2012-04-19

自立

気ままの雑記から習う

桜の花も散り散りに舞乱れ、そして若葉が芽生え、雲は流れ、その下ではタンポポの花が元気よく咲いています。の・ど・か・・・ですね。昨年発症した花粉症の症状も今年は起こらず、少しは身体君の声に耳をすまして暮らせるようになってきたかなという今日この頃です。みなさまはいかがお過ごしでしょうか。尾山広平です。

肩周りのエネルギーの流れがよくなり、身も心もスッキリとし、上着もゴワゴワと重苦しく感じられたときには、身体君は春のリラックスモードの締めくくりといえそうです。

さて今回は、”自立”についてのお話をしたいと思います。

親離れ

自立とは独り立ちすることであり、一般的には親から独立することを意味します。生まれたての赤ちゃんや幼い子どもは、生きることを親に依存しています。親の支えなしには生きていくことが困難であるからです。自分と依存対象(親)との間に一体感が大きくあり、それが安心感を生み出しているといえるでしょう。

親や教師などの決めたルールに従い、ときには我慢して従い、ときには抵抗し、暮らしていきます。

一体感から離別感へ、服従から反抗へ

大自然

やがては自分と親との間に大きくあった一体感は徐々に小さくなっていき、親と自分は各々であるという離別感(孤立・孤独感)が大きくなっていきます。そして今まで従っていたルールに違和感を持つようになり、それに反抗するようにもなります。ここで起こる反抗は親からの独立戦争のようなものです。

独立戦争と言っても、「現実」の親や教師に反抗することが目的なのではなく、その目的は今まで当たり前に従っていた「頭の中」の親や教師(に教えられたルール)に反抗し、そのルールから解放され、選択する自由を手に入れることです。そしてそれは同時に自分の行為に責任を持ち、孤独感に打ち勝つ強さを手に入れることになります。

いわゆる反抗期とは、大人になるために起こる通過儀礼ともいえるでしょう。ある程度激しい反抗期のお蔭で、親も子どもを一人の大人として扱う準備ができ、子離れができるとも言えるでしょうか。

反抗、そして独立へ

自由の女神

古今東西この通過儀礼は、儀式的に行われてきたようです。よく知られているところでは、バンジージャンプの起源になったといわれるペンテコスト島(バヌアツ共和国)の、足にツタをくくりつけて数十メートルにもなる木造りのやぐらから飛び降りる儀式や、エチオピアの数頭の牛の上を歩く儀式があります。もちろん日本にも奈良時代より元服(式)という男子の成人を示す儀式があります。

その他にも世界各地で様々な通過儀礼がありますが、その儀式を執り行って以降、大人(親)たちは子どもを一人の大人として認め、結婚を許可するようになります。またそのような儀式を執り行うことで、子どもは現実の大人や社会に反抗することなく、勇気でもって頭の中のルールを壊し、自由と責任、そして大人としての強さを手に入れるのでしょう。

依存

ところが、この頭の中のルールを壊す通過儀礼を行えない場合があります。「親は強い=自分は弱い」という認識が強すぎるとそうなる場合があります。「自分は弱い、だから自立なんてしたら生きていけない。」と心の奥で思っています。自立することで生まれる孤独感を恐れているのです。

そうなると親だけでなく、恋人や親友など身近な誰かや、アルコールやsex、薬物等にも一体化(依存)していたいという欲求を持つ可能性があります。毎日会いたい、毎日声を聞きたい、四六時中メールをしていたい、自分だけをかまっていて欲しい……四六時中飲んでいたい、sexしていたい……。

依存対象に服従したり、逆に支配しようとしたりと、何かと一体感を得ることで、内側にある孤独感を紛らわそうとするからです。ですが、その欲求が一時的に満たされたように感じても、孤独感に脅えている以上は、決して満たされることはありません。自分はダメな人間で、価値がないと感じ、生きることが辛く苦しく、重荷でしかなくなります。

依存から自立へ

タンポポ

この生きづらい依存状態から脱却するには、まずは自分が依存をしている事実に気づくことです。そして「自分は弱い」という認識を「自分は強い」という認識に変えて独立するぞと独立宣言をすることです。たとえば親の言いなりには絶対にならないと決心し実行したり、子供のときに教えられたルールを意識的に破ったり、とにかく自分の頭の中に革命を起こす必要があります。


「自分は強い」


「自分は弱い」という思い込みは心の奥(無意識)にあるため、この認識に気づきにくいでしょう。前回のように親を許していなかったり、親や他人に意見できなかったり、親や他人の評価が気になり過ぎたりし、そして「生きづらさ」を常に感じているとき、この認識が心の奥にあるかもしれません。そしてまた、心の奥にあるこの認識を換えるのはなかなか難しいでしょう。しかしほんの小さな反抗であっても、小さなルールを破るのであっても、きっとその分強くなれるはずです。「自分は強い」という認識に変換することが、自立への道であり、生きやすくするためには必要です。

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