛欲衝動によって束縛されます。

13.

思惟器官によるすべての行為を放棄して、為すことなく、為させることなく、九門ある城郭都市のなかでその支配者(たる自己)は安らかに在ります。

※ 身体:両目、両耳、両鼻、口、尿道、肛門

14.

世界の支配者(たる自己)は、行為者を造ることなく、諸々の行為を造ることなく、行為の結果と結びつくことなく、ただ自己の本性から行動しているのです。

15.

支配者(たる自己)は、誰かの悪事を受けとることも、善行を受けとることもないのです。(しかし)智慧が無智によって覆われることによって人々は(、自己を)見誤り(誰かの悪事、善事を受けとり)ます。

16.

智慧によって無智が失わされた人々の自己にとって、智慧は最高のソレを太陽のように輝かせます。

17.

ソレを目的とし、ソレに没頭し、ソレに目覚め、ソレを自己とした人々は、智慧によって煩い悩まされた(心の)汚れが取り除かれ、今世限りの再誕生に赴き(2度と死ぬことも生まれることもない解脱に至り)ます。

18.

学識と礼儀が備えられた聖職者、牡ウシ、ゾウ、またイヌ、イヌを調理する者においても、賢者たちは平等に見ています。

※ ブラフマナ/ブラフミン(波羅門):祭司

19.

心意が平等に(見る立場に)留まっているということによって、その者たちのこの地への再誕生は克服されています。なぜなら根本は偏見なく平等に(見る者)であるため、その者たちは根本に留まっている(ことが明らかだ)からです。

20.

根本のなかに留まっており根本を知る者は、決然として見誤ることなく(平等に見ているため)、親切なことに出くわしても喜ぶことなく、不親切なことに出くわしても嫌がることはないでしょう。

21.

外界との接触に囚われていない自己は、自己のなかにある安らぎを知っています。根本との結びつきにつなぎ止められた自己は、不滅の安らぎに達しているのです。

22.

まさに接触から起こる快楽こそが苦しみの母胎なのです。(ですから)妃クンティーの息子よ、覚者は始まりと終わりを有しているそのなかで楽しむことはないのです。

※ アルジュナ

23.

この地で身体解離より先に愛欲と怒りから起こる衝動を克服することができる者は、(永遠の)安らぎにつなぎ止められる人です。

※ 死

24.

内に安らぎがあり、内に歓びがあり、そしてまた内に明かりがあるヨガ行者は、(至福である)根本涅槃、(実在である)根本存在に到達します。

※ ブラフマンニルヴァーナ(梵涅槃) ※2 ブラフマンブータ:ブータは「存在、生物、現象」などを示す。

25.

(行為による心の)汚れが滅尽された聖仙たちは、(至福である)根本涅槃に遭遇します。二元性が断ち切られ制御された自己は、すべての生きものが恵まれていることを楽しみます。

26.

意志が制御され、愛欲と怒りが離され、自己が知られた修行者たちにとって、根本涅槃は周囲に転がっています。

27.28.

解放を目的に身を投じ、外界との接触を離れ、視線を眉間に(向け)、鼻孔の内を流れる呼気と吸気を均衡にし、感覚と思惟と知覚とが制御され、欲望と恐怖と怒りに離れ去られた沈黙者。実にその者こそいつでも解放された者です。

29.

苦行祭儀の享受者であり、全世界の大君主であり、万有の友である私を知るのなら、その者は寂静に達します。


第5章 解説

「行為の放棄」と題されているように、行為の放棄について、クリシュナが説明しています。第5章は、アルジュナが「ヨガ行者にとっての行為ヨガ」と、「理論家にとっての智慧ヨガ」のどちらがより優れているのかを問うところから始まります。

それにしても『バガヴァッド・ギーター」は、「ヨガ、行為ヨガ、ヨガ行者、行為の放棄、智慧ヨガ、理論家」などなどが何を示しているのか、わざわざ理解しづらくするような言葉遣いですね……。

ヨガ:行為ヨガ

ここでの行為ヨガとは、「行為による行為の放棄」を示しています。これまで為してきた行為の果報である業報によって定められた義務を遂行することです。それはつまり、有益を求め無益を恐れ、成功を求め失敗を恐れ、善報を求め悪報を恐れなど、「二元性」という誤謬を放棄することであり、二極のうち一方を意図した「貪愛」と「憎悪」に従った悪行を為さないことです。

理論:智慧ヨガ

ここでの智慧ヨガとは、「理解による行為の放棄」を示しています。行為とは自然の気質による作用であり、自己ではなく自然によって為されている現象であると理解することです。それはつまり、「私は行為者である」という誤謬を放棄することであり、「私は行為者ではない」という理解に基づいた立場から行為を遂行することです。

要点

アルジュナよ、「行為ヨガ」と「智慧ヨガ」は、異なる山道から同じ山頂を目指すようなものなのです。行為ヨガにより、「二元性」という誤謬に囚われることなく結果を求めることのない行為を遂行するのなら、「行為者」という幻想から解放されて平等知見の智慧に辿りつきます。一方で智慧ヨガにより、「行為者」は幻想であることを如実に理解するのなら、「二元性」という誤謬から解放されて平等知見の智慧に辿りつくのです。

しかし結局のところ、どちらの山道であれ山頂に住んでいる私に辿りつくためには、私を目的として、私に心意をつなぎ止める必要があります。①「貪愛」と「憎悪」に従って外側に見える感覚対象へ向かう心意を引っ込めるために、内側に在る私に留まっているべきですし、②「私は行為者ではない」という正知を理解するためにも、非行為者としての私に留まっているべきなのです。

