2020-07-02

2020-05-15

第17章 怒り

ダンマパダ:真理の言葉


221

慢心を捨てさり、怒りを捨てよ。すべての束縛に打ち勝て。名前と色形に執着せず、何も所有していない者に、苦しみが付きまとうことはない。

222

まさに暴走する馬車を抑える者のように湧き上がる怒りを抑える者。私はその者を「(手綱を捌く)御者」と呼び、他の者は「(単に)手綱を掴む者」と呼ぶ。

223

怒らないことによって怒りを克服せよ。善によって不善を克服せよ。与えることによって物惜しみを克服せよ。(そして、)真実によって虚偽妄信を語ることを克服せよ。
※ ダーナ(檀那/旦那):布施

224

真実を語れ。怒るな。乞われたのなら少しでも与えよ。この3つの所以によって、(死後)神々の面前に赴くであろう。

225

いつのときも行動を制御し、(なにものも)傷付けることのない沈黙者たちは、不死の境地に向かう。そこに至ったのなら(もはや)悲しみはない。
※ ムニ(牟尼):聖者

226

涅槃に関心を向け、昼夜を問わず学習し、常に目覚めている者の煩悩は(刻一刻と)消え失せていく。

227

(誰かしらは)黙って坐る者を非難する。(誰かしらは)多くを語る者を非難する。(誰かしらは)適量を語る者を非難する。アトゥラよ、これは昔からのことであり、今に始まったことではない。(つまり)世界には、非難されない者などいはしない。

228

一方的に非難される者も、一方的に称賛される者も、これまでにいなかったであろうし、今もいないであろうし、これからもいないであろう。

229・230

もしも理解力のある者なら、非の打ちどころのない生活の智慧者、智慧と徳行を備えた瞑想者を、日に日によく理解していき、その人を称賛するであろう。

(どこの国であろうと価値を有する)金貨のように、(その価値をよく理解するのなら、)誰が(智慧ある)その者を非難できるであろう!? 神々でさえもその者を称賛し、ブラフマー神によってさえも称賛される者である。

231

身体の激怒を収めよ。身体によって(行動を)制御せよ。身体による悪行を捨てて、身体によって善行をせよ。

232

言葉の激怒を収めよ。言葉によって(言動を)制御せよ。言葉による悪行を捨てて、言葉によって善行をせよ。

233

心意の激怒を収めよ。心意により(意向を)制御せよ。心意による悪行を捨てて、心意によって善行をせよ。

234

賢い者(の行為)は、身体によって制御され、言葉によって制御され、心意によって制御されている。その者たちは実によく制御されている。


第17章 解説

「怒り」と題されているように、ブッダが説いた言葉の中から「怒りに関するもの」を主に取り上げています。

要点
怒りが起こるのは、慢心に基づいているというのが真理です。慢心とは「他者より自分の方が正しい、他者より自分の方が優れている、他者より自分の方が価値がある、自分には他者を支配する権利がある……」などといった誤った見解です。真理に従った正しい見解とは、人は皆平等であり、不変的な価値を有しているというものです。

ですから、もしも慢心がないのなら、たとえ誰かに非難されたとしも「私は間違っていない。私の方が彼より優れている。私の価値を下げる彼を許せない」などという思いは起こらず、怒りも湧き起こることはないでしょう。また、たとえ自分の思い通りにならない者に遭遇したとしても「間違っているのは彼の方だ。彼は私の言うことを聞くべきだ」などという思いは起こらず、怒りも湧き起ることはないでしょう。

もしも怒りが湧き起こったのなら、真理に反した慢心を見つけ出すことによって、即刻その怒りを収めなさい。そして真理への信念を強化しなさい。非難すべき者、傷付けるべき者など誰一人としていないことを理解し、そして「誰も非難しない、誰も傷付けない」と強く決心しなさい。

怒りは破壊的です。怒りは、暴れまわり抑えがたい「行動、言動、心意」を起こし、他者に限らず自分をも破壊しようとします。さらにその悪行の報いは自分に返ってきますので、それは自他を苦しめるとてつもない脅威です。ですから、怒りを行動に移すのをやめなさい。怒りを言動に移すのをやめなさい。怒りを心意に移すのをやめなさい。そして慢心を取り除き、怒ることをやめなさいと説いているのでしょう。

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