2020-07-02

2020-05-15

第18章 垢

ダンマパダ:真理の言葉


235

今や(落ちかけの)黄色い葉のようであるあなたの前には、閻魔の使者さえ現れるであろう。しかし臨終の入口に立つあなたには、(地獄までの)旅費さえも見つけ出せない。

236

そうであるから自分の安全地帯を作れ。急いで努力せよ。賢い者であれ。垢を取り除いて汚れのない者は、天国の聖なる大地(を越えて涅槃)に行くであろう。

237

今や老衰に至ったあなたは、閻魔の近くまで赴いている。しかしあなたには途中に滞在するところもなければ、(地獄までの)旅費さえも見つけ出せない。

238

そうであるから自分の安全地帯を作れ。急いで努力せよ。賢い者であれ。垢を取り除いた汚れのない者は、再び誕生と老いを経験することはない。

239

智慧のある者は順々に、少しずつ、少しずつ、一刻、一刻と、鍛冶屋が銀から不純物を取り除いていくように、自分の垢を取り除いていく。

240

それ自体から生じてそれ自体を蝕む。鉄から生じた錆(が鉄を蝕むか)のように、(自分から)罪を犯した人を、自分の行為が悪いところ(地獄など)へと導く。

241

読まないことは経典に垢を付け、無気力であることは家に垢を付け、怠惰であることは容姿に垢を付け、汚れた心を放っておくことは(心を)守っている者に垢を付ける。

242

自堕落は自尊心に垢を付け、物惜しみは与える心に垢を付ける。垢を付けることは、この世でもあの世でも悪い習慣である。
※ 原文は「女性」

243

それらの垢よりもさらなる垢、最上の垢は(真実明知を知らない)無明である。修行者たちよ、この垢を捨てて無垢な者になれ。

244

汚れた生活をする者は、無礼であるからカラスのように厚かましく、傲慢であるからふてぶてしく、恥を知らないから生きやすい。

245

しかし清らかな生活をする観照ある者は、常に清きを求め、傲慢ではなく謙虚であり、恥を知るから生きがたい。

246・247

生殺をし、虚言を語る者は、この世界において、与えられていない物を取ったり、他人の妻(あるいは夫)と交わったり、酒を飲んだりする。

このようなことに依存する者は、まさしくこの世界において、自分の根を掘っている(ようであり、ついに自立できなくなる)。

248

友よ、このように知れ。自制しないことは悪い習慣である。あなたに災難をもたらし、あなたを長く苦しめるような、(きりのない)貪欲と真理に反することをするな。
※ ダンマ(法)

249

まさに人は、信じる心に従って、清らかな心に従って与える。そこにおいて、他者が与えてくれた飲食物に不満のある者は、昼であろうと夜であろうと三昧に至ることはない。

250

しかしこの不満が、根こそぎ断たれて除去された者は、昼であろうと夜であろうと三昧に至る。

251

貪愛(の勢い)に等しい炎はなく、憎悪(のまといつき)に等しい罠はなく、誤謬(の抜け目のなさ)に等しい網はなく、欲望(の激流)に等しい川はない。

252

他者の過失は見やすいが、自分の過失は見がたい。実に人は、他者の過失は、玄米からモミ殻(を丁寧に取り分けるか)のように見分けるが、自分の過失は(見なかったこととして)隠す。ずるい賭博師が隠すサイコロの目のように。

253

他者の過失を見るその度に、その過失を責める者。そのような者の煩悩は増大する。その者は煩悩の滅尽から離れていく。

254

空に足跡はなく、外側に修行者はいない。人々は虚像を大いに喜ぶが、覚者にとって虚像は(存在してい)ない。
※ 原文は「如来」

255

天空に足跡はなく、外側に修行者はいない。記憶に基づき形成されたものは常在ではなく、(それは実際には存在していない虚像であると知る)覚者にとって動揺があるはずもない。
※ サンカーラ(行)


第18章 解説

「垢」と題されているように、ブッダが説いた言葉の中から「垢、汚れに関するもの」を主に取り上げています。

要点
ここでいう「垢」は、煩悩のことを示しています。つまり「貪愛、憎悪、誤謬」です。諸々の覚者は、この「垢」を増やす行為から離れ、この「垢」を減らす行為に励みなさいと教えます。これが真理に適った徳行です。簡単に言うのなら、快楽を愛さず、苦痛を憎まず、真理を信じて誤った妄信を取り除いていくことですが、それはまったく簡単とは言えないものです。それでも「徳行こそが自分から苦しみを取り除いていく唯一の方法である」という真理の言葉を信じ、理解し、自分のために少しでも、一時でも、徳行に励むべきです。

また、ここで重要なことは、他者の「垢」に目を向けるのではなく、自分自身の「垢」に目を向けることです。もしも他者の「垢」に目を向けるのなら、慢心の残る者は、その者を非難することによって、自らの「垢」を増やすことでしょう。確かに、自分の「垢」を見るのは難しく、恥ずかしく、厳しいものです。それでも勇気を以って自分の「垢」を見て、その「垢」の付いていた自分を非難するのではなく、その「垢」を取り除いていく自分を喜びながら、自分の目的を遂行していきなさいと説いているのでしょう。

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