2015-01-04

礼に始まり、礼に終わる

気ままの雑記から習う

2015年(平成27年)が始まり4日目の今日、皆様はどのような思いで過ごされましたでしょうか? 私は気を引き締めていこうという思いとともに、久方振りにブログを書かせていただきます。一年の始まりである今日は、「礼」について改めて考察したいと思います。

礼とは何か?

武道やスポーツでも重んじられている心得に、『礼に始まり、礼に終わる』という言葉があります。そうかと言って、武道やスポーツに限らず、日本で育った私たちは、日常生活でこの言葉を耳にしながら、日常生活でこの言葉を実践してきたことでしょう。

礼に始まり礼に終わる
  • 一年は、「おめでとうございます」に始まり、「よいお年を」に終わる
  • 一日は、「おはようございます」に始まり、「おやすみなさい」に終わる
  • 食事は、「いただきます」に始まり、「ご馳走様でした」に終わる
  • 授業は、「お願いします」に始まり、「ありがとうございました」に終わる

このように、私たちは『礼に始まり、礼に終わる』という生活を躾けられ、行ってきています。「礼」とは、社会生活(自と他の関係)を円滑にするための規範といえ、私たちの暮らしをより心地よくするために欠かすことのできない「技」ともいえるでしょうか。

「武」とは?

武道/武術の「武」の字は、「戈 + 止」から成り立つとされます。「戈(ほこ)を持って、止(すす)む」という攻撃的な解釈に加え、「戈を止める」という防衛的(倫理的)な解釈をする方もおられるようです。

漢字の成り立ちはさておき、「武」とは何か? とその本質を問われれば、「命を守ること/争いを収めること」と言えるでしょうか。つまり「自と他のぶつかり合いを避けること=自と他の関係を円滑にすること」です。

この解釈で話を進めると、「武」と「礼」は同意であり、武を学ぶとは、礼を学ぶことに他ならないと言うところに辿り着きます。「礼」とは、武術の「技」の一つであるとも言えるのです。

礼とは対象に合わせること

前置き?はここまでにして、本題です。私のヨガの授業でも「礼拝法」として、『礼に始まり、礼に終わる』を行います。それは、「他」に対する敬意・謝意を表現し、自分を謙虚・敬虔に導くための儀式として行います。

先ずは、「自分にとって絶対なる相手」に対して礼をします。それは自分にとって絶対なる相手に対する服従(帰依)の宣言です。更に、身体に対して礼をします。それは摂理に対する服従の宣言です。そして、行法/指導に対して礼をします。それは行法/指導に対する服従(素直に取り組むこと)の宣言です。

その後、「目の前の相手」に対して礼をします。もちろん相手が「絶対なる相手」であろうが「目の前の相手」であろうが、礼(武術)とは、対象を敬うことであり、対象にぶつからないことであり、対象に合わせることであり、対象と一つになること、、、

それは、自分を止めることです。


『礼に始まり、礼に終わる』


今一度この言葉の重みを確認してみましょう。礼をせずに授業に参加し(もしくは自主的に)、アーサナ(体位法)の形だけを練習してヨガの効果を得ようとするのは、合理的ではありません。つまり効果を得ることは不可能です。

不可能なんです!!

礼に始まり礼に終わるとは、始めと終わりに礼をするということだけに非ず、始めから終わりまですべてが礼であるということだと受け取るべきでしょう。それは、始めから終わりまで他を敬い、自分勝手をしないということです。

アーサナ(体位法)も、礼拝法なのです。

アーサナであっても、身体(摂理)を重んじ、行法、指導者の提示することを重んじ、自分勝手には行わないということです。

  • その相手を敬っているだろうか?
  • 自分勝手なことをしていないだろうか?

日常生活の中での礼(挨拶)も、形骸化して単なる音の配列になっていないかを確認し、2015年を始めていきましょう!


授業のように目の前に相手のいない自主練習であっても、ヨガを行う始めと終わりには、礼をするようにしましょう!


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