ハタ・ヨガの修行法(P11,12)

目的

♨ まんぐーす爺さんの教説から習う

ヨガとは最高の目的を成就しようとする道なのじゃ。自己発見。それがヨガの目的であり、それ以外には何も無い。そして真に自己を発見する為には、これまで盲目的に信じてきた習慣的妄信のすべてを疑い、本当の処「私とは何か?」などと真実明知を探究し続けるか、或いはヨガ教師の示す言葉を固く信じ、その言葉に基づいて生きるかのいずれかじゃ。前者は明知ジュニャーナヨガ、後者は信愛バクティヨガと呼ばれ、この二道ふたみちがヨガの正道と呼べるのじゃ。しかし密教である生気ハタヨガは邪道と呼べ、最高の目的を成就しようとする者にとって、補助としてなら﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅良いが、そうでなければまったく無駄で、害悪さえ及ぼす行為と成るじゃろう。

ヨガへの道を進みゆく者は、目的成就を遅らせる様な無駄な行為を放棄し、かずたゆまず、目的へ向けて一歩を踏み出し続けるが良いのじゃ。

♨ 動機

人は誰も皆、苦痛からの解放を求めておる。これこそが人生という舞台を演じ続ける根本的動機であり、苦痛からの解放こそが、人生における根本的目的なのじゃ。人はそれぞれ、人生の苦痛から逃れようと、表面的でその場凌ぎの様々な快楽を求めておる。喜び、楽しみ、便利快適を求め、手に入れては失い苦しみ、再び求める。この苦しみの過程は終わる事無く輪廻りんねする。何故ならば、人生の中に、快楽の中に、苦痛からの解放は有り得ぬからじゃ。

先ず自覚すべきは、苦痛が起こる原因は快楽の不在ではない﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅という事実じゃ。真の、そして唯一の原因とは、まことの自己に対する無知、誤解じゃ。それによりまことの自己といつわりの自己との同一視が起こる故、苦痛は起こる。即ち、最高の目的を成就する以外ほか、苦痛からの解放は決して無いのじゃ。その事実を明晰に覚悟さとる賢明な者のみが、真に解放の道を進む者 ― ヨガ行者 ― と成るじゃろう。

♨ 覚悟

目的を成就する上で最も重要な事は、動機の理解に基づく必要性の確信であり、それは「これ以外に道は無い!」などと言い切れる覚悟じゃ。その覚悟により、常に確実に目的を覚えておく事に成るのじゃ。そして覚えておく事により﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅、注意深く己の目的、或いは教師の言葉を阻害する様なこれまでの習慣的行為を手放し、己の目的、或いは教師の言葉に協力する様、生きる事が可能と成るのじゃ。日常が目的と調和して初めて、目的は速やかに成就されるじゃろう。

この覚悟の無い者は三日坊主と成るのがおち・・じゃ。覚悟が無いならば関心も弱く、常に確実に目的を覚えておく事など出来ぬ。それ故に不注意と成り、気付いた時にはもと木阿弥もくあみ、自然と起こるこれまでの習慣的行為に、盲目的に従っておるものじゃ。日常が目的と衝突しておる時、どうして目的が成就されるじゃろう。
己の真の目的を覚悟さとり、それを達する必要性を覚悟さとり、それを忘れる事無く覚えておき、盲目的、妄信的な人生 ー 妄想世界 ー から離れるが良いのじゃ。


さあ、人生の目的を覚えておきなさい。


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