アルジュナよ、あなたはもうこの紺碧色の色形、あるいはクリシュナ、マーダヴァ、フリシーケーシャ、アチュータ……などなどの名前がこの私であると信じてはいませんね。ここで私が言っている【私】とはあなたのことでもあり、あなたの自己を示しています。この私は「智慧、根本、涅槃、至福、寂静、実在、絶対、生命、真我……」などとも呼ばれています。

しかしこの私は、有にして無、空にして充、絶対無相であり、この私には如何なる言葉も想像も及ぶことはありません。この私だけが存在しています。生まれ消えいく万象は幻影であり存在してはいません。私は表面的な万象の内に根本として常在しており、私なしには如何なる事象も現れることはなく、その観点においては、私はまた万象でもあるのです。アルジュナよ、あなたは沈黙し、寂静であるこの私に留まりなさい。

第6章 瞑想

原文の順番通りだと前後の脈絡が整然としていない箇所がありましたので、番号はそのままに順番を変更しています。

1.威光ある至高者が答える。

行為の結果を無視した為されるべき行為を為す者。その者は放棄者でありヨガ行者なのです。その者は家を棄てる者でもなければ行為をしない者でもないのです。

※ 原文は「祭火のない」

2.

王パーンドゥの息子よ、あなたはその者たちが「放棄」と言明したこのヨガを知りなさい。(結果を企てる)意図が放棄されていないヨガ行者など誰もいはしないのです。

3.

ヨガに登ろうとする修行者にとって根底にあるのは(意図のある)行為であると言われ、ヨガに登った者にとって根底にあるのは(意図のない)寂静であると言われています。

4.

諸々の感覚対象にも行為にも執着することなく、すべての意図を放棄したとき、そのときヨガに登ったと言われています。

5.

自己によって自己を支えるのなら、その者は自己に落ちぶれることはないでしょう。(しかし自己によって自己を支えないのなら、その者は自己に落ちぶれることでしょう。)


まさに自己とは自己にとっての結束の固い親族でもあり、(自己を落としめる)敵対者でもあるのです。

6.

(つまり)自己によって自己が克服された自己にとって自己は結束の固い親族ですが、(自己が克服されておらず)敵意のなかに住んでいる非我にとって自己は敵対者なのです。

※ アナートマン:非自己、自我

7.

(自己によって自己が)克服され、静められた自己にとっては、寒暑苦楽のなかであろうと毀誉褒貶のなかであろうと、高我と統一されています。

※ パラマートマン:至高の自己、真我

8.

粘土、岩石、黄金に対して平等なヨガ行者は、智慧と識別智によって自己が満たされ、感覚器官が征服され、最高位(の真我)につなぎ止められた者と言われているのです。

※ ヴィジュニャーナ:真偽(実在と幻影、自己と非自己)を識別する智慧

9.

友人、味方、敵、中立者、第三者、憎しみのある者、親族において、また善人と悪人において平等と知覚する(平等知見を有する)者は、大いに尊ばれるものです。

10.

心の制御された自己は、期待することも所有するものもなく、独り密かな場所に留まっているものであり、ヨガ行者はいつのときも自己を(ヨガに)つなぎ止めているものです。

11.12.13.

自分にとって高すぎることも低すぎることもない安定した坐椅子を、草と皮と布を敷き重ねた清浄な場所に置き、


そこに坐法を組んで坐り、真っ直ぐの体幹、頭、首を不動の安定に保たせ、周囲を見させることなく自身の鼻先を見て、心意にひとつの対象を掴ませて、


心理器官と感覚器官の活動が制御された(ヨガ行者は)、自己浄化のためのヨガにつなぎ止められているのです。

15.

このように、いつのときも自己を(ヨガに)結合させている制御された心意のヨガ行者は、私に内在する究境の涅槃、寂静に達するのです。

16.

アルジュナよ、ヨガ(との結合)は、食べすぎる者にはありませんし、何一つ食べない者にもありません。また、眠りすぎる癖のある者にはありませんし、(眠らず)覚めている者にもありません。

17.

苦しみを滅するヨガ(との結合)は、適量な食事を楽しむ者にあり、諸々の行為において適切な行動をする者にあり、適量な睡眠と覚醒をする者にあるのです。

18.

制止された心が自己のなかに留まるとき、すべての愛欲から逃れるでしょう。そのときその者は「(ヨガに)つなぎ止められた者」と言われています。

19.

ヨガ行者の制止された心とは、ヨガに結合している自己とは、「あたかも風のないところに立っている灯火が揺れ動かないようなもの」と聞かされています。

20.

ヨガへの奉仕によって制止させられた心がソコに立ち止まっているとき、また自己によって自己を観ているとき、その者は自己のなかで満足しているのです。

21.

また本質的に揺れ動くことなくソコに立っているその者こそが、知覚が捉える感覚を超えた永遠の安らぎを知るのです。

22.

また(永遠の安らぎに)遭遇した者であるのなら、他のものに遭遇したとしても最高のものではないと考えます。


(ソコに)立っている者においては、重い苦しみによっても(軽い楽しみによっても)揺れ動かされることはないのです。

23.

その者は「苦との結合からの分離」と知られたこのヨガを知ることでしょう。このヨガとは、落ちぶれることのない確固とした意志によって、(自己に)つなぎ止められるものです。

24.25.

意図から生じる愛欲を余すことなくすべて棄て、(四方八方へ向かう)感覚器官の集団を心意によって全方位くまなく制止し、


心意を自分自身に向けた後には、少しも思惟させるべきではないのです。堅固に保たれた自覚によって、次第に、次第に、その者は立ち止まることでしょう。

※ ブッディ(覚):知覚・認識器官、知覚・認識、知見・見解、知性・理性、理解・判断

26.

