第21章 雑多
もしも広大な安らぎを観るのなら、(愚か者でさえ)狭小な安らぎを洗いをあざらい捨てるであろう。(しかし)賢い者は狭小な安らぎを捨ててから、広大な安らぎを正しく観る。
(他者を恨み、)他者に苦しみを与えることによって、自分の安らぎを求めるのなら、恨み(恨まれ)が交互に繰り返され、その者が恨みから解放されることはない。
高慢で、汚れた心を放ったまましている者。するべきことを捨てて、するべきではないことをする者。その者たちには煩悩が増大していく。
しかし常に身体の動きを観照し、よく努力している者。すべきではないことをすることなく、するべきことを弛むことなくしている者。(このように)観照あり、正知のある者たちからは煩悩が消失していく。
母(のような渇愛※)を殺し、父(のような我慢※)を殺し、王族の2人の王たち(のような常見と断見※)を殺し、王国(のような12処※)を滅ぼし、従臣(のような快楽と貪愛/苦痛と憎悪)を殺す。(このように)聖職者は戸惑うことなく(殺して)いく。
※ 下記に用語説明
母(のような渇愛※)を殺し、父(のような我慢※)を殺し、教典を聞く2人の王たち(のような常見と断見※)を殺し、トラ(のような五蓋※)の5番目(である疑心※)を殺す。(このように)聖職者は戸惑うことなく(殺して)いく。
※ 下記に用語説明
ゴータマの弟子は、よく目覚め、常に目覚めている。その者たちは昼も夜も、常に覚者(に向いた心意)を観照している。
ゴータマの弟子は、よく目覚め、常に目覚めている。その者たちは昼も夜も、常に真理(に向いた心意)を観照している。
ゴータマの弟子は、よく目覚め、常に目覚めている。その者たちは昼も夜も、常に修行者(たちに向いた心意)を観照している。
ゴータマの弟子は、よく目覚め、常に目覚めている。その者たちは昼も夜も、常に身体(に向いた心意)を観照している。
ゴータマの弟子は、よく目覚め、常に目覚めている。その者たちは昼も夜も、非傷害※の心向きを楽しんでいる。
※ アヒンサー
ゴータマの弟子は、よく目覚め、常に目覚めている。その者たちは昼も夜も、瞑想する心向きを楽しんでいる。
出家生活は難しく、楽しむことは難しい。暮らすことは難しく、家庭生活は苦しい。(どこであろうと)他者と生活することは苦しいものであり、(人生の)旅人は苦しみに陥る。そうであるから(人生の)旅に出るな。苦しみに陥るな。
信心と徳行を備え、富と名声を備えている者は、親しむその地その地で、同じように尊敬される者である。
(開かれた覚者の眼には、)ヒマラヤの山々のように遠くにいても(真理を聞き気のある)善人は見える。夜に放たれた矢のようにこの場にいても(真理を聞くのない)不善人は見えない。
独り坐り、独り眠り、独り歩みを怠けることなく、独り自分を調教することを、世間の喧騒から離れたところ※で楽しめ。
※ 原文は「森のなか」
「雑多」と題されているように、ブッダが説いた言葉の中から、「特定の分類をしていないもの」を主に取り上げています。内容に一貫性はないということですが、以下のようにまとめてみました。
まず、「自分が存在する」という我慢から、「自分は常在する」という常見と「自分は消滅する」という断見の2つの誤謬が起こり、「存在していたい、存在したくない」という相反する2つの渇愛が生まれます。そして次に、6つの認識器官である「眼・耳・鼻・舌・身体・心」と、6つの認識対象である「色・音・香・味・体感・想念」という12処による経験・記憶に基づいて、「喜び楽しみたい」という貪愛と、「憂い悲しみたくない」という憎悪の2つが起こります。
私ことゴータマの弟子は、これらの煩悩を除去していきなさい。ゴータマの弟子は、いつでもよく覚めていなさい。無意識的で気付きなく、記憶に従う習慣的な行為の中に入り込み、観照を忘れることをやめなさい。意識的で気付いており、記憶に従う習慣的な行為の外に出て、いつも観照をしていなさい。そしてゴータマの弟子は、誰も傷付けることなく、ささいな一時の安楽を捨てていき、独りきりの中で生じる寂静を楽しみなさい。
機が熟したのなら、その寂静の中に果てのない永遠の安楽を発見するものです。それは決して困難すぎることもなく、安易すぎることもありません。しかし少しの疑いが、迷いを生み、焦りを生み、ためらいを生み、その達成を遅らせることになります。ですからゴータマの弟子は、信心を確固とし、焦ることなく、弛むことなく、一歩いっぽと進んでいきなさいと説いているのでしょう。
渇愛:
- 貪愛 :快楽への欲望。「喜び楽しみたい」という心意
- 有愛 :存在への欲望。「存在していたい」という心意
- 無有愛:消滅への欲望。「存在したくない」という心意
これらを合わせて渇愛と呼ばれる
我慢:
自分は存在するという見解。「がまん」と読む。煩悩の1つ。あるいは自分と他者を比較する心意。自慢すること。慢心。
常見:
自分は常在するという見解。「じょうけん」と読む。煩悩の1つ。自分は永遠不滅の真我(魂)であるとする見解。
断見:
自分は消滅するという見解。「だんけん」と読む。煩悩の1つ。自分は生滅変化する身体であるとする見解。
12処:
- 六根:①眼 ②耳 ③鼻 ④舌 ⑤身体 ⑥心意
- 六境:①色 ②音 ③香 ④味 ⑤体感 ⑥想念
これらを合わせて12処と呼ばれる
五蓋:
- 貪愛 :快楽への欲望
- 憎悪 :苦痛への恐怖
- 惛沈/睡眠:坐ることもしていられない鎮静状態/眠気
- 掉挙/悪作:居ても立ってもいられない興奮状態/後悔
- 疑心 :四聖諦に対する疑念
これらを合わせて五蓋と呼ばれる