第15章 安楽
恨みある人々のなかで恨みなく暮らそう。恨みのある者のなかで恨みのない者として本当に(幸せな)安らぎのなかで生きよう。
悩みある人々のなかで悩みなく暮らそう。悩みある者のなかで悩みのない者として本当に(幸せな)安らぎのなかで生きよう。
貪りある人々のなかで貪りなく暮らそう。貪りある者のなかで貪りのない者として本当に(幸せな)安らぎのなかで生きよう。
天の神々のように(離欲の)喜びを糧とする者でいよう。私たちは「(欲するものは)何もない」という本当に(幸せな)安らぎのなかで生きよう。
勝者は恨みを生みだし、敗者は苦しみのなかで暮らす。寂静な者は、勝利と敗北(への関心)を捨てて安らぎのなかで暮らす。
貪愛に等しい炎はなく、憎悪に等しい災難はない。世界※(に執着すること)に等しい苦しみはなく、寂静に優る安らぎはない。
※ 原文は「カンダ(蘊)」。色受想行識の要素のこと。
空腹は最上の病気であり、記憶に基づいて形成される心意(である貪愛・憎悪・誤謬)は最上の苦しみである。これをそのまま理解するのなら、涅槃は最上の安らぎである。
健康は最上の利得であり、満足は最上の財産である。信頼は最上の親族であり、涅槃は最上の安らぎである。
(世俗の喧騒から)離れる味と寂静の味を飲んだのなら、恐怖も、欲望※もない者になる。真理の喜びの味を飲みながら。
※ 原文は「悪」
聖者に会うことは善いことであり、(聖者と)共に暮らすことは常に安らぎである。愚かな者に会わないことによって、常に安らいだ者になるであろう。
愚かな者と共に歩むことは、長期の悲しみである。愚かな者と共に暮らすことは、常に敵といるかのように苦しみである。しかし賢い者と共に暮らすことは、親族の集いのように安らぎである。
そうであるからこそ、賢い者、智慧のある者、(真理を)多く聞いた者、忍耐する習慣のある者、徳行を守る聖者。そのような善人、賢者に従え。月が星の軌道に従うように。
「安楽」と題されているように、ブッダが説いた言葉の中から「安楽(幸福)に関するもの」を主に取り上げています。
幸福とは、欲望で渦巻く喧噪の中にはあり得ず、静寂の中に初めからあるものです。静寂の中に元々ある安楽は本物の幸福であり、苦痛の反動として喧噪の中に生まれる快楽は偽物の幸福です。快楽と苦痛に執着すること(貪愛・憎悪)は最上の苦しみです。苦痛を避け、快楽を求めて喧噪の中に溺れることから離れ、本物の幸福を求めて静寂の中に沈んでいくのなら、静寂を超えた静寂、安楽を超えた安楽である涅槃に至ります。それだから、その本物の幸福に至る軌道へ導いてくれる尊い者、尊い教えに従いなさいと説いているのでしょう。