2012-01-30

委ねる

気ままの雑記から習う

先週は名古屋でも、チラッとだけですが雪が降り、チラッとだけテンションが上がるのを感じました。ここのところまた一段と冷え込みを感じますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか? 尾山広平です。

先日、【大地震に被災して茫然自失となったとき、ヨガ的にはどう対処することを勧めるのでしょうか。一神教だと「天命」として忍耐することを課しますが。】とのご質問を受けました。とても勉強になるご質問ですので、コラムテーマの一つとして取り上げさせていただくことにしました。

ということで今回は、”委ねる”についてお話したいと思います。

ビートルズの『レットイットビー』を聴きながらどうぞ。


THE BEATLES『Let It Be』

抵抗 後悔 不安

大震災に被災するなど、茫然自失(生きようとするエネルギーが湧いてこない状態)になったときの対処法を考えていきましょう。たとえば、親、子供、兄弟姉妹、友人、知人……家、家具、本、写真、車、お金……インフラなど「自分を支えているモノ(自分にとって大切なモノ)」と思考君が認識していたモノを失ったと思考君が認識するとき、人の身体君に備わっている生きようとする働きが弱まります。

  • 「会いたい、でも会えない、でも会いたい、でも会えない、でも会いたい、でも会えない……」もう会えないことは分かっているのに、会いたいという気持ちにストップがかからないのです。

思考君が「自分を支えているモノを失った」と認識すると、それに必ず抵抗するからでしょう。

  • 「あのときああすればよかった! ああすれば! ああすれば! ああすれば!……」と自分や他人のとった行動を責めたり
  • 「どうして私の身にこんなことが起きるんだ!? どうして!? どうして!?……」と起こったことの理由を考えたり
  • 「これから私はどうすればいいんだ!? どうすれば!? どうすれば!?……」とこれからの行動を検討したり
  • 「これから私の人生はどうなるんだ!? どうなるんだ!? どうなるんだ!?……」 とこれからのことを考えたり

思考君は過去を後悔し、未来の不安を考えるからでしょう。

オーバーワーク

思考君は様々な堂々巡りをし始めオーバーワークになります。失ったものが大切だったと認識していたほど、また多いほど思考君はオーバーワークになります。エネルギーは頭で浪費され、身体君はエネルギー不足に、、生きようとするエネルギーが湧いてこない状態に陥るのです。

それだけでなく、思考君が「自分を支えているモノを失った」と認識することは「自分にエネルギーを与えてくれるモノを失う」ということであり、また「自分がエネルギーを与えるモノを失う」ということでもあり、、生きようとするエネルギーが湧いてこない状態に陥るのです。そして、何よりもそれは「自分を失う」とか「人生を失う」という状態になるといえます。アイデンティティ(自分は何者で、どういう存在なのかの自己認識)の拠り所(形作る中)に「自分を支えているモノ、自分が所有しているモノ、自分が過去してきたこと……」などの要素が含まれているとそうなり、、生きようとするエネルギーが湧いてこない状態に陥るのです。(参照:拙著『自分を大切にするヨガの本質』レッスン16【私】について)

オーバーワークの対処法

では、それらに対処するヨガ的な方法とは。ちなみに、<ヨガ的な方法>とは、<思考君の働きが静まった(究極的には止まった)状態にする合理的な方法>であると私は解釈しています。言葉を変えるとそれは、<エネルギーを理想的な状態にする/しておく合理的な方法>です。

それを身体的側面から間接的にアプローチする方法が「ハタ・ヨガ」と呼ばれるものであり、それを心理的側面から直接的にアプローチする方法が最も古典的なヨガで、「ラージャ・ヨガ」と呼ばれるものです。(ハタ・ヨガを含めその他のヨガと区別するためにラージャ・ヨガ(ヨガの王様)と呼ばれるようになったようです。)そしてここでは、心理的側面から直接的にアプローチする方法(対処法)を考えていきます。

1.素直に悲しむ

対処法として最初に言えるのは、素直に悲しむこと。自分を支えてくれていたモノを失うことは、悲しいのです。悲しみを抑えず悲しむことは、もともと人に備わった頭の中の整理整頓法(アイデンティティの変更時間も含め)であり、エネルギー調整法と言えるでしょう。しっかりと悲しんだ後には、新しい自分が芽生え、エネルギーが少しずつ湧いて来るものだからです。

次の対処法としては、頭のオーバーワークを止めるために、今の自分の状況に抵抗することを止める、つまり受け入れることをしていきます。その方法はいくつもあります。

ドリスデイの『ケセラセラ』でも聴ききながらどうぞ。


Doris Day『Que Sera' Sera'』


このコラムでも色々とご紹介してきました。

2.「ありがたいことだ」と感謝すること

雑記4

3.「○○が起きて幸福だ、○○が起きて良かった」と解釈すること

雑記5
雑記8

4.「すべては正しい」と解釈すること

雑記6

5.「すべては借りモノ」と解釈すること

雑記13

6.「必要なときに必要なことが起こる」と解釈すること

雑記17

などもその方法です。しかし、大震災に遭うなど自分を失うほどの状況を受け入れるようとするとき、いきなり「ありがたいことだ」とか「大震災に遭って良かった」とか「すべては正しい」とかでは、余程の人でもない限り、余計に苦しくなる可能性があります。

それでも、「すべては借りモノ」という解釈をしたなら、抵抗しようとする思考君の働きを止めてくれ、心を楽にしてくれるはずです。「すべては借りモノだったんだ。すべては自分のモノなんかではなかったんだ。すべては与えられていたモノだったんだ。もとの持ち主のところにお返しする日が来ただけのことなんだ。」と今を受け入れることができ、「今までお貸しいただき、ありがとうございました。」と感謝にもつながるかもしれません。また、「必要なことが必要なときに起こる」という解釈をしたなら、「今の自分に必要なことが起こったはずだ、理由は分からないけど、、とにかく必要なことなのだろう……。」と理由は無くても、今を受け入れやすくなることでしょう。