定まることなく動きまわる心意はアッチコッチへと向かいます。アッチコッチへ向かうこの心意を自己のなかに引きとめ支配下に置くべきです。

27.

静められた心意のそのヨガ行者にこそ、激動性※1が寂滅された汚れのない根本存在※2、至高の安らぎが訪れるのです。

※1 ラジャス:激動質、歪曲性 ※2 ブラフマンブータ

28.

このように、いつのときも自己を(ヨガに)結合させており、汚れに離れさられたヨガ行者は、根本との接触、永遠なる安らぎに安らかに到達することでしょう。

29.

ヨガにつなぎ止められた自己は、どのようなときも同じものを見ています。その者は万象に存在している自己を見ていますし、万象を自己のなかに見ているのです。

30.

すべてに私を見る者は、私のなかにすべてを見てもいるのです。その者にとっては私が見えなくなることはなく、私にとってもその者が見えなくなることはないのです。

31.

万象に存在している者は、唯一私だけに向けられた敬意を払っているものです。このヨガ行者はどのように生きていようとも、私のなかに留まっているのです。

32.

(万象に存在している)自己との比較によって、安らぐときあるいは苦しむとき、どのようなときも同等であると見ている者。アルジュナよ、このヨガ行者は何より優れていると見なされてきました。

33.アルジュナが答える。

マドゥスーダナよ、このヨガは平等なるあなたによって説かれたものです。(しかし)この私は動揺しているため、安定した立脚地が見えないのです。

34.

クリシュナよ、心意は確実に揺れ動き、掻き乱れ、力強く、頑なに固められているのです。私はこの捕獲を、風のように非常に捕まえがたいと思っているのです。

35.威光ある至高者が答える。

確かにマハーバーフよ、揺れ動く心意は捕まえがたいものです。しかし妃クンティーの息子よ、修習※1と離欲※2とによって、これは捕獲されるものです。

※1 アビャーサ:繰り返しの練習 ※2 ヴァイラーギャ(離貪愛):貪愛から離れた心理態度

36.

制御されていない自己によるのならヨガは到達しがたいというのが私の見解です。しかし努力するという方法によって、従順な自己によるのなら到達することは可能なのです。

37.アルジュナが答える。

(ところで、私には気になる疑問があるのですが、)信心によって着手されていたヨガから心向きが逸れてしまい、努力しなくなった者は、ヨガの達成に到達されることはないでしょう。


クリシュナよ、その者はどのような進路を歩むのでしょう?

38.

(智慧と行為)どちらも奪いさられ、根本の正道のなかで惑わされ拠り所を失った者は、マハーバーフよ、ちぎれ雲のように消えさるのではないでしょうか?

39.

クリシュナよ、あなたは私のこの疑問を余すことなく断つことができるでしょう。なぜならこの疑問の伐採者はあなたの他にはいないのですから。

40.威光ある至高者が答える。

妃プリターの息子よ、現世であろうと他世であろうと、その者の消失が見られることはないでしょう。なぜなら善行を為す者は誰であれ、悪路に向かうことはないからです。

※ アルジュナ

41.

ヨガから落ちぶれた者は、善行者の世界に赴き、悠久の年月(そこに)留ったのなら(再びこの地に赴き)、清純で威光のある者の家庭に生まれることでしょう。

42.

あるいは賢明なヨガ行者たちの親族のなかに生まれることでしょう。このような事例で誕生することは、この世界において本当に遭遇しがたいことなのです。

43.

そこでその者はかつての行為を因としてこの知見と関わりあうことに遭遇するのです。クルの子孫よ、そこでその者は再び達成に向けて努力しはじめるのです。

※ アルジュナ

44.

その者のかつての修習によってその意思に関わらず(ヨガに)魅かれてしまうものです。


またその者は、(実在としての根本を知る)ヨガの探求に関心を持ちはしても、(机上の空論に過ぎない)言葉としての根本に関心を持つことはないでしょう。

45.

(実在としての根本を知ろうとする)意志から努力しており、(心の)汚れが清められ、幾多の誕生(の終焉)を達成したヨガ行者は、至高の行きどころに行きつくのです。

46.

ヨガ行者は、苦行者たちよりもなお優れており、有識者たちよりなお優れていると見なされてきました。そしてまたヨガ行者は、(慈善)活動家たちよりも優れているのです。


ですからアルジュナよ、あなたはヨガ行者となりなさい。

47.

(また)すべてのヨガ行者たちのなかでも、内なる自己によって私まで導かれ、私を信じ、私に敬意を払う者は、私のために私に最もつなぎ止められた(最も優れた)者と見なされてきました。

14.

根本に従う(禁欲的)生活の誓いを守り、心意が制御されて私につなぎ止められ、恐怖に離れさられて静められた自己が、私に没頭して坐っているべきなのです。


(ですからアルジュナよ、私以外の何ものにも心寄せることなく、私のみを愛しなさい。)

※ ブラフマチャーリン(梵行)


第6章 解説

「瞑想」と題されているように、瞑想(ヨガ)について、クリシュナが説明しています。ここでの「瞑想」の原語は『dhyāna(ディヤーナ)』であり「静慮」とも訳されています。ちなみにパーリ語では『jhāna(ジャーナ)』であり仏教では「禅那、禅定、禅」とも音訳されています。

要点

アルジュナよ、あなたが勘違いしないように繰り返しましょう。行為ヨガにおける「行為の放棄」とは、行為の結果を放棄することであり、言葉を変えて言うのなら、期待に基づき善悪一方に偏った「意図」を放棄することであり、それは善い結果であれ悪い結果であれ、あらゆる結果を平等と見なすことです。

