2020-07-02

2020-05-15

第16章 愛

ダンマパダ:真理の言葉


209

ヨガではないことに自分をつなぎ止め、ヨガには(自分を)つなぎ止めていない。(自分の)目的を捨てて「愛」を受けとる者は、自分(の目的)を持っているヨガ行者を羨ましがる。
※ 心意をつなぎ止める修行。瞑想

210

いつのときも愛する者と会うな。愛していない者と会うな。愛する者を見れないことは苦しみであり、愛していない者を見ることは苦しみである。

211

そうであるから、愛する者を作るな。愛する者を失うことは本当に残念なことである。しかし愛する者も、愛していない者もいない者は、それらの束縛(による苦しみ)は見つけられない。
※ 原文は「悪いこと」

212

愛する対象から悲しみが生まれ、愛する対象から恐れが生まれる。(そうであるから)愛する対象から解放された者には、何の悲しみも恐れもありはしない。

213

愛情から悲しみが生まれ、愛情から恐れが生まれる。(そうであるから)愛情から解放された者には、何の悲しみも恐れもありはしない。

214

快楽から悲しみが生まれ、快楽から恐れが生まれる。(そうであるから)快楽から解放された者には、何の悲しみも恐れもありはしない。

215

愛欲から悲しみが生まれ、愛欲から恐れが生まれる。(そうであるから)愛欲から解放された者には、何の悲しみも恐れもありはしない。

216

渇愛から悲しみが生まれ、渇愛から恐れが生まれる。(そうであるから)渇愛から解放された者には、何の悲しみも恐れもありはしない。

217

徳行と見識とを備え、真理に確立し、真実を理解し、自分の行為をする者。人はその者を愛する者とせよ。

218

語ることのできないもの(である涅槃)に対しての意欲が生まれ、心意によって(その意欲が)充満している。(このように)愛欲に心が束縛されていない者は、上流にある者と呼ばれる。(なぜなら愛欲の激流に逆らって上ってきた者であるから。)

219・220

長いこと留守にしていた人が、遠方から無事に帰ってくるのなら、親族や親友たちは大いに喜ぶ。

積まれた功徳もまたそのようなものである。功徳は、この世からあの世へ逝った者を(大いに喜んで)迎える。親族が愛する者の帰りを(大いに喜んで)迎えるように。


第16章 解説

「愛」と題されているように、ブッダが説いた言葉の中から「愛に関する者」を主に取り上げています。ここでの「愛」は、すべて無智から生まれる「愛着」であり、智慧から生まれる「慈愛」ではありません。

要点
愛は、苦しみを起こす原因であるというのが真理です。ですから、愛する者、愛する物事を作ってはいけません。また「愛するもの/愛していないもの」はコインのように表裏の関係にありますから、例えば愛する者がいるのなら、愛していない者がいます。そして必ずや「愛する者といられない苦しみ、愛する者と出会えない苦しみ、愛する者と離れる苦しみ、愛していない者といる苦しみ、愛していない者と出会う苦しみ……」などを経験することになります。

ここで、真実を探求する賢いヨガ行者は、この世界にあるものに関心(愛と憎)を持つことが、苦しみの原因であることを理解します。そして、この世界のあらゆるものへの関心(愛と憎)を断ち、この世界の彼方にある真実にとめどない関心(愛)を注ぎ続けようとする凄まじく堅固な意志を奮い立たせ、ついに真実(涅槃)に到達します。このように愛を受け取ることなく、自分の目的を果たすヨガ行者になりなさいと説いているのでしょう。

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