2012-10-22

摩訶不思議

気ままの雑記から習う

「暑いっ」からいきなり「寒いっ」になったという感じがあるこの頃ですね。先日20日(土)は、御在所岳に登って参りましたが天候にも恵まれ、とても楽しかったです。みなさまいかがお過ごしでしょうか、尾山広平です。

春に続いて「のぼせ」が起きやすく、花粉症などのアレルギーが出やすい時季です。肘の内側や、膝下の内側にそっと手当て(触れなくてもいい)をし、しばらく温めてあげると、滞ったエネルギーが流れてくれ、のぼせもとれます。そしてこの先、身体君は放熱を防ごうと縮んでいきます。足の内側から丹田(下腹部)への流れをよくし、保温できる状態にしていきましょう。

さて、今回は、”摩訶不思議”についてのお話をしたいと思います。

たくさんのことを知っている!

古代インドの宇宙観

生まれてからというもの、私たちの思考君は、色々と学習をし続けています。呼吸の仕方、立ち方、歩き方、発声の仕方……などの身体君の基本的な使い方から始まり、服の着方、箸の使い方、字の書き方……などを知っています。社会で生きるためのルール、モラル、マナーも知っています。地球は平らではなく球状であることを知っています。太陽の周りを地球が回っていることも知っています。

やがては、この世界に慣れていきます。この世界は、こういうものだと固定観念を作り、そこに安心を見出そうとします。この世界のことを分かった気になります。

何ひとつ知らない!

古代エジプトの宇宙観

ところが、「なぜ、生まれてきたのか?」「なぜ、地球は丸いのか?」「なぜ、このような世界になっているのか?」というような問題を、いざ考えてみるとなると、頭(思考君)は、何も知らないことに気づきます。私たちが知っている、または知ることができるのは、世界には何かしらの「働き(法則)」があるという結果的・表面的な部分です。

自然科学者たちは、その「働き」を観察し、法則を発見してきました。しかし、なぜ「働き」があるのか、その原因的・内奥的な部分については、誰にも分からないのです。私たちはこの世界のことを、0、00000000001%すらも理解していないのです。

奇跡

なぜ世界は、今ここに在るのでしょうか? なぜ私たちは、今ここに在るのでしょうか? 「なぜ?」は、分かりません。不思議です。考えるほどに理解できません。不思議です。世界は、そして日常は、ほんとうは不思議なことで溢れています。(ちなみに、「不思議」という言葉は、仏教用語「不可思議」の略語です。つまり、思考することは不可能であるという意味です。)

私たちが今この宇宙で、今この地球で、今ここで、この世界を体験していることは、頭にとっては、とてつもない奇跡なはずです。「よくぞまぁ、この様な体験ができる世界を創ったものですなぁ~!!」と、その神業にあきれるほどです。

月面からみた地球(撮影:アポロ8号)

この先どれだけ不思議なことが起きようが、宇宙が存在し働いている不思議に比べたら、それは微々たるもののはずです。人が空に浮かぼうが、奇跡的な治癒が起きようが、身体君が生きている不思議に比べたら、それは微々たるもののはずです。すべてが不思議です。不思議じゃない物事は思い浮かびません。

大人だからといって、分かった気になる必要も、そう演じる必要もありません。そして、なにも怖がる必要もありません。子供と一緒になって好奇心を持って、この摩訶不思議な世界を、この世界にいる奇跡を、共に楽しもうではありませんか。


日常から少しばかり離れ、ありふれた退屈な世界から抜け出して、「不思議」に思いを馳せてみる。それだけでも、あなたの世界は、輝きを少し取り戻したのではないでしょうか?


そうか~、そうだ~、自分は今、奇跡の真っ只中にいるんだな~。


御在所岳

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