2020-01-08

2011-08-02

取扱説明書

気ままの雑記から習う

暑い日が続いていますが、夜は寝やすい日が続いていますね。そのお蔭で、今のところはエアコンも扇風機も使わないエコ生活をしています。昨晩は地震が起きたようでしたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。尾山広平です。

今年も、一年で最も暑い季節である8月になりました。この時季は、胸から熱を発散させる働きが高まります。物事に抵抗せず、心を開いていくことで、胸は季節の流れに従ってやわらか~くゆるんで開いていき、熱の発散もスムーズになることでしょう。

さて今回は、“取扱説明書”についてのお話をしたいと思います。といっても、エアコンや扇風機の取扱説明書についてではありませんよ。

思考とは? 私とは?

ヨガ修行者(愛好家)にとって、「思考君」は「本当の私(真我)」ではないという認識を持つことは、とても大切です。それはこの認識が、『思考君の働きを客観的に観ること』それを、より容易にしてくれるからです。

しかし、思考君は私ではありませんよ、なんていわれてもな~。考えているのは私でしょう? 考えているのが私ではないのなら、私っていったいなんなの? 私はいるの? いないの? 思考君が私ではないのなら、思考君ってなんなの? そういう思いがわいてくる方もいるかもしれません。

思考君とは?

思考君は、体の一部分である脳に備わった機能の一つであり、思考する部分です。それは精密に作られた機械のようなものです。人工知能のように、入力した情報から学習していくコンピューターのようなものです。

思考コンピューター

思考君の働きは主に、情報を受け取ること。受け取った情報を記憶すること。記憶した情報と受け取った情報を比較すること。受け取った情報を認識することです。そして、生きるため(自分を守るため)、もっと幸せになるため(自分のため)に最良策を検討します。

私とは?

「私」というのは「観念」です。観念ですから、それは思考君の働きが作り出しています。「私がいる」と思う“働き”があるから、「私がいる」と思うのです。この“働き”が止まれば、「私」はいなくなります。

私は脳内の働き

思考君の働きにより作り出されている「私」は、どこにも存在しません。“働き”は“働き”ですから、そこに“実体”はないということです。ただ脳内に電気信号がカチカチと飛び交っているという“働き”があるだけです。いくら脳内から「私」をとり出そうとしても、もぬけの殻です。

これらの認識があると、思考君の働きをより客観的に観察することに役立ちます。そして観察していると、「あぁ、思考君はよく働く機械だな~。」と実感されると思います。さらには「私がいるわけではなく、思考君が働いてくれているだけなのだな~」と実感されると思います。ついには「私」がいなくなり、「本当の私」を実感されるかもしれません。

ヨガの目的である「悟り」とは、「私」という観念がなくなり、思考君という機械の働きを自由自在にコントロールできるようになった状態のことです。つまりその目的を達成するまでは、多かれ少なかれ誰でも思考君にコントロールされています。

「悟り」とは、思考を自由自在にコントロールできるようになった状態ではなく、無知により一体化しておる自己と思考とが弁別(識別)された状態なのじゃ。

2020/01/08

コントロールしている? されている?

では、どうして私たちは思考君にコントロールされているのでしょう? それは、思考君という機械の性能がよいからです。それはそれは素晴らしい学習能力で、入力してきた情報をもとにして、やがては―自動―で働けるようになるからです。この「自動化(プログラム化)」という思考君の働きにより、私たちは、思考君にコントロールされることになるのです。

実際にはコントロールされている訳でも、コントロールしている訳でもなく、単に記憶に従って思考が働いているだけなのじゃ。

2020/01/08

そうかといって、この「学習したことを自動化する」という働きのおかげで、私たちは日常生活をなんなく過ごせるわけです。それはそれは、ありがたいことでもあります。しかし、この自動化の働きを放っておくということは、日常を思考君にコントロールされているということですから、不都合なことも起きてきます。そして、自分の人生を生きられなくなります。生きている実感も希薄になります。自分で思考君をコントロールする範囲がますます減っていくわけですからそうなります。そこで必要なのが、『思考君の働きを客観的に観ること』なのです。

実際にはコントロールする範囲はないため、それは増えも減りもせぬのじゃ。思考が「欲望と恐怖」に振り回されている状態が自動化することで束縛感(コントロールされている感)が起こると言えるのじゃ。

2020/01/08

プログラムの見直し、削除

思考君の働きを観るとは、自動(無意識)の働きを、手動(意識)に切り替えていくようなものです。意識された無意識の働きは、徐々にその働きを止めていきますから、それだけ思考君の働きをコントロールできるようになるのです。ヨガの修行とは、この自動化されたプログラムを見直し削除していくことだといえ、さらには「私」を生み出している思考君の働きをも削除し、最終的には「私」や世界を認識していた認識そのものを削除することです。

思考をコントロールできるようになるのではなく、思考の働きを客観的に観ることにより、欲望と恐怖に振り回される束縛から、思考それ自体が解放されてゆくのじゃ。

2020/01/08

思考君は、過去の情報をもとに働いている機械です。そして道具です。道具は使うものです。使い方さえ分かってくれば、それこそ「思考君」と呼ぶにふさわしいお友達になってくれることでしょう。

思考を使っておると思っておるのもまた思考なのじゃ。

2020/01/08

ヨガの教えを含め、仏教の経典や、おそらくキリスト教の聖書も、思考君という道具を使いこなせるようにするための説明書なのでしょう。ということで、今回のタイトルは「取扱説明書」でした。

では、みなさんの今日が、人生で最も素敵な日でありますように。


花火(@豊田おいでん祭り

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