2011-12-08

贈りもの

気ままの雑記から習う

ますます冷え込んで、ますます日が短くなってきました。早朝クラスを終えたあとも、外はうす暗い状態です。みなさまいかがお過ごしでしょうか、尾山広平です。

身体君は急に冷えると、左側を縮めすぎてしまうことがあります。すると左右のバランスに差ができねじれたりします。骨盤の左側が縮み過ぎねじれると、お腹が冷えることにもなります。この時季は骨盤底(とくに左側)をゆるめることもしながら、保温できる身体君にしていきましょう。

さて、今年もクリスマスが近づいてきました。ということで、今回は”贈りもの”についてお話したいと思います。

表現する

クリスマスという日は、サンタクロースが真っ赤なお鼻のトナカイに乗ってやって来て、「良い子」にプレゼントを届ける日。……でもりますが、イエス・キリストの誕生を祝うキリスト教の記念日ということです。でも多くの日本人にとってクリスマス(クリスマス・イヴ)といえば、家族や友達でワイワイとパーティーをしたり、恋人同士で語らったり……そしてお互いにプレゼントを贈りあったりする日であることでしょう。

子どものころは、プレゼントを贈る側ではなく、受けとる側でした。夜はワクワクとした気持ちでお布団に入り、、朝起きるとプレゼントが枕元に置いてある。それが嬉しくてうれしくて、贈ってくれたサンタさんのことなど想うヒマともなく……大はしゃぎで喜んでいたのを思い出します。

贈りもの

「贈る」とはもちろん「モノを与える」ということだけではありません。モノ以外にも言葉や歌、手紙、笑顔、一緒に過ごす時間……を与える。贈りものとは、モノを通して自分の「気持ちを伝える手段」、英語のPresent(プレゼント)という言葉通り「気持ちを表現する手段」ということですね。

それは、今日はおめでとうという「お祝い」の表現であったり、元気を出して!という「励まし」の表現であったりと。

それは相手を「思いやる気持ち」、つまり「愛」の表現といえます。そして、いつもありがとうという「感謝」の表現でもあり、一緒にいることができて嬉しいという「喜び」の表現でもあることでしょう。

愛とツナガリ

「愛」「感謝」「喜び」を相手に伝えることで、私たちはその相手とのツナガリを感じ、そして幸せを感じることができるのです。前回のコラムテーマ「ツナガリ」でお話したように、ナニカと完全にツナガッタ感覚とは、自と他を分けている境界線(頭の中の)が無くなっている状態です。それは、自分がいない(思考君の働きが止まっている)状態でもあります。無心とはいかないまでも、贈るという行為をするとき、そのときは自分が得をすること(自分を守ろうとすること)を考えていない状態ということです。そんなときは自分がいない状態に近いわけです。ですから、ツナガリを感じ、幸せを感じることになると考えることができるでしょう。

前回の記事はこちら

雑記14

ナニカを思いやることは、「欲(自分を守るため)」によって作成した行動指針プログラムを起動させなくし、削除する(自動起動する働きを止める)ことになるのです。ヨガを含め、仏教やキリスト教でも「愛(思いやる気持ち)」を説くのは、本質的にはそのためと考えられるでしょう。

  • 「愛」するほどに、「欲」による自動反応を削除することができ、より幸せを感じる
  • 「欲」による自動反応を削除するほどに、「愛」することができ、より幸せを感じる

ということです。サンタクロースにふんするって……「自分が贈ったんだから、なにかお返しちょうだいよ。」なんていう「欲」はどこにもありませんね。ただ、ただ、子どもが喜んでいるのが嬉しい。これって「愛」ですね。

長いことサンタさんを信じさせてもらいました……お父さん、お母さん、ありがとう。。。私もそろそろサンタさん役になる年頃です。(もう年頃はとっくに過ぎてるって?汗;)

それではせっかくですので、みなさんに日頃の感謝の気持ちを込めて、ほんとにささやかな贈りものを届けたいと思います。(どんだけあわてん坊のサンタクロースだって?汗;;)

一つは、クリスマスと言うことで……。もう一つは、懐かしい歌です。らんま1/2のエンディングソングで、とても好きな曲です。らんま1/2を知っている世代の人も知らない世代の人も、ぜひ聞いてみてください。(↓それぞれクリックすると移動します。)

贈りもの1

贈りもの2

クリスマスまでは、まだ少しありますね。みなさんは、誰に、何を贈りますか?


ガンジス川(@バラナシ)

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