ハタ・ヨガの修行法(P149,150)

食事

♨ まんぐーす爺さんの教説から習う

菓子あまみからみ珈琲にがみしぶみなどが、取り方によっては快楽を得る為の単なる嗜好品と成る様に、食事もまたそう成り得る危うい行為と言えるのじゃ。無論、幼稚さを卒業し、大人への成長を志す者ならば、食事に限らず何事も、その様な態度で臨むべきではない。その様な態度に基づき貪り食う者を餓鬼がきと呼ぶのじゃ。餓鬼が手に取る飲食物は炎に姿を変えるため、餓鬼は満たされる事無く、常に飢えと乾きに苦しむとされる。要するに、食事により身体的欲求を摂取するならば身体は満たされる。じゃが、心理的欲求を摂取しようとするならば、その欲求は炎に油を注ぐかの様に、更なる勢いで燃え続ける事に成ると言うのじゃ。

ヨガへと進みゆく者は、食事の危うさに注意し、食事は心身を健全に快適に調える上で必要な行為として呑み込み、大切に営むが良いのじゃ。

♨︎ 食質

仏道に始まる精進料理とは元来、心身の停滞質と激動質が増進せぬ様、工夫された料理なのじゃ。森羅万象すべては停滞質、激動質、純粋質の三質の戯れであり、食材、料理もまたこの三質を併せ有しておる。停滞質に偏った停滞質食は、心身に鎮静・弛緩をもたらし易く、激動質に偏った激動質食は、心身に興奮・緊張をもたらし易い。そして両極に偏らぬ純粋質食は、心身に快適・安定をもたらし易く、健全食と呼べる食質なのじゃ。

一方で、心身が停滞質に偏っておるならば食欲の不足、或いは食べ続け、激動質食や純粋質食を避け、何の反応も起こらぬ様な、粗略で鈍く味の薄い、人工的で生気の不足した停滞質食を欲し、逆に心身が激動質に偏っておるならば食欲が過剰で、停滞質食や純粋質食を避け、「あまっぱ! しょっぱ! にがからしぶうまくさあるつめた!」などと反応が起こる様な、粗暴で鋭く味の濃い、人工的で生気の過剰な激動質食を欲する傾向にあるじゃろう。

♨︎ 食法

また、心身がどちらにも偏らず純粋質により均衡しておるならば、停滞質食と激動質食を避け、「噛む程に旨い。実に美味しい」などと言える様な、新鮮で程良い味の、より自然で生気の均衡した純粋質食を欲する傾向にあるじゃろう。

じゃが、例え純粋質食であろうと、食べる姿勢が腑抜け、速度が遅く、量が不足しておるなど、停滞質に偏った粗略な食べ方であったり、逆に食べる姿勢がリキみ、速度が早く、量が「腹いっぱいで苦しい」などと言う程に過剰であるなど、餓鬼の様に激動質に偏った粗暴な食べ方であるならば、心身は停滞質と激動質の間を不安定に揺れ動く事に成るじゃろう。

それ故に食べる姿勢は腑抜けずリキまず快適を保ち、速度を安定させ、量は「もう充分」などと言う程に、その時々の身体の状態に適切に応じておるなど、純粋質にならした安穏な食べ方を心掛けるが良いのじゃ。そう、程々に、程々に。


さあ、食事を調えてゆきなさい。


食事


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