ヨガの太陽礼拝(P,141,142)

遠離

♨ まんぐーす爺さんの教説から習う

闇夜を照らし超然と輝く月を、水面みなもを通して見るならば、その色形は水面の状態などに依存するものじゃ。水面が塵に覆われており、ゆらゆらと波打っておるならば、その実相は隠され揺らぎ、見えなく成るものじゃ。月の実相を見るには、光をさえぎる塵を除き、光をゆがめる波を静めねばならぬのじゃ。同じ様に、心を照らし超然と輝く己を、心を通して観るならば、その色形は心の状態に依存するのじゃ。心が妄想に覆われており、ふらふらと彷徨さまよっておるならば、その実相は隠され揺らぎ、観えなく成るのじゃ。己の実相を観るには、己を遮る停滞質の盲信ごみを除き、己を歪める激動質の妄想なみを静めねばならぬのじゃ。

ヨガへの道を進みゆく者は、己をどうにかしようと奮闘する事無く、己を遮り歪める気質を超然と対処し、己の実相を直観するが良いのじゃ。

♨︎ 汚れの清掃

昔々或る所に平和を愛する勇者がった。彼は世界を汚し、動乱させ、人々を苦しめる魔物どもを退治する旅に出た。出会う仲間達を先導しながら、何年と魔物退治の旅を続けた勇者は、迷い、悩み、疲れ果てておった。そんな或る日、賢者と呼ばれる人に出会うと、これから自分はどうすべきかを尋ねた。賢者は語り出した。「昔々ある所に、もう何十年と身体を洗っていない老人が湯船に浸っていた。しばらくして湯船に浮かぶ汚れに気づくと、手桶で汚れをすくい出し始めた。しかし出せども出せども、どうしてか汚れが浮かんでおり、一向に取り除くことができなかった」 それを聞いた勇者が「まずは自身を清潔にしなければ」と答えると、「如何にも、それが最善である」と言うや、賢者は沈黙した。

♨︎ 動乱の平定

長い沈黙の後、賢者は再び語り出した。「昔々ある所に、年端のいかない子供が湯船で騒いでいた。しばらくして母親がその騒ぎに気づくと、湯船の波を静めることができるかと子供をあおった。子供は揺れる水面にそおっと手を当て静めようとし始めた。しかし逆に波立ててしまうことに気づき、次には湯船の中でジッとし始めた。しかし大きな揺れさえも一時的に静まるだけで、持続的に静めることができなかった」 それを聞いた勇者が「湯船から上がればいい」と答えると、「如何にも、それが最善である」と言うや、賢者は再び沈黙した。

解っておるね? 世界は汚れても動乱してもおらぬ。汚れ動乱しておるのは盲信さべつ妄想へんけんに満ちた心じゃ。妄信が汚れであり、妄想が動乱じゃ。湯船でジッとするは止行、湯船から上がるが観行じゃ。「水中に居る」という妄信こそが、様々な汚れと動乱を生み出す魔王じゃ。水面みなもに映る月を見る為に、水面みなもに対処する事は無いのじゃ。水から上がり、水面を照らす月そのものとして超然と観ておけば良いのじゃ。この最たる善行により妄信妄想が取り除かれ、心が純粋に成るならば、沈黙の中で、世界わたしは愛と平和に満ちておると知られるじゃろう。


さあ、世界から離れ、観照者として在りなさい。


遠離


ひと息つく

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