2020-07-02

2020-05-15

第23章 ゾウ

ダンマパダ:真理の言葉


320

戦場で弓から射られた矢に耐え忍ぶゾウのように、私は非難を耐え忍ぶ。実に多くの人々は不道徳であるから。

321

調教されたゾウは式典に連れて出され、調教されたゾウは王に乗られる。調教して人の中で最上となる者は、(不道徳な者からの)非難を耐え忍ぶ。

322

調教されたロバは優れている。また、シンドゥー河のほとりで育った駿馬も優れている。また、巨大な霊獣の中ではゾウが優れている。(しかし)自分を調えた者はそれより(何より)優れている。

323

これらの優れた動物に乗ったからといって、未踏の地(である涅槃)に行くことはできない。自分をよく調教し、調教によって自分を調えた者が未踏の地に到達する。

324

「ダーナパーラ」という名前のゾウは、(発情のため)気性が荒く制ししがたい(状態にもかかわらず大人しく捕獲された。なぜなら他者を傷付けないよう溢れ出る血気を抑えていたからである)。捕らえられたゾウは与えられたご馳走を食べようとしない。ゾウは霊獣の森(にいる盲目の母のこと)を想っている。

325

食べ過ぎては眠る者、ごろ寝する者、眠りを貪る者。餌で育てた大豚のように愚鈍な者は、返す返す母胎に入(り再誕生す)る。

326

以前この心は、欲するままに、安らぐままに、欲求が赴くところへ彷徨っていた。今こそ私は、(この心の)起こり始めから制御しよう。ゾウ使いが(カギを引っかけて)暴れ狂ったゾウを制御するように。

327

汚れた心を放っておかないことを楽しむことによって自分の心を守れ。泥沼に沈んだゾウを引き上げるように、苦しいところから自分を引き上げよ。

328

もしも正しく生活する賢者を、連れだって歩く賢い友として得たのなら、すべての困難を克服することに適った、観照ある暮らしが送れるであろう。

329

もしも正しく生活する賢者を、連れだって歩く賢い友として得ていないのなら、征服した王国を捨てる王のように、霊獣の森に住むゾウのように独りで歩め。

330

愚かな者と親しむぐらいなら、独りで歩む方が優れている。霊獣の森に住むゾウのように悪いことをするな、欲張るな、独りで歩め。

331

必要なときにいてくれる友は安らぎである。どんなことにでも満足することは安らぎである。命が尽きるときに訪れる利徳は安らぎである。すべての苦しみを捨てることは安らぎである。

332

この世界で母を親愛することは安らぎであり、父を親愛することまた安らぎである。この世界で修行者を親愛することは安らぎであり、世界の根本を親愛することもまた安らぎである。
※ ブラフマン(梵)

333

老いるまで徳行を守ることは安らぎであり、信心が確立していることは安らぎである。智慧を得ることは安らぎであり、悪いことをしないことは安らぎである。


第23章 解説

「ゾウ」と題されているように、ブッダが説いた言葉の中から、「ゾウを説明に用いたもの」を主に取り上げています。内容に一貫性はありませんが、以下のようにまとめてみました。

要点
もしもこの世界の中で一時の安らぎを得たいのなら、人々を傷付けることを恐れ、森にいる母を心配して食事もノドを通らないほど優しいゾウ(前世の私)のように、家族や友人を大切にしなさい。そして、もしもこの世界の外で永遠の安らぎを得たいのなら、愚かな家族や友人から離れ、世間からの非難など構わず王国を捨てるほど勇ましい王子(今世の私)のように、独り自分で自分を調教ていきなさいと説いているのでしょう。

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