2020-07-02

2020-05-15

第2章 不放逸

ダンマパダ:真理の言葉


21

汚れた心意を放っておかないことは不死の道であり、汚れた心意を放っておくことは死の道である。汚れた心を放っておかない者は死ぬことがない。汚れた心を放っておく者は死んだも同然である。

22

このことを明確に理解して、汚れた心意を放っておかない賢い者たちは、汚れた心意を放っておかないことを楽しみ、聖なる境地を喜ぶ。

23

その者たちは、(心意を留める)瞑想をし、堅固に堪え忍び、常に健気に精進する。(このように)賢い者たちは、(煩悩の)結束から離れた無上の安穏である涅槃に触れる。

24

熱心な者、観照ある者、浄行している者、謙虚な者、自制している者、真理に従って生きている者、汚れた心意を放っておかない者。これらの者の名声は高まる。

25

熱心さによって、汚れた心意を放っておかないことによって、自制することによって、調教することによって、智慧ある者は、激流さえも押し流すことのできない安全地帯を作れ。

26

智慧のない愚かな人々は汚れた心意を放っておくことに耽る。しかし、智慧のある者は、当世で一番の財宝を守るように、汚れた心意を放っておかないことを守る。

27

汚れた心意を放っておくことに耽るな。愛欲に親しむな。汚れた心意を放っておかない瞑想者は、事実として大いなる安らぎを得る。

28

賢い者が汚れた心意を放っておかないことによって、汚れた心意を放っておくことを取り除くのなら、智慧の高楼に登り、山上にいる者が地上の人々を見下ろすように、憂のない智慧者は憂いのある愚か者を見下ろす。

29

汚れた心意を放っておく人々のなかで汚れた心意を放っておかず、(心意を見張らず)眠っている人々のなかで(心意を見張り)よく目覚めてている。そのように賢い者とは、足の遅い馬を抜き去っていく足の速い馬のように、汚れた心意を捨て去っていく。

30

インドラ神は汚れた心意を放っておかないことによって、神々のなかでの最勝の者となった。常に、汚れた心意を放っておかないことは称賛され、汚れた心意を放っておくことは非難される。

31

汚れた心意を放っておかないことを楽しみ、汚れた真意を放っておくことを脅威と見なす修行者は、微細なものから粗大なものまですべての煩悩の結束を焼きながら、燃える火のように進む。
※ 原文は「結」。微細なものは「五上分結」。粗大なものは「五下分結」を示す。これらの用語については第25章の解説下をご参照ください。 こちら

32

汚れた心意を放っておかないことを楽しみ、汚れた心意を放っておくことを脅威と見なす修行者は、後退するはずもなく、(今や)涅槃の目前にいる。


第2章 解説

「不放逸」と題されているように、ブッタが説いた言葉の中から、「不放逸に関するもの」を主に取り上げています。仏教における『放逸』は、徳行以外に遊び、徳行を怠け、汚れた心意を放ったままにする不注意な心意を示しています。ですから『不放逸』は、徳行以外に遊ばず、徳行を怠けず、汚れた心意を放ったままにしない注意深い心意であり、それはまた「汚れた心意を脅威と理解している心意」とも言えるでしょう。

要点
汚れた心意に注意を払わず放ったままにして遊び怠けることは苦しみをもたらし、汚れた心意に注意を払い放っておかず徳行に努め励むことは安らぎをもたらすというのが真理です。ですから、誰にとっても、神々にとってさえも、苦しみの原因である汚れた心意を放ったままにしておくことは恐ろしいことであり、苦しみの原因である汚れた心意を清めることは喜ぶべきことなのです。自分の苦しみを取り除くために、その原因である「貪愛、憎悪、誤謬」を放っておいてはいけません。汚れた心意に注意を払わず放っておくことは脅威であると確信し、遊ばず怠けず注意深くあり、徳行に努め励みなさいと説いているのでしょう。

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