2015-01-13

初心

気ままの雑記から習う

以前の勤め先でお世話になっていた方が、その昔とある人から「いくつになっても初心に返ることができるのがお正月」だと教えてもらったんだよと、年の初めになるとお話ししてくださいました。聞くたびに度に「ふ~ん」と流す程度でしたが、毎年お話ししてくださっていた?ためか、こうして印象(記憶)に刻まれています。

もちろん・・・

「ふ~ん」と思うだけの自分でしたので、初心に返るということをしてみようと思ったことは、今まで皆無でした。

しかし・・・

初心に返る、初心に戻る、初心忘れるべからず・・・

初心の大切さを伝えてくれている偉大な先人の知恵の言葉を、「ふ~ん」で済ませていてはモッタイナイですよね。ということで、「初心」について考察したいと思います。

初心忘れるべからず

まず、「初心忘れるべからず」という言葉は、現代の能を大成したと伝えられる世阿弥(ぜあみ:室町時代初期)の著書の一つ「花鏡(かきょう)」に書いてある言葉のようです。

しかれば当流に万能一徳の一句あり。 初心忘るべからず。この句、三ヶ条の口伝あり。是非とも初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。この三、よくよく口伝すべし

『花鏡』より

ここではこの文章を解釈することはしませんが、これは芸道の極意を書き記してあるといっても過言ではないかもしれません。それを踏まえて、続きをお読みください。

初心に返る/帰る、戻る、

1.思い立ったときの気持ちを思い出す

さて、「初心」とは、「何かをしようと思い立ったときの気持ち=初志」というように解釈されていると思います。それはたとえば、「ヨガをしようと思い立ったときの気持ち」であり、それは「ヨガを始める寸前の気持ち」であり、それは、ヨガによってある目的を達成しようという動機が生まれたときと言えるでしょうか。

ある物事を「身につける/身についた癖を止める」ためには続けることが必要ですが、仕事でも芸事でもヨガでも続けていると、思い通りにいかなかったり、行きづまったり、迷ったりし、続ける意欲を失うときが出るかもしれません。それを避けるために必要なのが初心であり、明確な目的(動機)→ 芯軸(一貫性)と考えます。続ける意欲さえ失わなければ、どうにかこうにか工夫して進んでいけるものです。

初志を思い返すことは、意欲的に行う(生きる)ことにつながる。

ちなみに、私の授業で最初にすることは「調座法」です。それは姿勢を調えることが、私の授業の目的だからです。この目的のためにすべての行法(手段)があるのです。また、その目的を授業の初めに思い返し確認することにより、心の芯軸が調えば、行法への迷いが減り、無駄が減り、集中力が増し、身体の芯軸も調いやすくなります。それがまた行法の効果を増し、姿勢を調えることへとつながっていくのです。

2.初心者であったときの気持ちを思い出す

さて、一方で「初心」とは、「初めてのときの気持ち」、つまり「初心者であったときの気持ち」というようにも解釈されていると思います。それはたとえば、「初めてヨガをしたときの気持ち」であり、まだ何も知らない、何も身についていないときの気持ちと言えるでしょうか。

仕事でも芸事でもヨガでも続けていると、ある程度一通りのことを知り、ある程度一通りのことも身についてきて、自信もついてきます。ところがやがては、初心者であったときの真剣さ、丁寧さ、謙虚さを失い、惰性で行うようになるのです。するともちろん、新鮮さや楽しさを感じられなくなりますし、ミスもでます(ヨガでは怪我など!)。変化のない物事に飽き、続ける意欲を失うことにつながります。それを避けるために必要なのが初心であり、惰性で行うのではなく初めて行うかのような態度と考えます。

また、何も知らない、何も身についていない頃の自分から、今の自分を見たとき、人は今の自分の成長をより認識することができます。それが今後の意欲にもつながっていくことでしょう。

初心で行うことは、意欲的に行う(生きる)ことにつながる。

ヨガの行法においては、惰性で行うのは厳禁です。惰性とは、記憶に依存した無意識的な行為です。ヨガとは、記憶に依存しない意識的な行為であり、意識することで無意識に気づいて無意識を破壊する行為、もしくは意識的に制御することで無意識を破壊していく行為です。

まとめ

まとめ
  • 初志を忘れず、初心で行う


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