ハタ・ヨガの修行法(P15,16)

熱心

♨ まんぐーす爺さんの教説から習う

熱心さ、真剣さ、懸命さ、直向ひたむきさ。言葉は何であれ、目的成就を求める熱望、覚悟から生まれる誠実さ。それが重要なのであり、見かけの方法はさしたる要因ではない。何事においても重要なのは、目に見える行為ではなく、目に見えぬ動機なのじゃ。何故なら動機に従い関心の焦点、行為の質と量は変動するからじゃ。失敗とは、曖昧不純な動機に基づき、目的を阻害する行為に遊び、目的に協力する行為を怠たる結果であり、それは詰まり熱心さの不足じゃ。逆に成功とは、明確純粋な動機に基づき、目的を阻害する行為が止み、目的に協力する行為に勤しむ結果であり、それは詰まり熱心さの現れなのじゃ。

ヨガへの道を進みゆく者は、目的地へ辿り着けぬ責任を、手段や環境に負わせる事無く、自身の覚悟、動機の不純、熱心さの欠如を疑うが良いのじゃ。

♨ 成長

目的は何であれ、何事も熱心に取り組む者は、速やかに成長するものじゃ。成長とは、自身にとって大切なものが粗雑で目に見えるものから、精妙で目に見えぬものへと変化してゆく過程であり、それはまた心身から粗暴な遊戯と、粗略な怠惰が減退してゆき、安穏な勤勉さが増進してゆく過程とも言えるのじゃ。何事も熱心さが伴っておらぬのなら、自身にとって何が大切なのかという重要な課題もなおざりのまま、盲目的にそれまでの習慣的激動質と習慣的停滞質に従い、浮かれては沈み、遊んでは怠りと、その狭間はざまを延々と行き来するだけじゃろう。

熱心さを以って、今現在、大切だと信じる物事を求めるが故に、それまで大切にしておった物事は捨て去られてゆく。そして、その今現在大切だと信じる物事を獲得したのち、それが本当には求めておる物事でなかったと自覚する事により、それをまた不要な物事だと排除する。この様に、根本へと辿り着くまで不要な物事を繰り返し排除してゆく過程が成長であり、心身浄化の過程なのじゃ。

♨ 誠実

本当は求めておるのに我慢する。本当は求めておらぬのに求めておる振りを装う。弁解を重ねて挑戦しない。不本意にもかかわらず現状に甘んじる。この様な態度は皆、実直な心に背く自己欺瞞であり、不誠実さの表れじゃ。真に諦め覚悟した者は、我慢無く、装い無く、弁解無く、不本意など残さぬものじゃ。

例え最高の目的へ向かおうとも、それが実直な心をあざむく行為でしかないならば、それはその成就を多大に阻害し、遅らせるだけじゃろう。無論、それは熱心さの伴わぬ行為にしか成らぬからじゃ。諦め切れず、他の物事に後ろ髪を引かれたまま、前へ進むなど出来ようか。言わずと知れて前へと進むには、後ろ髪を断ち切れば良いのじゃ。将又はたまた後ろに向きを変え、其方そちらを前として進めば良いのじゃ。実直な心に従うならば、人は前を向いて成長してゆく事が出来る。故に求めておるならば、妥協する事無く欺く事無く、熱心に求めれば良いのじゃ。


さあ、求めるものを熱心に求めなさい。


熱心


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