2011-11-14

借りモノ

気ままの雑記から習う

暖かい日が続いていますが、やはり早朝はますます冷え込んできました。街路樹の葉も色づき、そして落ち。。。すっかり秋も深まってきました。みなさんいかがお過ごしでしょうか。尾山広平です。

アツアツホクホクの焼き芋に、温かいお鍋料理を食べ、そして温かいお風呂に入って芯からポッカポカに……。などと、身体君を温めるのが心地いいと感じる季節になってきました。かといって外側から甘やかし過ぎず、下丹田にエネルギーが集まる、「内側から(自ら)温める力のある身体君」にしていきましょう。

さて今回は、”借りモノ”についてのお話をしたいと思います。

自分は自分の所有物?

自分という「存在」と、思考君、身体君という「働き」を同一視することを止めることを、毎度毎度申し上げているのですが……。今回はそれに加えて、そんな思考君と身体君は、自分の所有物でもないという解釈をしてみましょう、というお話です。

  • 自分の使っている身体君は、自分自身でもなければ、自分のモノでもない
  • 自分の使っている思考君は、自分自身でもなければ、自分のモノでもない

宇宙

と解釈してみましょう、という提案です。あなたの身体君(思考君)は、この宇宙にある素材から創られていて、それは「宇宙そのもの」と考えることができます。すべては同じ一つのエネルギーが形を変えて現れているだけ、というヨガ哲学の思想を思い浮かべてみるのもいいかもしれません。

そんなことしなくても、実際に、あなたの身体は、あなたが使っていますが、自分で創ったわけではないと、あなたの思考君は考えることができるでしょうし、もちろん身体君の1部分である思考君という機能だって、自分で創ったわけではないと、あなたの思考君は考えることができるでしょう。

ということで、自分が使っている身体君は、「自分の所有物ではない」という解釈をすることは、そう難しいことではないでしょう。

で、そう解釈してみると……突然にして、頭の中で劇的な変化が起こります。なぜならば、あるモノを「自分の所有物」と解釈するか、それとも「他からの借り物」と解釈するかの違いによって、思考君の走る向きが180度変わるようなものなのだからです。

子どもの頃から、「自分のモノ」は自由に食べることもできたし、「自分のモノ」は自由に扱うこともできたことなどから、「自分のモノ」という認識がそのまま安心感につながっていると考えることができます。子どもの頃に「所有」という概念を学んだことにより、所有することによって安心感を得ようと、私たちは数多くの『欲を助長』させてきたといえるでしょう。

そしてその分逆に、子どもの頃から、自分のモノではない「借りモノ」を扱うことができるということは、「有り難いことだ」という認識を持つことになると考えることができます。つまり、「借りモノ」という認識を持つことは、『感謝を助長』させることになる、といえるのです。ということで、今回の宣言は


「すべては、借りモノ。」

宇宙からのプレゼント?

地球

すべては、宇宙からのレンタル用品であって、自分のモノなんて何一つないと解釈すれば、すべてのモノに感謝することにつながるのです。

親も、兄弟も、妻も、夫も、子供も、友人も、ペットも、植物も、水も、空気も、石も、地球も……周りのモノすべては借りモノ。もちろん自分でお金を出して買った、文房具も、机も、本も、電化製品も、衣類も、家も……すべては借りモノ。お金だって借りモノ。そして身体君(思考君)も借りモノ。

「所有」とは概念であり、頭の中だけにある思い込みという幻想です。数多くの欲を助長させてきた「所有」という思い込みですが……そんな所有さんにも感謝しましょう。「所有」という思い込みのお蔭で、何かを「自分のモノ」にするために努力をすることによって、お気に入りのモノや技術を手に入れたり、生活するのに必要なモノを買ったりなど、生活力を身につける(成長する)こともできた、そう解釈することができるのですから。

それが成長するための方便だったと解釈できたなら、もう「所有」という思い込みは不必要になりますね。感謝して、手放して、ゴミ箱に入れましょう。頭の中の整理整頓という訳です。

所有さん……

ありがとう。

さようなら。

宇宙は、私たちが楽しめるように、何でも貸し出してくれているかのように思え、とても太っ腹と思えてきます。

宇宙の愛!!

感謝したくなりますね。

大切にしたくなりますね。


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