2020-01-08

2011-12-22

自由とロボット

気ままの雑記から習う

今日は冬至だそうで、ここから少しずつ日が長くなっていくのも楽しみです。明後日にはクリスマスイヴが、そして新しい年もすぐそこまで来ていますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか? 尾山広平です。

先週はハードクラスの参加者のみなさんでレッスン後にお食事をしました。とても楽しく有意義な時間を過ごすことができました。参加していただいたみなさま、ありがとうございました。先日はCDの整理整頓をし、ヨガBGM用以外を手放しました。最後に尾崎豊のジャケットをみたときには、うるっときました。ありがとう、さようなら……。

さて今回は、”自由とロボット”についてお話したいと思います。

小学生のお話

まず、どうして今回のテーマが「自由とロボット」になったのかをお話したいと思います。

∞∞∞∞∞∞∞∞

山根でのレッスンを終え、冷たい空気の中を颯爽と自転車を走らせる……ことができない。。中学生や、小学生が歩道を占領していて。。そう、今日は終業式です。通知表を受け取ったであろうたくさんの子どもたちが下校中でした。

そんな中、信号待ちをしていると、小学生の集団の中から男の子がお友達にお話している声が聞こえてきました。「人間はみんな自由なのー。」「自由じゃないのはロボットなの。」と……。面白いことを話す子だなぁと、興味がわきつつ……。ということから、今回のテーマを「自由とロボット」にさせていただいた次第です。少年よ、ありがとう。

∞∞∞∞∞∞∞∞

選択すること

では、本題です。「自由」と言っても、人間には自由意思があるかどうか? などという哲学的問題をお話するわけではありません。ここでのお話はあくまで修行的、現実的問題です。(ちなみに、「自由について」は拙著『自分を大切にするヨガの本質』の中で取り上げているレッスンの1つです。興味がおありの方はどうぞ!)

自由についてはこちら

レッスン23

では、本題です(汗;)”修行的な観点”からいえば、悟っている人は自由であり、悟っていない人はロボット(より不自由)です。そうです! 修行とはまさに、『不自由なロボットから、自由な人間になるためにする』と表現できるでしょう。

ちなみにその少年はなぜ「ロボットは不自由」とし、「人間は自由」としたのか? といえばそれはきっと、ロボットは「自分で選択することができない」から「不自由」とし、人は「自分で選択することができる」から「自由」としたんでしょう。

あなたは自由!?

ロボット

ですが……人(あなた)は、「自分で選択することができる」という自由を持っているでしょうか?

――もちろんです。私は自分で選択しています。だから、私はロボットなんかではありません。私は自由な人間ですよ。と返ってくるでしょうか? しかし修行を始めると、つまり自分(の思考君)を観察していると、思考君がいかに勝手をしており、自分で選ぶことができていないかに気がつきます。

  • やりたくないのに、頼まれごとをされたら断ることができなかったり……
  • 罵倒されたら、言い返さずにはいられなかったり……逆に言い返せなかったり……
  • 大勢の人の前で話すのに緊張したり……
  • いけないと思っていても、やったり……
  • ゴキブリが出たら、悲鳴をあげたり……
  • イライラしたり……クヨクヨしたり……イジイジしたり……プンプンしたり……

これらの例は「自動反応」であり、「自分で選択することができていない」のです。そしてこの思考君の自動反応(行動指針プログラム)の削除をすることが、修行の本分であるわけで、この「自分は不自由である」という気づきが持てるということは、思考君の働きを観察できているということであり、それは自動反応を削除する方向に歩いているといえます。修行者の道を、自由への道を、着実に歩いているということです。

思考の自動反応を削除する事が、修行の本文という訳ではないのじゃ。あくまでも修行の本文は、思考の自動反応と自己とを弁別してゆく事にあるのじゃ。

2020/01/08

みなさん、人生を楽しいものにするために修行しましょう。もっともっと、自由になりましょう! かぼちゃを食べて、ゆず湯で温まりましょう!


ご自愛くださいませ……。


南瓜と柚子

次の雑記

雑記17