このように意図を放棄しようとするヨガ行法は「離欲」と呼ばれ尊ばれています。ヨガ行者は、いついかなるときもこの離欲を心掛けており、意図を抱いた行為を慎んでいるものなのです。そしてすべての意図が放棄されたそのときこそ、離欲の達成であり、平等知見であるヨガに登ったと言われているのです。

そしてそのためにも、意図を抱いて感覚対象へ彷徨いでる心意を「自己」につなぎ止めておこうとするヨガ行法が「修習」と呼ばれ尊ばれています。ヨガ行者は、いついかなるときもこの修習を心掛けており、意図を抱いた心意が彷徨いでることを慎んでいるものなのです。これは「瞑想」あるいは単に「ヨガ」とも呼ばれています。

ヨガ:瞑想ヨガ

ここでの瞑想ヨガとは、「瞑想による行為の放棄」を示しています。これまでの記憶に基づく「貪愛」と「憎悪」に従い、期待ある意図を抱いて感覚対象へと彷徨いでる心意を、「自己(私感覚、存在感覚、中心感覚、その場、今ここ、意識)」につなぎ止めておこうとする努力のことです。

  1. 静寂、安定、清潔な場所に坐椅子を置く
  2. 坐椅子に坐法を組んで坐る
  3. 姿勢を直立不動に安定させる
  4. 心意を「自己」につなぎ止めておく

心意が対象に囚われていると自覚した時点で、直ぐさまその心意を自己に引き戻す作業の繰り返しが修習であり、瞑想と呼ばれています。自覚したその時その場で、何度でも何度でも引き戻すことにより、つまりは絶え間なく自覚を保つことにより、次第に、次第に、自己に留まるようになるのです。

過不足注意

過食不食、過眠不眠、過動不動などは、眠気、倦怠感、無気力、不活発などを招き自覚を保ちづらくなります。一方に偏ることなく満腹と空腹、覚醒と睡眠、活動と休憩のバランスをとることにより、自覚を保ちやすくなります。

規則正しい生活が修行生活の基本ということです。

自己によって克服されていない心意とは、その本性から何かしらの期待、意図を抱いた「貪愛」と「憎悪」に従い感覚対象へと彷徨いでるものです。しかし、この暴れ馬のような心意を「自己」につなぎ止めておこうとする確固とした意志を奮い立たせて瞑想に励む者こそが、ヨガ行者と呼ばれ誰よりも尊ばれてきたのです。

さらに修行者たちのなかでも、私を目的とし、私のみを求め、私のみを愛する者は、苦労することなく安らかに私に近づくのです。しかし、私以外の何かを愛する者たちは私から遠ざかり、努力の甲斐なく私に近づくことに苦心するのです。ですからアルジュナよ、あなたは私のみを愛する最も優れたヨガ行者になりなさい。

第7章 智慧と識別智

1.威光ある至高者が答える。

妃プリターの息子よ、私に囚われた心意が、私を拠り所とするヨガにつなぎ止められているのなら、あなたは間違いなく完全に私のように理解することでしょう。(さあ、)それについて聞きなさい。

2.

私はあなたに識別智をともなう智慧、これについて完全に語りましょう。これを理解したのなら、もはやこの地で理解されるべき他のことなど残されてはいないのです。

3.

千人のなかに、達成のために努力する者が誰かいるでしょうか? さらに達成のために努力している者のなかに、本質的に私を知る者が誰かいるでしょうか?

4.

私の状態※1は「地、水、火、風、空、思惟、知覚、そして偽我※2」と8つに分離されています。

※1 プラクリティ(自性) ※2 アハンカーラ:心に形成される自己観念。自我

5.

しかしこれは劣るものです。マハーバーフよ、あなたはこれとは別の何より優れた生命存在としての私の状態を知りなさい。ソレによってこの世界は維持させられているのです。

※ アルジュナ

6.

ソレが万象の母胎であるとあなたは見なしなさい。私は全世界が生起する源泉であり、また消滅する帰結でもあるのです。

7.

ダナンジャヤよ、私より大きい他のものなど何もありはしないのです。糸によって貫かれた真珠のように、私によって万象は貫かれているのです。

※ アルジュナ

8.

妃クンティー息子※1よ、(例えるのなら)私は水における味であり、私は月と太陽における光、全聖典※2における原始音※3、空気における音、男性における勇気として在ります。

※1 アルジュナ ※2 ヴェーダ ※3 プラナヴァ:ॐ(オーム)

9.

また大地における善良な芳香、炎における光として在り、また生命体における生命、苦行者における苦行として在ります。

10.

妃プリターの息子よ、あなたは私を万象の永遠なる種子であると知りなさい。私は知力ある者たちにとっての知力、光輝ある者たちにとっての光輝として在ります。

11.

また私は力ある者の力であり、バラタルシャバよ、義務に反する愛欲・貪愛に離れられた私は現象における愛欲として在ります。


(要するにアルジュナよ、私は表面的な事象を生みだす根本として在り、万象はこの根本に貫かれているのです。)

※ ダルマ(法)

12.

また純粋質※1を有する者たちも、激動質※2と停滞質※3を有する者たちも、私から生まれるということをあなたは知りなさい。


しかし私がそれらの者たちのなかに在るのではなく、それらの者たちが私のなかに生まれるのです。

※ ①サットヴァ:純粋質・照明性 ②ラジャス:激動質・歪曲性 ③タマス:停滞質・隠覆性

13.

この三気質が起こることによってこの全世界は困惑させられ、これらのために何より優れた不滅の私を理解しないのです。

※ グナ

14.

この神なる気質からなる私の幻術は確かに渡りがたいものです。(しかし)私のもとに来る者たちは、確かにこの幻術を渡る者たちなのです。

15.

