2015-11-15

世界の動き方

気ままの雑記から習う

前回の記事では、世界の見え方は― 記憶に従っている ―というお話しをしました。私たちは、一人ひとり記憶によるフィルターを通して、各々別々の世界を認識しているのであり、心の外側にあると認識している世界は、心の内側を投影している世界であるというお話しでした。

このことを言葉を変えて表現するなら、世界の中に心があるのではなく、心の中に世界があるということであり、私たちは常に、自身の心と対峙しているということです。そして、その心の世界から解放され/解放するには、各々の心に形成された観念を破壊することが ― 唯一の方法 ― であるということでした。

前回の記事はこちら

雑記69

自然はひとつ。ひとつはすべて。すべては自然。

さて、私たちが認識する以前の世界である「ひとつの全体」は、ただ動いています。それはまさにあるがままです。自然です。それはまさに自ずから然りとただ動いています。自然とはすべてのすべてであり、すべてのすべては自然です。

ですから、自然でないものなど何一つとしてないということです。

  • 私たちの体だって、すべてのすべてであり、自然です。
  • 私たちの心だって、すべてのすべてであり、自然です。

「生きている」ってことですらラベルであり勘違いであることに気づきます。私たち(ラベル)が生きているのではない……。ラベルの無い「全体」が生きている……。ラベルの無い「全体」が宇宙を、身体君を、思考君を、働かせている……。

雑記56「幻影」より

さてさて、あなたはこの言葉をこれまでにも読みましたね? それでもなお、あなたは勘違いを決め込み続けていませんか?

幻影はこちら

雑記56

記憶に従った行為

すべては自ずから然りとただ動いています。よって、心も体も自ずから然りとただ動いています。あなたが選んていると認識している「行為(思考、言動、行動」ももちろん、自然が選んでいます。言葉を変えると、「記憶(認識)に従って自動的に選んでいる」ということです。

そこには、「自分が」という主体性はないということです。

  • 自分が考えたいように考えている
  • 自分が話したいように話している
  • 自分が動きたいように動いている

これらもすべて幻想(=錯覚・勘違い)です。事実は自然(記憶に従い自動的)に、ただ動いています。つまるところ、私たちが認識している自由意志ももちろん幻想(=錯覚・勘違い)だと言うことです。

人は自由意志を持っているか(・_・!?

生を受けた後の自分を取り巻く環境の成り行きにより、自分の身体君も思考君も形作られているのであれば、そこに個々の自由はなく、責任もないことになるでしょうか。

今の自分を生み出した責任(原因)は家庭や地域社会にあり、はては国家、地球、星々の運行……それを生み出したビッグバンからの宇宙の働きにあると、現代科学ではなるでしょうか。現象宇宙は、その原因からエネルギーが機械的に蠢いていくだけなのであれば、原因には既に結果が内在しているといえます。

そして私たちはその部分(身体君)を通して既に決まった未来への流れを傍観するだけの意識存在なのでしょうか。責任があるのは部分ではなく全体であり、それはつまり誰にも責任がないという解釈になります。「責任」と「自由」という言葉君は無意味になり、バイバイキーンと去っていくことになります。(後略)

『自分を大切にするヨガの本質』
「レッスン23 自由について(P187)」より

この本の著者が二十歳の頃、そんな思いが生まれ、「いったい誰が誰を責められるというのだろうか…」なんて考えていたようです。彼の思考は、世界を平和へ向かわせたいと思い、思考を育てる教育に興味をもつと、途端に大学を辞め……アレやコレや……ナンやカンや……

ヨガの目的

ヨガとは、「自己」と「自己でないもの」の結びつきを解き、この幻想から目覚め、自己を悟ることです。

【ヨガ・スートラ】

2-17

見るものと見られるものとの結合こそが、除去すべき苦の原因である。

見られるもの

自己でないもの(心の中の世界)

見るもの

自己(意識性)

さて、

  • あなたの見ているその思考は、あなたが考えているのか?
  • あなたの見ているその言動は、あなたが言っているのか?
  • あなたの見ているその行動は、あなたが行っているのか?

観察してみましょう。

観察こそが、自己と体の結びつきを解き、あなたが体ではないことに目覚めさせ、

観察こそが、自己と心の結びつきを解き、あなたが心でもないことに目覚めさせ、

観察こそが、自己と自己でないものの結びつきを解き、あなたが自己でないもの(幻想世界)から目覚めるゆるがない弁別智を発現する直接的方法です。

幻想から目覚めたとき、ハナっから自分(分離)などどこにもなく、すべてはひとつの自然であったと気づくことでしょう。

そして、ハナっから【私】はどこへも行かず何もせず、すべてのすべてを超えて今ここに永遠に在るのだと。

きっと(^_-)-☆


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