【勧戒⑤】真我信愛

ヨガを一から習う

2-45

真我信愛によって、三昧に成功することができる。

『ヨガ・スートラ』

⑤ 真我信愛:イーシュワラ・プラニダーナ

真我を信愛しなさいという勧奨戒律である。原語である『ishvarapranidhana』は、「至高者、美徳者、恩寵の支配者」などを示す『ishvara』と、「献身、注意、瞑想、祈念、欲望」などを示す『pranidhana』とからなり、それは「至高者への献身、至高者に注意を向けること」などを示している。

真我信愛の戒行の意図は、まず単純に、人生における重要事項と非重要事項との区別を自覚することである。


そして、非真我への無信愛、真我への信愛により、心の散動状態をいじする習慣を排除し、心の不動状態を維持する習慣、即ち真我へ留まる能力を獲得し、自己と対象との同一化を弁別し、無明を除去することである。

対抗思想:原因と結果の理解

真我信愛の戒行に背こうとする思想に対抗する思想とは、非真我への無関心を起こす思想である。

まず単純に、真我を信愛することである。その本質は、真我を信愛しようとする動機、即ち真我への信愛の情がどれ程であるかどうかである。故に、真我への信愛を徹底したものとするために、苦悩の起こる原因と結果の関係性を明確に理解し、錯覚を錯覚として明確に理解することである。

まず、非真我への信愛、真我への無信愛は、無明を根因とし、我想を原因とした貪愛と憎悪(欲望と恐怖)により起こることを、明確に理解することである。次に、非真我への信愛こそが、欲望と恐怖への束縛を反復させ、苦悩の経験を永続させる要因なのであり、真我への信愛こそが、欲望と恐怖からの解放であり、苦悩の経験を終焉させる方法であることを、明確に理解することである。直接的には、非真我を非真我として自覚し、真我を真我として自覚することである。

そのために、常時、真我を信愛し続け、私のことを忘れないことである。

直接的方法

ヨガとは真我への信愛行である。真我信愛とは、真我へと個人性を明け渡していくことである。それは離欲の目的であり、真我へ至るための最も直接的な方法の一つである。

最終的には、個人(自我)が現れるその源(真我)へと深く入っていき、真我へと自我そのものを明け渡すことにより、真我へ至ろうとするものである。

あるがままへの感謝

個人性を明け渡すには、自身に起こる事の全ては真我により真我へ導かれる恩寵であると絶対的に信じることである。あるがままを有り難いと感謝するとき、個人的な欲望や恐怖は消滅する。

日頃より、見る色形に感謝し、聞く音声に感謝し、香る芳香に感謝し、摂る食味に感謝し、受ける体感に感謝し、浮かぶ思想に感謝し、更に語る言葉に感謝し、行う行動に感謝し、交わる人間に感謝し、持つ物品に感謝するなどと、あらゆる物事に感謝することが、真我信愛の始まりである。

自我(幻想)を明け渡し、真我(実在)として在る地点が、その終わりである。

観照

個人性を明け渡すとは、無私の行為の実践であり、「私が何々している」などと試奏することの放棄である。そのためには行為者としての自分を放棄し、観照者としての自分を忘れず、思想から離れている必要がある。

観照者(真我)への明け渡しとは、観照者へ注意の焦点を移行することであり、それはまた観照者として在るということです。



真我信愛


真我として在りなさい

定義付けによる、自分と他者の区別を越えて、真我として在りなさい
己へと去来する、快楽と苦痛の区別を越えて、真我として在りなさい
自ずから起こる、あるがままの状況を越えて、真我として在りなさい

あなたの本性である、真我として在りなさい


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苦悩の原因を理解しなさい

真我でないものを真我であるものとする錯覚
実在でないものを実在であるものとする錯覚
幻想であるものを幻想でないものとする錯覚

それが苦悩の根因である

自己による観照と心による認識作用とを同一であるとする錯覚

それが、快楽と苦痛に関心を起こす原因である。

快楽と苦痛へと関心を持つ事

それが、欲望と恐怖に支配される原因である

欲望と恐怖に支配される事

それが、あらゆる苦悩の原因である



外への信愛が誤りである

内側に常在する実在であるものを信愛しない事が、苦悩の種である
外側で生滅する幻想であるものを信愛する事こそが、苦悩の種である

それは、欲望と恐怖に支配される、地獄への道である
際限のない欲望と恐怖を繰り返す、果てしない苦行への束縛の道である

外への信愛、内への無信愛こそが、誤り-苦悩-である



内への信愛が正しさである

外側で生滅する幻想であるものを信愛しない事が、幸福の扉である
内側に常在する実在であるものを信愛する事こそが、幸福の扉である

それは、欲望と恐怖から自由に成る、天国への道である
際限のない欲望と恐怖を繰り返す、果てしない苦行から解脱の道である

内への信愛、外への無信愛こそが、正しさ-幸福-である



信愛の向きを引っ繰り返しなさい

外側へ、実在を探すのは愚かである
内側に、実在を探すのは賢さである

求めて止まないソレは、外側には有り得ない事を理解しなさい
求めて止まないソレは、内側にのみ有り得る事を理解しなさい

世界は、幻想に満ちている事を理解しなさい

外側への信愛は、不毛であると自覚しなさい
その明らかな不毛さを自覚し、その信愛を手放しなさい

内側への探究は、肥沃であると自覚しなさい
その明らかな肥沃さを自覚し、その信愛に献身しなさい

外への信愛、内への無信愛という、誤った向きを引っ繰り返しなさい
内への信愛、外への無信愛という、正しい向きに引っ繰り返しなさい

内と外、信愛の向きを引っ繰り返しなさい



事実を自覚しなさい

真我でないものを真我であるものとする錯覚を、放棄しなさい
実在でないものを実在であるものとする錯覚を、放棄しなさい
幻想であるものを幻想でないものとする錯覚を、放棄しなさい

真我でないものを真我でないものと、自覚しなさい
実在でないものを実在でないものと、自覚しなさい
幻想であるものを幻想であるものと、自覚しなさい

真我であるものを真我であるものと、自覚しなさい
実在であるものを実在であるものと、自覚しなさい
幻想でないものを幻想でないものと、自覚しなさい



あなたはただ、あなたとして在りなさい



真我信愛の戒行とは、外側(幻想)に対する離欲無信愛と、内側(実在)に対する信愛へと導くための手引と言えるでしょう。


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