2019-10-08

勢力

正しい姿勢を一から習う

前回までのレッスンでは、正しい姿勢の原理原則である"全体一致の原理"に焦点を当ててお話をしました。今回はその原理の核心と言える"勢力"について習っていきましょう。

前回のレッスンはこちら

レッスン7

力の流れを調えること

日本語の「姿勢」という言葉は、形体を表す「姿」と、流動を表す「勢」という2文字から成り立っています。「姿」は目に見える外見であり、「勢」は目に見えない内実であり、それは力(エネルギー)の流れを示していると言えるでしょう。ここから尾山ヨガ教室では、この流れとしての力を「勢力」と呼んでいます。

尾山ヨガ教室で「姿勢を調えましょう」というとき、それは「勢力」を調えることを示しており、決して「姿形」を調えることを示してはいません。「勢力」を調えるために「姿形」を調えるのであり、その逆ではありません。勢力を調えることこそ、姿勢作りの核心であり、何であれ、大切なのは目に見える外見ではなく、目に見えない中身と言えるのです。

ここでの「勢(せい)」は、中国武術でいうところの「勁(けい)」と同じでしょう。形骸化していない古来の武道・武術では、筋力を用いない(リキまない)ことを重視しており、太極拳には「用意不用力」という要諦が伝えられています。それはもちろん「筋肉による力(筋力)」は、「流れとしての力(勢力)」を滞らせてしまうからに違いないのです。

● 自然体位(無為による全体一致)

無理を「しない」姿勢が自然体位である。何も「しない」でも、部分の変化に協力して全体が変化する姿勢が自然体位である。即ち、勢力の流れを邪魔することを「しない」ことによって、自ずから然りと収まる姿勢、それが自然体位である。

『ヨガの太陽礼拝』P30 1.調身行法 より

ヨガ指導者を含め、「姿勢」に携わる多くの人たちに「無・理」が起こるのは、この「勢力を調える」という「中身」が「欠如」しているからだと言えるでしょう。それによって、「正しい姿勢=骨盤が立ち、背骨がS字カーブで……」などと外見に囚われてしまうのです。

山の体位における勢力の流れ

山の体位における勢力の流れ


【頭】の勢力(重量)と腕の勢力(重量)は【中胸】へ流れています。【中胸】の勢力(重量)は【下腹】へ流れています。【下腹】に流れた勢力(重量)は床へ流れています。

その逆に、床からの勢力は【下腹】へ流れています。【下腹】からの勢力は【中胸】へ流れています。【中胸】からの勢力は【頭】と腕へ流れています。

絵図中の矢印は感覚的なイメージです。

要点は、上体の重みが素直に【下腹】へと流れるように、【頭・中胸・下腹】を重力方向(垂直方向)に調えること。つまり、前後左右がバランスし、上体が傾いていないことです。

このように勢力を調えるためには、下腹の重みを鼠蹊下(股下)へ流すことと、腕の重みを腋裏へ流すことがその秘訣です。立位姿勢では、下腹の重みが正確に鼠蹊下を流れているとき、それは脚の内側から脛骨直下へと流れ、主として踵の内側に重みが流れています。

鼠蹊下の勢力の流れ
鼠蹊下の勢力の流れ

腋裏の勢力の流れ
腋裏の勢力の流れ

ですから、勢力が下腹に集まる気の入った姿勢のときには、「踵の内側」と「拇指球」の2点を主として床を捉えることになります。その反対に、勢力が下腹に集まらない気の抜けた姿勢のときには、「踵の外側」と「小指球」の2点を主として床を捉えることになります。この両極の間は、「踵の中央」と「拇指球」と「小指球」の3点を主として床を捉えた姿勢です。

ヨガ指導者を含め、「姿勢」に携わる多くの人たちの推奨する足裏への正しい体重の乗せ方は、「踵」と「拇指球」と「小指球」の3点で床を捉えるものです。そこには「踵の内側」「踵の中央」「踵の外側」といった精妙な区別はなく、「踵」は「踵」として粗雑に認知していることでしょう。

踵の内・中・外という3カ所の何処に体重が流れるかによって、姿勢は全く異質なものとなるのです。

腕の拳上と勢力

次の3つの絵図は、「山の体位」から「挙手の体位」への移行を示したものです。

1.山の体位
山の体位


2.挙手の途上
挙手の途上


3.挙手の体位
挙手の体位


きっとヨガをされている方なら、この姿勢に違和感を覚えることでしょうし、ヨガ指導者の方なら注意したくなる姿勢かもしれません。一般的なヨガでは、腕を真っ直ぐに伸ばした状態で、手を上に挙げていきますが、3つの絵図はどれも肘が曲がっているからです。

ここで肘を人為的に伸ばしていない理由は、もちろん勢力を調えるためです。それはつまり、手先の重みを下腹に流すためであり、逆に下腹からの勢力を手先へと流すためということです。肘を伸ばした状態では、腕の重みが腋裏に流れないので、腕の筋力を主として手を挙げることになりリキミが生じます。しかし肘を曲げた(落とした)状態であれば、腕の重みは腋裏に流れるので、勢力を主として手を挙げることになりリキミは生じないのです。

沈肩墜肘

太極拳には「沈肩墜肘(ちんけんついちゅう)」という要諦が伝えられています。この言葉は「肩は沈んで肘は落ちていること」を示しており、つまり「腋裏は沈んで尺骨上端は落ちていること」と同じでしょう。それはもちろん「肘を伸ばす(肩を上げる)こと」は、勢力(勁)を滞らせてしまうからに違いないのです。

腕の重みが腋裏に流れて腋裏が沈んでいるときには、必ず同時に腕の重みが尺骨上端に流れて尺骨上端が落ちていますし、逆もまた然りです。つまり、沈肩と墜肘は2つの状態(部分部分)ではなく、それは一つの状態(全体)だということです。

● 自然体位(無為による全体一致)

無理を「しない」姿勢が自然体位である。何も「しない」でも、部分の変化に協力して全体が変化する姿勢が自然体位である。即ち、勢力の流れを邪魔することを「しない」ことによって、自ずから然りと収まる姿勢、それが自然体位である。

『ヨガの太陽礼拝』P30 1.調身行法 より

肩肘を張るとは頑張ることであり、人為的に「する」ことであり我を張ることです。その逆に、肩肘を落とすとは委ねることであり、人為的に「しない」ことであり我を落とすことです。形骸的、外見的にではなく、実質的、内実的に姿勢を調えようと努力するとき、それは「修行」となるのです。

中身を調えましょう。

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レッスン9