ハタ・ヨガの修行法(P165,166)

浄化

♨ まんぐーす爺さんの教説から習う

人生とは、自己へと辿り着くまで塵屑ごみくずを排除してゆく浄化過程なのじゃ。ここで勘違いしてはならぬ。自己を浄化するのではない﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅。それは己でないすべてを、己から分離してゆく作業なのじゃ。それはまた、どろどろとし、入る者を沈め込む沼池の如くにごった流れと、ゴーゴーとし、入る者を飲み込む激流の如くにごった流れを、さらさらとし、入る者をすすぎ洗う清流の如くいた流れへと調えてゆく作業じゃ。ところで、目に見える粗雑な物事ほ透ど浄化し易く、目に見えぬ精妙な物事ほど浄化しがたい。故に浄化は、より粗雑な身の回りの物事から始め、身体、呼吸、心へと進む方が、速やかに進むじゃろう。急がば回れじゃ。

ヨガへの道を進みゆく者は、心身を浄化し調える基礎は、身の回りの要らぬ物と事を捨てゆく作業じゃと心得、急かず弛まず、実践してゆくが良いのじゃ。

♨︎ 物の浄化

人が生活する為に必要不可欠な要素として「衣食住」が挙げられる。この3つに関する物事以外を確保するは激流、この3つに関する物事さえ確保せぬは沼池、この3つに関する物事を適切に﹅﹅﹅確保するは清流の如き人生への道標と成ろう。適切にとは必要最低限にという意味であり、蛇足は激流、不足は沼地の如く濁った流れを生み、人生に不調をもたらす要因と成り得る。

基本的に社会とは流れの激しい場であり、飲み込まれたなら物も情報も氾濫するばかりじゃ。その流れから脱け、必要以上の衣服を断ち、必要以上の食糧を断ち、必要以上の住居を断ち、激流の如き人生を減退させてゆくのじゃ。そしてまた、基本的に住居とは流れの滞った場であり、放っておくなら物も情報も塵埃ちりほこり邪気も沈滞するばかりじゃ。掃除、洗濯、整理、整頓は、そこに人為的に流れを通す作業と成る。扉を開け放ち風を入れ、塵埃邪気を払い塵屑ごみくずを捨て、種類別に片付ける作業を日々怠る事無く、沼池の如き人生を減退させてゆくのじゃ。

♨︎ 事の浄化

一日の始まりと終わりに、己の信条、目的に沿った行為を実践するのじゃ。朝寝坊は沼池の如き怠けであり、後には激流の如く焦り慌てふためく。また、夜更かしは激流の如き遊びであり、後には沼池の如く疲れ眠くなる。加えて朝寝坊と夜更かしは、己の信条を欺いた行為とも成ろう。早寝、早起は、それらの出鼻を意図的に削ぎ落とす作業と成る。朝は余裕を持って目覚め、夜は余計を持たず眠る作業を日々怠る事無く、清流の如き人生を増進させてゆくのじゃ。

中庸ちゅうようとくを説くとする中国古典『論語ろんご』にも有る様に「過ぎたるはなお及ばざるが如し」であり、成長する為に必要な事、すべき事をするのがとくであり、必要に足らぬ事、必要を越える事は罪じゃ。「早起きは三文の徳」と言うが、ではなくじゃ。損得勘定は幼稚さを助長し、徳はそれを撃破する。不注意に溜め込んできた稚気ごみくずを払う作業を日々怠る事無く、徳を積んでゆくが良いのじゃ。


さあ、日常生活を浄化してゆきなさい。


浄化


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