206-12-26

寝息

気ままの雑記から習う
釈迦涅槃像@南蔵院

釈迦涅槃像@南蔵院/出典:素材三昧

人が眠っているかどうかその様子を見ることを、「寝息を窺う」と言いますね。要するに人が眠っているかどうかは、その人の息の仕方で判断できるということでしょう。

力が抜ければ、音は立つ

人は眠りに落ちると、力を抜こうとしなくても、力が抜けます。先日「溜め息」でお話をしましたように、寛ぐ際には、

  • 力を抜く ⇒ 力が抜ける

すると息に音が立ちます。力が抜けた状態でその「音」は自然と起こります。力が抜けたその結果、

  • 息を吸う ⇒ 息が入る
  • 息を吐く ⇒ 息が出る/漏れる

そしてその結果として、

音が出る/立つ

音の立たない溜め息をする人はいませんね?

溜め息では空気は素早く流れるため、「はーっ」というような摩擦音が立つものです。そして寝息を見れば解るように、力の抜けた状態で音が立つことは自然なことです。

ハタ・ヨガでの死体の体位など、寛ぎ姿勢の際にも、自然と息の音が立つように、導いてみましょう。これまた先日「溜め息」でお話をしましたように、寛ぐこととは、何かをしようとする努力を手放すことです。

溜め息はこちら

雑記75

手放す

さて、一年の締めくくりに、ここで断言しておきます。

▶︎ 手放す練習こそがヨガの核心です。

知らず識らず、息をそ〜っと静かにしようとしていないだろうか??

その無意識的な働きを手放すことができたなら…… より深い安息の寛ぎへと、落ち込んでいくことでしょう。

知らず識らず、何かをギュッと強く握りしめていないだろうか??

その無意識的な執着も手放すことができたなら…… より深い安息の世界へと、落ち込んでいくことでしょう。

心が必死に守っている何かを手放すことこそが、世界の解放であることを学びましょう。全ての全てへの執着を手放すことができたなら……究極の安息の世界へと、落ち込んで行くことでしょう。

究極の安息の世界のことを、涅槃(ねはん)と言います。見出しの写真にあるように、お釈迦さんの横臥姿勢の像を涅槃像と言います。しかしながらお釈迦さんは、立っていようが寝転んでいようが、永遠に涅槃にいたことでしょう。

死体の体位は、手放す姿勢作りの練習です。

死体の体位
死体の体位


2016年の出来事に執着することなく、2017年を迎えましょう。


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