惑わされた罪人たちは私のもとに来ることはないのです。幻術によって智慧が運びさられた低俗な者たちは、鬼神アシュラの生存によって支えられているものです。

16.

アルジュナよ、4種の慈悲深き善良な人々が私に敬意を払うことでしょう。(それは)苦悩させられた者、(真実を)探求する者、利徳を熱望する者、そして智慧ある者※1です、バラタルシャバ※2よ。

※1 ジュニャーニ:智慧者、真理を理解する者 ※2 アルジュナ

17.

その者たちのなかでも、唯一の至高者に敬意を払うことに常につなぎ止めらた智慧ある者は、大いに尊ばれるものです。確かに、私は智慧ある者にとって最愛の者であり、その者は私にとってもまた最愛の者なのです。

18.

確かにその(4種の)者たちはみな高尚ですが、智慧ある者は私の自己(つまり私そのもの)と見なされ尊ばれています。事実として、(私に)つなぎ止められたその自己とは、無上の行きどころである私に留められ(私と同化し)ているのです。

19.

幾多の誕生の終焉のなかで、智慧ある者は私のもとに来るのです。「すべてはヴァースデーヴァ※1である」と(知る)その者は、極めて得がたい大我※2なのです。

※1 クリシュナ、ヴィシュヌ神 ※2 マハートマン:偉大な自己、真我

20.

様々な愛欲によって智慧が運びさられた者たちは、自身の性質によって制限された各々の決めごとに従って、異なる神々のもとへ行きます。

21.

どのような信者※1が、どのような姿形(の神)を敬愛することを選ぼうと、私はそれぞれの信者に不動の信心を分け与えます。

※1 バクタ:帰依者、信愛ある者

22.

その信心によって(各々の神に)つなぎ止められたその者は、利益がもたらされることを(各々の神に)願うものです。するとその者は、私によって分け与えられた諸々の利益に遭遇するのです。

23.

しかし、神々を祀る小賢しい者たちの(遭遇する)果報は限りあるものであり、その者たちは(各々が信愛する)神のもとへ赴きます。


(その一方、)私の帰依者たち(の遭遇する果報は限りない私そのものであり、その者たち)は私のもとに赴くのです。

24.

(自己を)覚っていない者たちは、(決して現れることのない)非顕現の私を、顕現(であるこの世界)に現れている者と考えています。不滅、無上、何より優れた私の存在に無智なのです。

※ アブッディ

25.

自己幻術によって覆われた私は、(幻術によって現れて見えるこの世界の)どこにも現れていません。(幻術に)惑わされたこの世の人々は不生不滅の私を理解しないのです。

26.

アルジュナよ、私は過去・現在・未来の現われを知っています。しかし(現われではない)私を知る者は誰もいないのです。

27.

王バラタの子孫よ、願望と憎悪から生じる二元性の誤謬によって、万象は出現において誤謬へと進行するのです、パランパタよ。

28.

しかし私に確固とした敬意を払う善行の人々は、その(願望と憎悪という)悪事が終局に行きつき、二元性の誤謬から解放されるのです。

29.

(また)老いと死から解放されるのために私を拠り所として努力する者たちは、根本なるソレを、自己に関することの全部を、また完全なる行為を、知ることでしょう。

30.

(このように)現象、神、また祭儀に関することにともない私を知る者たちは、死にぎわにおいてもなお私につなぎ止められていることもまた知っているのです。


第7章 解説

「智慧と識別智」と題されているように、智慧と識別智について、クリシュナが説明しています。ここでの「智慧」の原語は『jñāna(ジュニャーナ)』であり「知識、真智、理解力」などを示しています。一方「識別智」の原語は『vijñāna(ヴィジュニャーナ)』であり「認識力、識別力、洞察力、理解力」などを示しています。

智慧:知識
  1. 広義:観念的知識(対象)
  2. 狭義:非観念知識(非対象)
識別智:認識力
  1. 広義:観念的認識力(対象と対象の識別)
  2. 狭義:非観念認識力(対象と非対象の識別)

要点

アルジュナよ、今のあなたは現れである現象と、現れではない私を混同しています。あなたは私を見ていません。なぜなら、あなたは私を見ることができないからです。なぜなら、私はこの世界のどこにも現れていないからです。なぜなら、私はこの世界の源泉として在る者だからです。

私は現象に関わってはいませんが、現象は私の幻術によって、私から現れでては私へと消えさるものです。例えるのなら、私は海における水であり、現象は海における波と言えるのです。私は水の動きとして現れる波ではなく、不動の本質である水として在るのです。

現象と私を混同することは「無明」と呼ばれ、この混同を識別する智慧は「識別智」と呼ばれています。現象は知覚認識できる対象であり、私は知覚認識できない非対象です。現象こそが無智、幻影、偽我であり、私こそが真智、実在、真我です。

私につなぎ止められることによって、感覚を超え、思惟を超え、偽我を超え、知覚を超え、すべての対象を超えて非対象である私のもとに来る者こそが、真と偽を知るのです。ですからアルジュナよ、現象に心寄せることなくその源泉、私に向かいなさい。

第8章 不滅の根本

蛇足と判断した詩句は非表示にしてあります。

1.アルジュナが答える。

その根本とは何なのでしょうか? 自己に関することとは何なのでしょうか? 行為とは何なのでしょうか? プルショーッタマよ。


また、現象に関することと述べられたことは何なのでしょうか? 神に関することと言われることは何なのでしょうか?

※ クリシュナ

2.

祭儀に関することとは何であり、その際この身体においてどのようにして執り行われるのでしょうか? マドゥスーダナよ。


また、死にぎわにおける自制心ある制御された自己たちに、どのようにしてあなたの存在が理解されるのでしょうか?

