【私】について4

心と身体を一から習う

「私は意識である」―― これを知識として頭の中で理解しているだけでは「思考君の働きが私である」という幻想の中を彷徨い歩き続けるだけなのです。それでは鬼さん、そろそろゲームを始めましょう。
は~じめ~の~い~~~~っぽ\(^O^)/

ロボット[+_+]だらけ(?_?)

人が無意識に何かをしているとき、それは「反応そのもの」になっており、ゾンビやロボットに似た状態になっています。
それはまた、思考君が勝手気まま……いやいや(^_^; 勝手一生懸命に走っているときであり、【私】は思考君の走りと一体化している。というか、思考君というものの陰に姿を隠しているといえます。

そうじゃ。厳然として輝く太陽の光さえも雲によって遮られる様に、走り回る思考にとっては、厳然として在る【私】の観照さえも遮られておるのじゃ。

♨ 2020/03/01

ある行為を経験するほどにその行為を「無意識化」していくという仕組みにより、普通に生活している人の【私】は、思考君の快走をほとんど観ていません……、つまり、誰も彼もが、ず~っと自動反応の繰り返しになっているのです。

地球は今、思考君の反応にコントロールされているロボット状態の人であふれている(・O・)

そうじゃ。古今東西、地球はその様なロボット状態の人々で溢れておるのじゃ。何故ならそれこそが人の本性だからなのじゃ。


そのロボット状態から離脱した稀有な者は、知っての通り「目覚めた者(ブッダ)」などと呼ばれたりするのじゃ。

♨ 2020/03/01

【私】と「反応」の二分化(・_・/・_・)

すべての苦しみの発生源といわれる【私】=「私の状況思考君の状況」という認識があると、話す、泣く、怒る、悩む、空腹、眠い……などの表現や状態に対して、私が話している、私が泣いている、私が怒っている、私が悩んでいる、私のお腹が空いている、私が眠い、……などと認識することになります。
この認識があると「反応そのもの」「思考君の働きそのもの」になるので、これを換えることが【私】が思考君の働きと一体化し、反応そのものになることから抜け出し、【私】と「反応」を二分化することにつながります。思考君の隙間から顔を出す第一歩です。

次のように認識してみましょう。

  • 私の使っている観ている思考君が(私の使っている観ている身体君を使って〈以下省力〉)話している。
  • 私の使っている観ている思考君が泣いている。
  • 私の使っている観ている思考君が怒っている。
  • 私の使っている観ている思考君が悩んでいる。
  • 私の使っている観ている身体君のお腹が空いている。
  • 私の使っている観ている身体君が眠りたがっている

【私】は思考君の働きそのものではなく、その働きを客観的に見渡す存在「意識」であると認識しておきます。

つまり【私】は「考え」や「表現」そのものではなく、

【私】は考えたり表現したりする思考君の働きを観察している存在「意識」である(・_・!

気付くということ(・O・!

あなたは今、この文章を読んでいます。「読んでいる」そのものになっていませんか? この文章を読んでいる思考君の働きを観ていますか?

この質問は、あなたの思考君に対してではなく、あなたの「意識」に働きかけています。

「おっと! 観ていなかった(*O*)

と気付いた時点で、【私】と「読んでいる」は二分化します。
無意識に何かをしているときは、勝手に思考君が走っているということです。その思考君の快走を止めるには、思考君が走っていることに気付くことです。何をしているときであれ、まずは観ていないことに気付くことです。
それはまるで「だ~るまさんが転んだ!」と鬼が振り返ったとたんにピタッととまるかのように、見られた思考君は止まります。

この「気付き」は思考君の働きを越えた意識の目覚めではないでしょうか(^_^)

そうじゃ。意識の本質は「気付き」じゃ。


この至上なる教えに出会うという人生最大の祝福に恵まれたならば、思考を止めようとするのではなく、思考と一体化する事を止めてゆくが良いのじゃ。ただただ気付きに留まり、走り回る思考を見守っておくのじゃ。

♨ 2020/03/01

思考君は単なる機械(・O・?

思考君(または表現)を観察してみると、痒ければすかさず掻き、痛ければ顔をしかめ、家に帰れば有無を言わさずテレビをつけ、お腹がすいたら何を食べようか考える……などと、自動反応の嵐であることに気付くでしょう(必要といえる反応も多々あります)。
また、無意識になっていることに気付いたら、その無意識の間に思考君の走った経路を回想してみると、思考君はリレーでバトンを渡していくかのように、次から次へと連想していったことを知るでしょう。勝手し放題なのです。

思考君のこの勝手な走りを知ると、思考君のことが、自分の意思とは無関係な機械のように見えるかも(・_・!

そうじゃ。それが事実じゃ。その事実を知るために、観察し続けるのじゃ。

♨ 2020/03/01

「今・ここ」にあること(^_^)

気付くためのキーワードは「今・ここ」です。いつでもどこでも「今・ここ」に注意していようとする。「意識」は【私】は「今・ここ」に在るからです。
この気付きを実践してみると、「おっと! 今に在(い)なかった」と何回も繰り返し、眠っていたことに気付きます。
それはまつで、「だるまさんが転んだ」に参加中なのに、ぐっすりすやすや(- -)zzz…と眠っていた鬼役が、やっと後ろを振り向き始めたようなものです。

眠っている鬼さんは、眠っていることに気付くことはないですね。思考君は自由奔放に動き回っています(・_・)

言葉を越えた場所(^_^)

「私は意識である」という言葉は思考君による認識ですから、この言葉自体が二分化に作用するわけではないのですが、言葉を越えた場所から思考君を観る。
思考君が話しているのを、怒っているのを、泣いているのを、観る。ん~悩んでるね~(^_^)なんて笑えてきたら、眠り込んでいた意識が目覚め、顔を出すようになった証拠であり、【私】と「反応」が二分化してきたということです。

言葉の奥に在るものこそ……


鬼さん! そろそろ、ゲームをする気になりましたか?

動き回る思考君を捕まえていきましょうか(^_^)/

旅もそろそろ……


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