2020-07-02

2020-05-15

第26章 聖職者

ダンマパダ:真理の言葉


383

(快楽への)流れを努力して断ち切り、聖職者よ、愛欲を除去せよ。心の形成作用の滅尽を知って、聖職者よ、形成されざるものであれ。
※ サンカーラ(行)

384

聖職者が、真理における2種(の徳行である正念と正定)に精通したとき、そのときその者のすべての束縛は、真智によって消え失せる。

385

その者には、彼方なる岸や彼方ではない岸は存在していない。(分別の)悩みから離れ、(分別の)束縛から離れた者。私はその者を聖職者と呼ぶ。

386

汚れなく坐り瞑想に入り、するべきことをし終えて煩悩を失い、最上の利徳に到達した者。私はその者を聖職者と呼ぶ。

387

太陽は昼に輝き、月は夜に輝く。王族は武装して輝き、聖職者は瞑想して輝く。そしてまた覚者は、威光によってすべての昼夜に輝く。

388

悪を排除したから聖職者と呼ばれ、静かに暮らすから静志と呼ばれ、自分の垢が出たから出家者と呼ばれる。
※ サモン(沙門)

389

聖職者を打つな。聖職者は打ってきた者に怒りを放つな。聖職者を打つ者はえげつないが、打ってきた者に怒りを放つ聖職者はそれよりもえげつない。

390

愛する人々へと向かう心意を抑止するとき、聖職者にとってこれほど優れているときは他にない。そのたび、そのたび、傷付けようとする心向きが消えていく。そのたび、そのたび、苦しみが静まっていく。

(なぜなら愛する人々がいなくなるほど憎む人々もまたいなくなり、憎む人々に会う苦しみも、愛する人々に会えない苦しみも、愛する人々を失う苦しみもまたなくなるからである。)

391

その者には、身体にも、言葉にも、心意にも、悪い行為がない。3つのところで自制する者。私はその者を聖職者と呼ぶ。

392

正しい平等智に目覚めた者から説かれた真理が、その(説かれた)人から知らされたのなら、畏れ敬いながらその者に帰依すべきである。聖職者が祭る火を畏れ敬うように。

393

聖職者は、髪型によってなるのでも、家系によってなるのでも、生まれによってなるのでもない。その者の真実と真理とによって、その者は清浄となり、その者は聖職者となる。

394

愚か者よ、髪を結うことによってあなたは何になるのであろう? カモシカの皮に坐ることによってあなたは何になるのであろう? あなたの内部は密林(のようにうっそうとしている)にもかかわらず外部の汚れを拭い去る。(それによって、あなたは何になるのであろう?)

395

つぎはぎだらけの袈裟を身に着け、痩せて浮き出た静脈がいきわたり、世俗から離れて独り瞑想する人間。私はその者を聖職者と呼ぶ。
※ 原文は「森のなかで」

396

また、(聖職者の)母胎から生まれたからといって「聖職者」と私は呼ばない。もしも執着のある者であるのなら、その者の呼び名は「君よ、とでも呼びかけられる者」である。何も所有することなく、何にも執着のない者。私はその者を聖職者と呼ぶ。

397

すべての煩悩の結束を断ち切りまったく恐れのない者は、執着を克服して束縛から離れている。私はその者を聖職者と呼ぶ。
※ 原文は「結」。用語については第25章の解説下をご参照ください。 こちら

398

(自分を縛り付けている)布紐(のような憎悪)と、革紐(のような貪愛)と、綱(のような誤謬)と、(自分を操っている)手綱(のような我慢)とを切断し、(この世界に閉じ込めている門に掛かっている)閂(のような疑心)を外して(門を開いて)目覚めた者。私はその者を聖職者と呼ぶ。
※ 独自の解釈による。五大煩悩を当てている

399

罵倒されても、傷付けられても、拘束されても、怒ることなく忍耐する者。強力な軍隊のように忍耐力のある者。私はその者を聖職者と呼ぶ。

400

怒ることなく禁制を守り、欲することなく徳行を守り、調教された最後身の者。私はその者を聖職者と呼ぶ。

401

ハスの葉の(上で撥じかれスーっと流れ落ちる)水滴のように、針の先についた芥子粒(がポロっと落ちるか)のように、愛欲が(付けいるわずかの隙も)なく汚れのない者。私はその者を聖職者と呼ぶ。

402

ここにおいて自分の苦しみが滅尽したことを了解する者。重荷を下ろして煩悩の結束から離れた者。私はその者を聖職者と呼ぶ。
※ 原文は「結」。用語については第25章の解説下をご参照ください。 こちら