※ クリシュナ

3.威光ある至高者が答える。

不滅の根本とは何より優れた最高の者です。自己に関することとは自らの本性のことと言われています。根源から生じた現象が現れでることが行為と知られています。

4.

現象に関することとは消滅生起のことです。そして神に関することとは魂※1のことです。祭儀に関することとは、その際に身体において私として執り行うことです、身体を所有する者たちのなかで最上の者※2よ。

※1 プルシャ ※2 アルジュナ

5.

また、死にぎわにおいて私を想い起こす者は、身体から解放されてから私の存在に向かって行く者です。その際、その者は疑いなく(私として)在るのです。

6.

また、身体を放棄する最期において想い起こしている様々な心理状態に(従って)様々なところ行くのです。妃クンティーの息子よ、いつのときもそれは想い起こさせられた心理状態(に従うの)です。

※ アルジュナ

7.

ですからあなたは、すべての時のなかで私を想い起こしなさい。そして私のなかに置かれた思惟器官と知覚器官と(が私から彷徨いでていかないように)戦いなさい。あなたは疑いなく私に到達することでしょう。

8.

修習のヨガにつなぎ止められることによって、他のものに向くことのない意志によって、想い起こさせている何より優れた最高の神なる魂※1に赴くのです、妃プリターの息子※2よ。

※1 プルシャ ※2 アルジュナ

9.10.

死にぎわにおいて正しく眉間に気を入れたのなら、不動の心意によって、また至高者を信愛すること※1によって、つなぎ止められたヨガの力によって、


精妙なものより精妙、想像不可能な姿形、すべての支持者、(闇に覆われた)停滞質※2から遠く離れた(光輝く)アディティに属する種姓である太古の賢人、教師


を想い起こすであろう者は、何より優れた最高の神なる魂※3のもとに行く者です。

※1 バクティ:至高者への献身 ※2 タマス:停滞質・隠覆性 ※3 プルシャ

11.

聖典※1を知る者たちが不滅のものと告げるもの、貪愛から離れた修行者たちが落ち着くところ、根本に従う生活※2をする者たちが探求しているもの、私は完全さをもってソレをあなたに告げましょう。

※1 ヴェーダ ※2 ブラフマチャリヤ(梵行)

12.13.

すべての(外界への)門を制止し、内奥に心意を閉じ込め、自己の気を眉間※1に固定して、「オーム」という唯一不滅の根本(を示す原初音※2)を唱え、


私を想い起こし、ヨガ瞑想に留められ、出て行く身体を放棄している者。その者は、何より優れた最高の行きどころに行きつきます。

※1 原文は「頭頂、最高位、先端」 ※2 プラナヴァ

14.

いつのときも意志を絶やさず常に私を想い起こし、常につなぎ止められているヨガ行者にとって、私は発見しやすいことでしょう、妃プリターの息子よ。

※ アルジュナ

15.

私に赴き、苦しみの住処である儚い再誕生に遭遇することのない大我は、何より優れた最高の達成に連れて行かれたのです。

※ マハートマン:偉大な自己、真我

16.

アルジュナよ、天国から地獄に至るまでことごとく、諸々の世界とは(何度でも)再帰する世界なのです。しかし妃クンティーの息子よ、私のもとに赴いたのなら再誕生などありはしないのです。

※ ブラフマブヴァナ:梵天界

17.

根本の万年かけて終わる昼、万年かけて終わる夜を知った者は、昼夜を知る人々です。

※ 千ユガ

18.

夜が明け(目覚め)ると非顕現からすべての顕現が現れでます。夜にな(り眠)るとそれらはそこで、非顕現と呼ばれるもののなかに溶解されるのです。

19.

現象の集まりであるこの顕現は、現れでても、現れでても、夜にな(り眠)るとその意思にかかわらず(非顕現のなかに)溶解されるのです。


妃プリターの息子よ、夜が明け(目覚め)るとそれらは(その意思にかかわらず非顕現から)現れでるのです。

※ アルジュナ

20.

しかし、これより高い他の存在であり、永遠の非顕現から現れでることのないもの。これは万象が消失されようとも失われることはないのです。

21.

非顕現は不滅のものと言われています。何より優れた最高の行きどころと呼ばれるこれに到達したのなら、その者たちは(諸々の世界に)再帰することはないのです。それが何より優れた最高の私の住居なのです。

22.

妃プリターの息子よ、この至高の魂※1はソレを信愛すること※2に傾倒することによって見いだされるものです。現象はソレの内に現れるものであり、すべてであるソレによって満たされているのです。

※1 プルシャ ※2 バクティ

23.

バラタルシャバよ、死を迎えたヨガ行者たちが、どのような時期に不再帰に、また再帰へと赴くのか、その時期について私は告げましょう。

※ アルジュナ

24.

火、光、昼、白月、太陽が北上する6ヶ月の時期に(象徴される無智の闇を払い除けた)根本を知る人々が死を迎える場合、根本(不再帰)に赴きます。

25.

煙、闇夜、黒月、太陽が南下する6ヶ月の時期に(象徴される無智の闇に覆われ未だ根本を知らない)ヨガ行者が死を迎える場合、月の光輝(のような善行者の赴く天界)に到達してから再帰へ赴きます。

26.

この明暗2つの分かれ道は、人々にとって永遠(の真理)と見なされるものです。一つは不再帰に行き、もう一つは再び転じるのです。

27.

妃プリターの息子よ、この2つの道が理解されているヨガ行者は誰も惑わされることはないのです。ですから、すべての時においてヨガにつなぎ止められる者でありなさい、アルジュナよ。

※ アルジュナ

28.

