2019-09-28

正しい姿勢の原理原則

正しい姿勢を一から習う

まずは「正しい姿勢」を頭で理解し、「正しい姿勢」に対するこれまでの誤解を解き、観念を破壊し、新しく構築していくことから始めることが大切です。そしてその理解を基に実践に移し、真偽のほどを自身で確認していきましょう。

全体一致の原理に従っている姿勢

尾山ヨガ教室では、「無理のない姿勢」、つまり「身体の機能に従った合理的な姿勢」を、「正しい姿勢」としてお伝えしています。つまりそれは機械的、人為的、部分的な制御をしていない姿勢であり、有機的、自然的、全体的な姿勢であり、「自然体位」と呼べるものです。

● 自然体位(無為による全体一致)

無理を「しない」姿勢が自然体位である。何も「しない」でも、部分の変化に協力して全体が変化する姿勢が自然体位である。即ち、勢力の流れを邪魔することを「しない」ことによって、自ずから然りと収まる姿勢、それが自然体位である。

『ヨガの太陽礼拝』P30 1.調身行法 より

ヨガ指導者を含め、「姿勢」に携わる多くの人たちに「無・理」が起こるのは、この「全体一致」という「原理」を「無視」しているからだと言えるでしょう。それによって、「正しい姿勢=骨盤が立ち、背骨がS字カーブで……」などと部分的姿形に囚われてしまうのです。

絵図1.
蓮華の坐1


絵図2.
蓮華の坐2


さて、どちらが「正しい姿勢」でしょうか。何十年とハタ・ヨガに取り組んでいようが、指導をしていようが、「全体一致」の原理を発見していない人にとっては、絵図1が正しく、絵図2が誤りと判断することしかできないでしょう。しかしここでは絵図2が無理することなく、身体の機能に従った合理的な姿勢であり、正しい姿勢です。

絵図1は骨盤を人為的に起立していることに加え、背骨を人為的に起立しているので誤りです。骨盤の角度は「脚(股関節)の状態」に大きく依存しています。蓮華の坐や、胡坐の脚では、骨盤は自然と後傾するのです。そして骨盤が後傾すれば背骨は自然と前屈するのです。また背骨の屈曲は「腕の状態」に大きく依存しています。腕を前方へ方向付けたり、脚の上に置いたりすると、背骨は自然と前屈''する''のです。そして背骨が前屈すれば骨盤は自然と後傾するのです。

そしてまた、絵図1は頑張っているから「不安定・不快適」であり、絵図2は頑張っていないから「安定・快適」です。ですが、より「安定・快適」な姿勢に導くためには重力と調和する必要があり、そのためにはやはり骨盤の起立は要点となります。例えば次の絵図のように尻を膝よりも高い位置に移動させ、脚(股関節)の状態を変化させることにより、骨盤が自然と起立する姿勢に導くことができます(腕の状態も重要です)。

 絵図3.

蓮華の坐3

禅宗では「坐蒲(ざふ)」と呼ばれるものに座り、手は「静慮印(法界定印」と呼ばれる手印を結んでいます。骨盤は後傾しませんが、腕に若干の無理が生じます。上の絵図のように肘を軽く曲げ、左右の中指先どうしを合わせる手形だと、無理を起こさずにすみます。

制御することを手放していくこと

現代における体位(アーサナ)は、「身体を制御する能力を高めていく=練習」、あるいは「身体の自由度を高めていく=練習」などという思想が含まれていることでしょう。それは、ヨガの目的である「心の制御」のために、「姿勢を制御し、気息を制御する能力を高めることが必要なのだ」という判断に基づくものかもしれません。

しかし「ヨガ」においては、ここが誤りです。

身体を自由自在に制御する能力を高めることにより人が獲得するものといえば、自分の潜在的能力を発見したり、自分に自信が持てたり、制御・支配(コントロール)欲求が満たされたり、尊厳・承認欲求が満たされたりといったところであり、これが、ハタ・ヨガは邪道だとまんぐーす爺さんが説く理由でしょう。

教説1

つまり「姿勢制御」の追及は、我を誇大化させ、世俗的な欲求を満たすといった自分の行為を助長するという、ヨガの目的とは正反対へと進むことになるのです。そしてまた、自分による制御は、生気の自然な流れを停滞させる大きな要因であり、心身はますます凝り固まり、元気も湧き出てこないことでしょう。

「ヨガ」における「姿勢制御」とは、身体本来の自然な作用を邪魔している自分の行為を制止することです。自分で身体を制御しようとする傲慢さを手放していき、身体に起こる自然な作用に素直に従おうとする謙虚さを獲得していこうとするとき、それはヨガの正道となるのです。それはまた、生気の自然な流れを取り戻す方法でもあり、心身の束縛を溶解し、中央気道に元気を湧き上がらせることにもなるのです。


正道を進みましょう。


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教説1