第8章 千
たとえ千もの無益な言葉より、聞いて心の静まる有益な言葉1つの方が優れている。
たとえ千もの無益な詩句より、聞いて心の静まる詩句1つの方が優れている。
また、たとえ百もの無益な詩句を詠むより、聞いて心の静まる真理の言葉1つ読む方が優れている。
戦場において百万の軍勢に勝てないとしても、ただ一人の自分に打ち克つのなら、実にその者こそは最上の勝利者である。
実に、自分に打ち克つことは、他の人々に勝つことよりも優れている。常に自分を調教し、自制した生活をしている者(は自分に打ち勝つ)。
実に、そのような在り方の者の勝利を敗北に転ずることは、神にも、ガンダルヴァ神にも、悪魔にも、ブラフマー神にもできはしない。
その者が月々千回、百年にわたって祭るとしても、自分を修めた者一人を瞬時でも礼拝するのなら、その礼拝はまさしく百年の祭儀より優れている。
また、人が林のなかで百年のあいだ火神に奉仕するとしても、自分を修めた者一人を瞬時でも礼拝するのなら、その礼拝はまさしく百年の祭儀より優れている。
功徳を望むが、何であれこの世界で祭られ供えられたものを一年のあいだ祭るとしても、正しい行いの者へ敬意を払うことの方がより優れている。すべて(の功徳を合わせる)といえど、その半分の半分にも及ばない。
敬意を払うことを習慣とし、常に先輩を尊敬する者にとって、4つの性質が増大する。(それは)寿命、美容、安楽、活力である。
また、徳行を守ることなく心を静めることなく百年のあいだ生きる者より、徳行を守り(心を静めるための)瞑想をする者が一日生きる方がより優れている。
また、智慧がなく心を静めることなく百年生きる者より、智慧を備え(心を静めるための)瞑想をする者が一日生きる方がより優れている。
また、怠惰に精進することなく百年生きる者より、堅固に精進に励んでいる者が一日生きる方がより優れている。
また、(すべてが)現れては消えることを見ることなく百年生きる者より、(すべてが)現れては消えることを見る者が一日生きる方がより優れている。
また、不死の境地を見ることなく百年生きる者より、不死の境地を見る者が一日生きる方がより優れている。
また、最上の真理を見ることなく百年生きる者より、最上の真理を見る者が一日生きる方がより優れている。
「千」と題されているように、ブッダが説いた言葉の中から「数字を説明に用いたもの」を主に取り上げています。
人生で最も大切なことは、汚れた心を清めることであり、これ以上に大切なことは他にありません。汚れた心を放ったまま、多くのものを手に入れるよりも、多くのことをするよりも、長いあいだ生きるよりも、たった一瞬でも、たった一分でも、たった一日でも、真理に触れ、心を清める努力をすることの方が、余程に大切なことです。たとえほんの少しでも、汚れた心を清める努力をする時間を大切にしなさいと説いているのでしょう。