これを知って、聖典、祭儀、また苦行、布施において定められた善行の果報のすべてをやり過ごすヨガ行者は、何より優れた最高の原初なる立場に赴くのです。


第8章 解説

「不滅の根本」と題されているように、不滅の根本について、クリシュナが説明しています。ここでの「根本」の原語は『brahman(ブラフマン)』であり「全世界を支配する原理」などを示しています。また第8章では、諸々の世界への再帰を終焉させる「明道」と、諸々の世界への再帰を繰り返す「暗道」の2つの道について説かれています。

要点

アルジュナよ、不滅の根本とは何より優れた最高のものであり、決して現れでることのない万象の根源であり、始まりも終わりもない原初の立場であり、そして私の本性です。この私は万象の遥かかなたに在り、万象に関わってはいませんが、私の自然性という自己幻術によって万象は自ずから私のなかに現れでて、そして私のなかに消えさるのです。

あなたは不滅の私のもとへ来るために、坐っているときに限らず、目覚めているときはいつのときも、油断なく私に心意がつなぎ止められているべきです。努力なく心意が不動になるとき、あなたは私の本性である根本を知ることでしょう。そして、無智の覆いが払い除けられたあなたは、もはや諸々の世界に回帰することはないと自身で明確に覚ることでしょう。

一方で、無智に覆われている者たちは、自身の本性を知らぬまま諸々の世界を彷徨い続けます。悪行により地獄に堕ちては地上に帰り、善行により天国に昇っては地上に帰り、善行と悪行を為している行為者として果てしなく転生を繰り返しているのです。この輪から解放されるには、悪行も善行も放棄し、行為者としての自身を放棄しなければなりません。

好き嫌いに基づく意図的な行為、差別知見が、自己の本性を覆い隠しているのです。好きを求めようとする意図、嫌いを避けようとする意図を放棄しなさい。自然と来るものを拒むことなく自然と去るものを追うことなく享受しなさい。あるいはあなたの行為は私の自然性に完全に支配されていることを調べなさい。なによりも私に心を寄せ、いつのときも私を忘れずに覚えておきなさい。

第9章 王の明智と王の秘密

1.威光ある至高者が答える。

それでは、不服のないあなたに最高位の秘密を告げましょう。(この)識別智をともなう智慧を理解するのなら、あなたは悲痛から解放されることでしょう。

2.

これは王の明智であり、王の秘密であり、最上の浄化具であり、自明の理であり、とても安らかなものであり、不滅のものです。

※ ダルマ(法)

3.

パランパタ※1よ、この真理※2を信じない人たちは私に到達することはなく、生死輪廻の道のなかに再帰するのです。

※ アルジュナ ※2 ダルマ(法)

4.

この諸世界すべては非顕現である私によって満たされ、万象は私のなかに現れでますが、私はそれらのなかにはいません。

5.

万象のなかにいない私の自己が万象を生みだしているのです。あなたは私のなかに現れでる万象ではなく、万象を支持する威厳ある私の存在を見なさい。

6.

あたかも膨大な空気が空間のなかに満遍なくあるように、すべての現象は私のなかに満遍なくあるという見解を支持しなさい。

7.

妃クンティーの息子※1よ、時※2の終わりのなかで万象は私本来の状態※3に移行し、時の始まりのなかで私はそれらを再び生みだすのです。

※1 アルジュナ ※2 カルパ(劫) ※3 プラクリティ(自性)

8.

私は自身の自然性に依存し、私の意思に関わることのない自然の力により、この現象の集まりすべてを、新たに、新たに、生みだしているのです。

※ プラクリティ(自性)

9.

またダナンジャヤよ、それら(自然による)作用は、私を束縛することはないのです。(なぜなら私は)それらの作用のなかに囚われることなく無関心(無関係)に留まっている(からな)のです。

※ アルジュナ

10.

目撃者である私によって自然は動きまわる(激動質※1の)ものと動きをとめる(停滞質※2の)ものとを生産しています。妃クンティーの息子※3よ、この原因によって諸世界は絶えず変化しているのです。

※1 ラジャス:激動質・歪曲性 ※2 タマス:停滞質・隠覆性 ※3 アルジュナ

11.

惑わされた者たちは、何より優れた最高の存在であり、万象の偉大な主である私を覚ることなく、人間の身体に留められた(かのように見える)私を軽蔑するのです。

12.

無益な希望を抱く者たち、無益な行為を為す者たち、無益な知識を持つ者たち、混乱した愚かな者たちは、まさに自然を混乱させる鬼神アシュラに乗っとられているのです。

13.

しかし妃プリターの息子※1よ、何も思惟することのない偉大な者※2たちは、不滅なる万象の根源を覚って、神なる状態に留められた私に敬意を払うのです。

※1 アルジュナ ※2 マハートマン:偉大な自己

14.

いつのときも、私を賛美する者たち、また私を目的として努力している者たち、また私に帰依している者たちは、私を信愛することによって常に私につなぎ止められている者たちです。その者たちは私のもとに来るのです。

※ バクティ

15.

また他の者たちは智慧の祭儀によって、同じように私を祭っているのです。その者たちは単一の私を祭ることによって、あるいは全方位に満ち、多様に分離した私を祭ることによって、私のもとに来るのです。

16.

私は供儀であり、私は祭儀であり、(先祖に供物を捧げるときに発する言葉)「スヴァダー」であり、私は(祭儀に使用する)薬草であり、私は(祭儀で唱えられる聖典の)言葉であり、私は(供物の)バターであり、私は祭火であり、私は供物を捧げられる者なのです。

※ マントラ:真言

17.

私は諸世界の父であり、母であり、支持者であり、祖父であり、聖音オームと知られた浄化の聖句であり、讃歌聖典※1、詠歌聖典※2、祭詞聖典※3(の3聖典)なのです。

※1 リグヴェーダ ※2 サーマヴェーダ ※3 ヤジュルヴェーダ

18.

