ヨガの太陽礼拝(P143〜149)

私は在る

♨ まんぐーす爺さんの教説から習う






光は在る。






光は、色形を記録した映写膜フィルムを通り抜ける。

すると、映写膜フィルムが、映写幕スクリーンに映し出される。

そして人は、投影される映画せかいに夢中になる。






映画せかいに入り込み、己が主人公を演じておる、と盲信する。

映画せかいとは、自動的に投影されておる影絵じゃ。

実際には、誰もおらん、何も起こっておらん、誰も何もしておらん。






おぬしは、ついぞ、影絵せかいの中にはおらぬ。

おぬしは、儚く移ろう思想せかいではない。

おぬしは、行為者ではない。






映写幕スクリーンから離れ、影絵せかいを観ておくのじゃ。

動き回る俳優かげえとしてではなく、影絵せかいを照らし観ておる者として。

おぬしは、観照者なのじゃ。






映写膜フィルムが透明に成る。

すると、映写幕スクリーンから影絵は消滅する。

そして、光のみが映る。






わたしは在る。







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