2015-05-18
正しい努力
「正しいやり方を繰り返しなさい。」
映画『草原の椅子』の中で、パキスタンのフンザに住む老人が、物語の主人公たち(中年3人)に対して伝えた言葉です。(もちろん日本語訳ですが)
フンザ(Hunza)/映画『草原の椅子』より
そう・・・
実に・・・
この言葉は、仏陀によって指し示されたと伝わる八正道を想起させます。また、私がいつも心に留意している言葉でもあります。先日この映画を観賞したときから、更に頭の中で繰り返し鳴り響いております。
映画『草原の椅子』の中で、主人公は「俺は今まで嘘つきだった。それでみんなに悲しい思いをさせた・・・」ということをより明確に自覚していきます。そんな主人公にとって「正しいやり方を繰り返しなさい」という老人からのメッセージは、「嘘をつかないことを繰り返しなさい」として伝わったのかもしれません。
八正道の一つである「正語」には、「嘘をつかない」という意味も含まれていますが、ヨガでもその古典『ヨガ・スートラ』の中で、5つの禁止事項の一つとして、嘘をつかないことが説かれています。
正しいとは?
さてここで、ヨガにおいて「正しいやり方」とは何であるのかを理解しておくことが重要になります。「5つの禁止事項を守る≒正しい」ではあるのですが。それでも私は「≒」だと考えていますし、それだけでは「正しい」を理解することは不可能です。また間違いも起こりやすいと考えます。ということで、「正しい」とは何かを考察してみます。
【ヨガ・スートラ】
1-05
心の作用には5種類ある。それらは煩悩性のものと、非煩悩性のものとに分けられる。
日本人にもお馴染みであろう「煩悩(ぼんのう)」という言葉が出てきました。一般的にも「煩悩を消す=仏道修行」という等式が思い浮かぶのではないでしょうか?
煩悩性とは、自分を輪廻(生まれ変わり)の世界に束縛させる方向性であり、非煩悩性とは、自分を輪廻の世界から解脱させる方向性のことです。もちろんヨガは後者であり、自分を輪廻の世界から解脱させることを目的としています。それは自分を輪廻の世界に束縛させている心の働きを止めていくことと言えるでしょう。
簡単に言えば・・・
- 煩悩性(悩み煩いを増やす方向性)
- 心の複雑化
- 無自覚化
↓
↓
- 非煩悩性(悩み煩いを減らす方向性)
- 心の単純化
- 自覚化
↓
↓
ヨガにおいて正しいとは、心の自覚化をしていく方向性を意味しているといえるでしょう。
複雑化を止める
つまり「嘘をつく」という行為は煩悩性ということです。自分の本心を覆い隠すということは、心をより複雑にすることになり、心に対しより無自覚になるということです。その結果として自分の悩み煩いはより増えることになるということです。
映画『草原の椅子』の中で、「本当はどう生きればよかったのか、知りたい。」という思いとともに、主人公と一緒にパキスタンのフンザへやってきた女性。彼女は「いろんなことを難しくしてるのは、他の誰でもないんです。。。自分自身なんだってことが、分かりました。」と主人公に語ります。
それは自身の心の働きが、心を複雑化させ、自分を煩い悩ませていたということを自覚したということと言えるでしょう。
無自覚化(癖)を止める
ヨガの方向性(非煩悩性)とは、新しい知識を学んでいこうとする向きではありません。新しい体位・動作を身につけていこうとする向きでもありません。
真逆です。
ヨガの方向性とは、過去に学んだ知識による観念・思考癖を止めていこうとする向きです。過去に身につけた姿勢癖・動作癖を止めていこうとする向きです。
何かを得るための努力ではなく、得てきたものを手放すための努力をしなければなりません。そのためには、観念、思考、姿勢、動作などを観察し、それらの働きを自覚せねばなりません。
努力すればいいのか?
さて、「努力は必ず報われる」という言葉がありますが、これは危険思想であると考えます。確かに、努力は必ず結果を生みます。ですが、それが”自分にとって” ー 報われた結果になるのか/報われない結果になるのか ー それは、今ここでする努力のやり方により決まることを忘れてはいけません。
「毎日一生懸命に練習を頑張っているのだから、上達していくはず・・・調子がよくなるはず・・・」
ヨガにおいてそんなことはあり得ません! 過去(記憶)を頼りに今までの自分を押し通し、無自覚に毎日同じことを繰り返せば繰り返すほど・・・それらの癖はより自分の一部として固着していき、心身はより固着(緊張)していき、体調はより崩れていき、煩い悩みもより増えていくのですから。。。
癖を止めるとは、今まで自分の一部として固着していた行為を止めることです。過去の記憶に依存せず/未来の結果に執着せず、今ここで自覚的に行為することであり、今ここで観察し自覚することであり、記憶に従ったり/結果を求めたりする無自覚な行為(=頑張った行為)を止めることです。
そしてヨガでは、そうした努力が正しいと言えるのです。「努力する=正しい」ではありません。するべきは「正しい努力」です。
「正しいやり方を繰り返しなさい。」