(つまり私は最後の)行きどころであり、(万象の)支持者、支配者、目撃者であり、(万象が心寄せる)宿泊所、避難所、友であり、(万象の生まれる)源泉であり、(万象の消えさる)帰結であり、(万象が動きまわる)場所、容器であり、(万象を芽生えさせる)不滅の種子なのです。

19.

私は(大地を)熱しています。私は(大地に)雨を降らしては止ましています。また私は不死と死であり、存在と非存在なのです、アルジュナよ。

20.

3聖典に精通し、祭儀によって私を祭ってソーマ※1を飲み、悪事が清められ、天国に赴くことを懇願する功徳ある善良な者たちは、インドラ神の世界に腰を下ろして、神なる天国のなかで神々の享楽を味わうのです。

※1 祭儀で飲まれる飲料。高揚感、霊感をもたらす

21.

その者たちはその天界をのびのびと享受して、功徳が尽きるとともに死のある世界に戻るのです。このように3聖典の義務に従って庇護を求め、多様な愛欲を抱く者たちは、アッチへ行ってはコッチへ戻ることを繰り返します。

22.

私に注意を向けることに傾倒し、常に心意がつなぎ止められ、私のもとに留まっている者たちの安全を、私は確保し、保障します。

23.

しかし妃クンティーの息子※1よ、私以外の神像を信愛※2して祭儀を執り行う者たちは正道に反してはいますが、実のところ私に対する祭儀を執り行っているのです。

※1 アルジュナ ※2 バクティ

24.

なぜなら私はすべての祭儀の享受者でもあり、また支配者でもあるからです。しかしその者たちは私の本質を覚らないことによって、私から落ちぶれ(再帰す)るのです。

25.

神々の崇拝者たちは神々のもとに赴き、先祖の崇拝者たちは先祖のもとに赴き、精霊の供養者たちは精霊のもとに赴き、私を祭るものたちは私のもとに赴くのです。

26.

私に信愛をもって捧げられた葉、花、果実、水を、私は(私に)自己を捧げる者から受けとります。


(私に供物を受けとられたその者は、私から私自体を受けとることでしょう。)

※ バクティ

27.

(ですから)妃クンティーの息子よ、あなたが為すこと、食べること、投じること、捧げること、苦行すること。これをあなたは私に投じる捧げものとして遂行しなさい。

※ アルジュナ

28.

このようにするのなら、諸々の善行不善行の果報による行為の束縛から、あなたは解放されるでしょう。放棄のヨガにつなぎ止められ束縛から解放された自己は、私のもとに来るのです。

29.

私は万人に対して平等であり、私には憎むべき人、愛おしい人はいません。(ですから)私に敬愛をもって敬意を払う者たちは、(平等に)私のなかに赴きますし、私もまた(平等に)その者たちのなかに赴くのです。

30.

たとえ極悪人であろうと、他の何にも敬意を払うことなく私に敬意を払う者は、善人と見なされるべきです。なぜならその者は正しく心が定められたからです。

31.

真理に従う自己は、直ちに永遠の寂静に赴きます。妃クンティーの息子※1よ、あなたは私の信愛者※2は(永遠に)消えることがないと覚りなさい。

※1 アルジュナ ※2 バクタ

32.

プリターの息子※1よ、確実に私に避難するのなら、悪報から母胎に宿る者たちも、女性たちも、庶民階級※2の男性たちも、従僕階級※3の者たちもまた、何より優れた最高の行きどころに行きつくのです。

※1 アルジュナ ※2 ヴァイシャ ※3 シュードラ

33.

まして善良な聖職者階級※1たち、また王族階級※2の私の信愛者※3がどうして行きつかないでしょうか。常ならざる悲痛のこの世界に生まれたからには、あなたは私に敬意を払いなさい。

※1 ブラーフマナ(波羅門) ※2 クシャトリヤ ※3 バクタ

34.

私を思惟し、私を敬愛する者でありなさい。私を祭り、私に帰依しなさい。このように自己を私につなぎ止めたのなら、あなたは私のもとに来ることでしょう。


第9章 解説

「王の明智と王の秘密」と題されているように、最高位の明智と、最高位の秘密について、クリシュナが説明しています。ここでの「明智」の原語は『vidya(ヴィディヤー)』であり「知識、学問」などを示しています。この明智がないことが『avidya(アヴィディヤー)』と呼ばれ、「無明、無知」と翻訳されています。この「無明」こそがまさに最高位の煩悩であり、「貪愛」と「憎悪」を生む原因です。つまり第9章では、この「無明」を取り除くための真理が説かれていると言えるでしょう。

要点

アルジュなよ、何度でも語りましょう。私は万象の根本であり、諸世界の土台として空間のように満遍なく行き渡っています。そのなかで何もかもが現れでては消えさっているのです。ですから、何が生まれようと空間のような私はそのままであり、何が死のうと空間のような私はそのままなのです。たとえ全世界が消えてなくなろうとも、空間のような私は常にその背景として存在しているのです。

アルジュナよ、何度でも語りましょう。あなたは万象に心を奪われてはいけません。万象の根源である真我に心を寄せなさい。すべてを真我に捧げなさい。これがヨガの心髄なのです。これが「離欲」であり「修習」なのです。どのような人間であろうと真我を信愛し、心意が真我につなぎ止められた者こそが、真我である私のもとへ来るのです。この単純な真理を信じ、あるいは理解して実践する者こそがヨガ行者なのです。


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参考にした文献

神の詩-バガヴァッド・ギーター

神の詩-バガヴァッド・ギーター

■著 者:田中嫺玉
■発売日:2008年9月
■値 段:2,200(税込)