自己を超えた働き

カーバ神殿の巡礼(メッカ)

そしてまた、『一神教だと「天命」として忍耐することを課す……』と質問の中にもありますが、これも同じと考えることもできます。(ちなみに、忍耐することを「課す」と言っているのですが、元々の狙いはむしろ、忍耐することを「軽減する」方法だったのではと思います。)

たとえばイスラム教徒は、『Inch Allah(インシャ アッラー)』という言葉を日常生活でも頻繁に使うようです。その意味は「神の御心のままに」です。これもそう解釈したなら、今を受け入れやすくなることでしょう。

  • 「どうして私の身にこんなことが起きるんだ!?」
  • 「これから私の人生はどうなるんだ!?」
  • という先ほどのような問題自体がなくなります。

  • 「それを神が望んだからだ。」
  • 「それは神が望むようになる。」
  • という答えがあるからです。ただし……

  • 「お~神よ、何故そのようにお望みになったのですか!?」
  • 「お~神よ、どのようにお望みになるのでしょうか!?」
  • と考えることを推し進めてしまっては意味がありません。

委ねるという心理的態度

菩提樹での巡礼(ブッダガヤ)

考えを推し進めれば、思考君はまた堂々巡りの空回りにハマります。だから「神の御心のままに」と、神に「委ねる」ことが必要になるのです。ヨガ的(合理的)に観ればそういうことです。

ちなみに仏教にも、『南無阿弥陀仏(ナムアミダブツ)』という多くの日本人に馴染みのある言葉があります。その意味は、「はかることのできない存在を拠り所とする」と言ったところです。それは至上の存在に「委ねる」とも解釈することができます。( ※ もちろん言葉の使い方や、使い方に対する解釈は様々あるようです。)

『委ねる』という心理的態度。それが、今の自分の状況を受け入れるためには大切な要素なのかもしれません。(……ちなみに、「はかりしれない存在を拠り所にする」というのを、「アイデンティティの拠り所を至上の存在に置く」、つまり「自分=至上の存在」という解釈も面白いです。インド哲学ではアートマン(自己の本質)とブラフマン(至上の存在、宇宙の源)は同じであるとしているからです。

このように解釈することを容易にするためには、宇宙、そして自分とはどういう存在で、何をするために今・ここに在るのか? という「哲学」を学ぶこと(自分なりにでも哲学を持っていること)も、その一つの方法であることが分かります。実際に古典的なヨガには、哲学を理性的に理解することで目的を達しようとするジュニャーナ・ヨガがあります。


最後に、赤塚不二夫原作『天才バカボン』のアニメ主題歌でも聴きながらどうぞ。


アイドルフォー『天才バカボン』


ここまでお話してきた言葉。今の自分の状況に抵抗することを止め、受け入れることをするための言葉であり、生きようとするエネルギーを湧き出させてくれる言葉であり、それは、『今を生きるための言葉』と言えます。いつも心の中に持っていたい言葉です。

そしてここまでに聴いてきた? THE BEATLESの歌にある『Let It Be』という言葉(その意味は「そのままにしておく」)。Doris Dayの歌にある『Que Sera' Sera'』というスペインの言葉(その意味は「なるようになる」)。そして今聴いている? アイドルフォーの歌詞中にある「これでいいのだ」という言葉(バカボンのパパの名台詞!)もまた、『今を生きるための言葉』と言えるでしょう。

ただしそこから「なるようにしかならないのなら、何をやっても仕方ない、無駄なことだ。」と悲観的な考えが働いては、今を受け入れていることにはなりませんから、生きようとするエネルギーが湧いてこない状態のままです。そうならないために、「自分にできること/自分にできないこと」を分け、理解することが大切でしょう。

  • できること :今をどうにかすること
  • できないこと:過去や未来をどうにかすること

ということをしっかりと思考君に理解させることが、「なるようにしかならないことは、そのままにしておき、今できる一歩へと心を向ける」ことを容易にしてくれます。そこに神や仏を想像しようがしまいが、そんな心理的態度が『委ねる』ということなのではないでしょうか?

長々と(ほんとに長かった。。)お話してきましたが、締めくくりたいと思います。

千利休

「人は、失うことで、当たり前にあったモノの有り難さに、はじめて気がつく」とよく言われます。しかし現実的には、この一瞬いっしゅん、すべては変わり移ろっていきます。それは仏教の『諸行無常』の言葉が示す通りに。ですから昨日会った友達にも、1分前の恋人にも、二度とは会うことができません。私たちは常に、失い、別れ続け、そして出会い続けているのです。もちろん自分自身にも……。それは茶道の『一期一会』の言葉が示すように。

これも哲学を理性で理解することの一つとも言えるのでしょうが、そのような理解があることでも、私たちは「今」をよりいっそう大切にしながら生きることができます。そして、「今」を生きるためのエネルギーに溢れることになります。

すべては今この瞬間だけのモノで、、、すべては今この瞬間に自分が人生を楽しむために与えられている、、、そんな人生観を持っていれば、何が起きたとしても、与えられた今に感謝をすることが容易になります。そして、今できる一歩に心が向き、今できるだけの愛を周囲に与えることができるはずです。

何が起きたとしても、どんなときであっても、「感謝・愛」を心の中に持ち続けること。人にとってそれこそが幸せの源泉であり、生きようとするエネルギーの湧き出る泉なのです。

最後までお読みいただきありがとうございました!

愛を込めて……


哲学の木(@美瑛)

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