2015-10-01
意味のないものから生まれた意味のあるもの
意味のないものから生まれた意味のあるもの
理由なんて なにもなかっただろう
ただ ソコにあるだけで
きっと
ある田舎町に住む ひとりの青年が 旅人に尋ねた
「いったい僕は、なんのために生きているの」と
旅人は答えた
「君がココでそれを思った時、すべてに意味が生まれる。そして君は私にとって意味のあるものだ」と
旅人は路上から砂を ひとつぶ拾い上げると言った
「これは私が拾った砂粒だ」と
ラマダン明けの休日にキルギスはビシュケクのサブル家にて
2002年12月06日
この詩は、とある24歳の青年が旅の途中に詠んだものです。
この青年は旅の途中、とある田舎町の青年に実際に問われたのです。
「いったい僕は、何のために生きているのか?」
と。
それで、思索好きのこの青年は、自分の解を一つの詩で表現したのです。
世界には意味はなく、人生には意味はなく、自分の出した答えこそが、世界の意味であり、人生の意味であろうと。そして、人それぞれに生きる意味があるのだと。
この青年は、それを超えた解など知る由もなかったのです。
この青年は、それを超えた解を知る方法など知る由もなかったのです。
そして、その解は確かにそうなのでした。
意味とは、心が与える意味以外には存在しないのでした。
人それぞれが、「自分の世界」を生きているのでした。
人それぞれが、「世界に与えた観念を投影した世界」を生きているのでした。
やがてこの青年は、その観念を超えたとき、「存在」そのものに返ることを知りました。
そしてこの青年は、「ただ、ソコにあるだけ」へと返る旅へ出ましたとさ(^_-)-☆