2012-09-23

優しさ

気ままの雑記から習う

まだまだ陽射しは強く暑い、それでも風は涼しく、洗濯物も乾きやすいですが、日に日に昼間が短くなってきました。みなさまいかがお過ごしでしょうか、尾山広平です。

7月は胸を開いていく過程で左右の動きがポイントでしたが、8月を折り返し、9月は逆に胸を閉じていく過程で左右の動きがポイントになります。レッスン中も、肋骨下部のやわらかい動きを感じてみましょう。

さて、今回は、”優しさ”についてのお話をしたいと思います。

自分を守っていませんか?

勉強しなさい!

自分に欲がなく、自分が得しようとする思いがないとき、優しさは生まれます。言葉を変えれば、思考君が、自分を守る方向とは、正反対の方向を向いているとき、それはつまり相手を守る方向を向いているとき、人は優しさを表現できます。優しさとは、「相手を思いやる心」といえるでしょう。

たとえば、子どものためを思って「勉強しなさい!」は、優しさといえますが、勉強できる子であって欲しいなどという、自分の欲を満たすための「勉強しなさい!」は、優しさとはいえません。

たとえば、「お茶を入れてほしい!」と頼まれて、相手のためを思って入れるのは優しさといえますが、お茶を入れることで好かれようとか、お茶を入れないと嫌われるとか、自分の欲を満たすために、つまり弱い自分を守るために、お茶を入れるのは、優しさとはいえません。

「自立心」と「依存心」

優しさとは、相手を守る方向を向いており、思いやっていることだといえるのですが、相手が求めていることを、してあげることとは言い切れません。

たとえば、「お菓子が食べたい!」とねだる子どもに応えることが、優しさとはいえません。「お菓子ばかりを食べていては、身体さんが弱ってしまいますから、また今度にしましょうね。」と断ることが優しさだといえます。子どもが自分で「安全/危険」を判断し、強く逞しく自立していけるように、手助けしてあげることが、優しさといえます。

たとえば、「お茶を入れてほしい」と頼まれて、お茶を入れてあげることが、相手の持っている「誰かを支配したいと思う心」や、「誰かに甘えたいと思う心」を育てることになる場合は、優しさとはいえないでしょう。

もちろん、甘やかしてあげ、安心させてあげることや、甘えることも、ときには大切な場合もあるとは思います。しかし、ただ相手の欲求を満たし、甘やかすことは、「自立心=思いやる心」とは真逆の「依存心=自分勝手な甘え心」を育てることになりかねません。

欲と欲とはぶつかり合う

欲と欲のぶつかり合い

自分の方に欲があるとき、その自分の欲を満たしてくれることを、優しさだと判断します。自分を甘やかしてくれる人を、優しい素敵な人だと判断します。(逆に、自分の欲を満たしてくれない優しさを、冷たいとか、ケチだとか判断することになります。)

こうなると必ずいつかどこかで、欲と欲とのぶつかり合い、傷つけ合い、お互いが不幸に導かれていきます。

お菓子の城

たとえば、恋愛中は、好かれたい、嫌われたくない、のオンパレード……ということも。プレゼントを渡すにしても、優しさからのプレゼントではなく、好かれるためのプレゼントなんて場合もあるものです。

もちろん、欲(恋)と優しさ(愛)と両方の思いがある場合もあり、その割合も色々でしょう……だからこその「恋・愛」といえます。「結婚した途端に、人が変わった! 騙された!」なんてことにならないことを、お祈り申し上げます(笑)

騙されないためには、どうするか!?

それは、自分が自立すること、つまり強く、優しくなることです。弱い自分を守ろうとする欲がなければ、相手のそれが欲からの行為なのか、優しさからの行為なのかは一目瞭然です。(といっても、恋愛中にこそ、欲に溺れ、苦しみ、そこから優しさを学ぶことが大いにできるという面があるのでしょうが。)

脚下照顧

親、教師、指導者など、他人を自立に導く立場の人は、「他人の直すべきところ」に目が向きがちです。しかし誰であっても、どのような立場の人であっても、私たちに大切なこと(よりよく生きるためにですよ)はいつだって、「自分自身を自立に導くにはどうすればいいだろうか?」の問いに答えることでしょう。もちろん縦の関係だけでなく、横の関係であっても、他人を「直そう、正そう」なんて傲慢にならず、真摯に自分を導くこと。それだけでいいのでしょう。それが結果として、他人を「導く」ことになるのだと思います。

自分が成長していこうとする方向を見ておきましょう。たとえ、そう思えず、そう行動できず、弱い自分を守ってしまうことしかできないときがあったとしても、そっちを向いてさえいれば、そのうちまた一歩を踏み出せるはずですよね。

脚下照顧についてはこちら

雑記63

感謝の心

ありがとう

優しさとは、『自他ともに幸せに導く、行動をとり、言葉を発し、思いを持つこと』であるといえるでしょう。ちなみに仏教では、「行動、言葉、思い」を「身口意の三業(しんくいのさんごう)」としています。この3つの業(行為)を原因として、結果が起こるというわけです。

自立した人とは、他に寄りかからず、自分の足で力強く立っている人のことです。しかしそれは、自分だけで立っているという慢心は、僅かもなく、他に支えられているお蔭で、自分の足で立っていることを深く感じており、他に感謝の心を持ち、自他に優しくできる人といえます。

優しさとは、”愛”。

愛を表現できる人こそが、最強であり、幸せなんですよね。


花火大会@日進

次の雑記

雑記31