403

深遠な智慧に至った智慧者。(智慧を得る)道と(智慧を得る)道ではないものとを熟知した者。最上の利徳に到達した者。私はその者を聖職者と呼ぶ。

404

在家者、出家者のどちらとも交際せず、住居なく巡り歩く少欲な者。私はその者を聖職者と呼ぶ。

405

動くもの、動かないもののどちらの生きものに対しても暴力を振るわず、殺すことなく、殺させることもない者。私はその者を聖職者と呼ぶ。

406

敵意ある人々のなかで適意のない者。暴力を振るう人々のなかで涅槃に至った者。執着ある人々のなかで執着のない者。私はその者を聖職者と呼ぶ。

407

針の先についた芥子粒(がポロッと落ちるか)のように、貪愛と憎悪と慢心と偽善とが(ポロッと)落ちた者。私はその者を聖職者と呼ぶ。

408

乱暴にではなく、(人それぞれに合わせて丁寧に)理解しやすい真実の言葉を語り、誰にも困惑を抱かせない者。私はその者を聖職者と呼ぶ。

409

その者は、長いものも短いものも、微少なものも粗大なものも、清らかなものも清らかでないものも、この世界で与えられていないものを受け取ることはない。私はその者を聖職者と呼ぶ。

410

この世でも、あの世でも、何の期待も見つからず、期待を失くして煩悩の結束から離れた者。私はその者を聖職者と呼ぶ。
※ 原文は「結」。用語については第25章の解説下をご参照ください。 こちら

411

何の執着も見つからず、完全なる智慧をもって疑いなく不死に達した者。私はその者を聖職者と呼ぶ。

412

この世の(善行による)利徳と、(悪行による)災難のどちらに対する執着も超えた者。悲しみのない者。ゴミから離れた(清らかな)者。私はその者を聖職者と呼ぶ。

413

曇りのないときの月のように清く穏やかに明るく、歓喜の生存を滅尽した者。私はその者を聖職者と呼ぶ。

414

この世界の障害を、この世界の難路を、この世界の輪廻を、この世界の誤謬を超えた者。動揺を失くして疑いのない彼方なる岸辺に至った瞑想者。執着を失くして涅槃に至った者。私はその者を聖職者と呼ぶ。
※ 彼岸。涅槃

415

この世のなかで愛欲を捨てて、住居のない者として巡り歩く。愛欲の生存を滅尽した者。私はその者を聖職者と呼ぶ。

416

この世界に対する欲望を捨てて、住居のない者として巡り歩く。欲望を餌にして生きることを滅尽した者。私はその者を聖職者と呼ぶ。

417

人間とのつながりを捨てて、天界とのつながりを越えていき、すべてのつながりを離れた者。私はその者を聖職者と呼ぶ。

418

楽しい(快楽)と楽しくない(苦痛)とを捨てて、すがすがしくネチネチしない者。全世界を征服した英雄。私はその者を聖職者と呼ぶ。

419

生きものの再生と死去のすべてを知った者。執着を失くして善行する覚者。私はその者を聖職者と呼ぶ。

420

その者の行先を、神も、ガンダルヴァ神も、人間も、知ることはない。煩悩が滅尽した尊い者。私はその者を聖職者と呼ぶ。

421

その者には、前/未来もなく、後/過去もなく、間/現在もなく、(空間も時間も)何もない。(空間も時間も)何もない無執着の者。私はその者を聖職者と呼ぶ。

422

雄牛のように勇猛で気高い英雄。克己した偉大な聖仙。動揺を失くして沐浴する覚者。私はその者を聖職者と呼ぶ。

423

その者は、前世の生涯を知り、天国と地獄を見て、さらに生の滅尽を得た者。智慧で見極め尽くした沈黙者。見極めるべきことのすべてを見極めた者。私はその者を聖職者と呼ぶ。


第26章 解説

「聖職者」と題されているように、ブッダが説いた言葉の中から、「聖職者の特性に関するもの」を主に取り上げています。ここでは「聖職者」と題しましたが、原語は「最高位の司祭、僧侶階級、ブラフマン(至上者)に属する階級」などを示す『ブラーフマナ(brāhmaṇa)』であり、「婆羅門(バラモン)」と音訳されてもいます。

要点
聖職者とは、地位、名誉、外見などによって判断されるべき者ではありません。それは内面、つまり心の状態によって判断されるべき者です。快楽と苦痛に無関心となり、快楽を欲せず愛さず、苦痛を怖れず憎まず、瞑想[心意が外側(快楽と苦痛)へと向くことを抑止し、心意を内側に留める努力]をし、完全な智慧に至り、妄信と疑心から離れ、記憶に基づく欲望と恐怖と無知とを滅尽し、虚像の夢から覚めた者。愛と憎、善と悪、生と死、有と無、知と無知、覚者と凡夫、アレとコレ……分別を起こす虚像のすべてを失い「一者」として在る者。その者を私は聖職者と呼びますと説いているのでしょう。

繰り返し習う

第1章