私は在る
光は在る。
光は、色形を記録した映写膜を通り抜ける。
すると、映写膜が、映写幕に映し出される。
そして人は、投影される映画に夢中になる。
映画に入り込み、己が主人公を演じておる、と盲信する。
映画とは、自動的に投影されておる影絵じゃ。
実際には、誰もおらん、何も起こっておらん、誰も何もしておらん。
おぬしは、ついぞ、影絵の中にはおらぬ。
おぬしは、儚く移ろう思想ではない。
おぬしは、行為者ではない。
映写幕から離れ、影絵を観ておくのじゃ。
動き回る俳優としてではなく、影絵を照らし観ておる者として。
おぬしは、観照者なのじゃ。
映写膜が透明に成る。
すると、映写幕から影絵は消滅する。
そして、光のみが映る。
光は在る。