食事について

心と身体を一から習う

多くの人にとって、食事は生活の基盤となっていることでしょう。それだけに何を食べるか? そしてどのように食べるか? は、その人の信念を如実に反映しているといえます。さて、食と人の間には、どのような関係があるのでしょうか(?_?)

身体君が喜ぶ食べ方って(・_・?

マスメディアなどからの情報で、あれを食べた方が(身体君に)いい、あれは食べない方がいい。朝はしっかり食べた方がいい、いや食べない方がいい。腹八分目がいい……。
新しい情報がアッチコッチ飛び交う度にアッチコッチ右往左往するのはナンセンスです。

では、何を、どう食べるのが身体君によくて、身体君を喜ばせることができるのでしょうか?

  • 何を食べたらいいのか? それは身体君が知っています。
  • いつ食べたらいいのか? それも身体君が知っています。
  • どれだけ食べたらいいのか? それも……。

身体君の知恵は完璧です。一方、頭の知恵などは高が知れているのです。身体君の欲するままに、

  • 美味しいと感じる物を = 食べたいものを
  • 美味しいと感じるとき = お腹が空いているとき
  • 美味しいと感じるだけ = お腹が満たされるまで

それでいいのではないでしょうか(^_^)

人にとって自然な行為(^_^)

身体君が欲することをする。それが、人の営みの基本ではないでしょうか。
運動した方がいいから運動するのではなく、運動したいから運動する。運動することが気持ちいいから運動する。歌いたいから歌う。踊りたいから踊る。喋りたいから喋る。
「~した方がいい」は頭の知恵(思考君)の判断です。一方「~したい」は身体君にとって気持ちいいこと。
食べた方がいいから食べるのではなく、食べたいから食べる。美味しいから食べる。それが理(身体君)にかなった自然な食べ方といえるでしょう。

そんな簡単なことやってきたって(・_・!?

不自然な習慣(*_*)

子供の頃に、「好き嫌いをせずに何でもよく食べなさい」なんて言われて育ってきた人、いるのでは? 風邪を引いて食欲がないときに、体力をつけるために食べなきゃと食べたりは? お昼ご飯を作り過ぎて、苦しいのに食べたりは? お腹が空いてないときなのに、いつもの時間が来れば夕ご飯を食べたりは?
お腹が空いてないときでも、食べているときってけっこうあります。それは身体君より思考君の知恵に頼る習慣のためでしょう。そうかといって、現代社会で生きる私たちには、頭の知恵の方も大いに生かす必要がありそうです。

それは多種多様、不自然な食品が出回っているからです。

自然から考える(・_・!

まず、人という生物にとって何を食べるのが自然か? といえば、「美味しいと感じるもの」。それにつきます。ですが条件付きです。「自然な状態で、美味しいと感じるもの」。
加工した食品が横行している現代では、「美味しいと感じる物」だけでは、答えにならないのです。答えは、「何の手も加えていないそのままの状態(調理も味付けもなし)で食べて美味しいと感じるもの」。限られ過ぎですが……。
そして自分が住んでいる土地で育ったもの、その季節に育っているものが自然といえるでしょう。それに加えて、自分の先祖が食べて来たものといえるかも。きっと長い間食べてきたものに、身体君が慣れていると思うからです。

それらを食べるのが、人にとって自然といえるでしょう。

身体君に任せちゃおう(^_^)v

人にとって「何を食べるか?」だけではなく「どんな思いで食べるか?」は、大切な要素です。
たとえば、スイーツを食べた後……ああ~っ、また食べてしまった、太る~(;_;)なんて不安な思いは身体君に直接影響を与えます。思考君の力は正直スゴイのです!
だからどんなものであれ、食べたくて食べたのなら、「美味しかったーっ! ちょっと負担掛けるかもしれないけど、後のことはよろしく」と身体君に任せちゃおう(^_^)v

食事に対する認識を換えると(・_・?

また、生活の基盤ともいえる食事に対する考え方の変換は、生きることそのものに大きな影響を与えることでしょう。それだけ換えがたいともいえるし、換わったときの現状の変化は大きなものとなるといえます。
たとえば、食べる物に対して感謝の気持ちを持つことで、生活自体にも感謝の気持ちを持つ習慣が生まれます。

思考君を止める ― 欲から自由になるの法

その6 ― 認識を換えるの術

認識変換 ― 感謝の奥義2 ― お蔭の認識に換えるの術

「ある対象のお蔭で自分は成り立っている」と認識し直すことで、感謝できるようにすることです。お蔭であることに気付くと、感謝の気持ちが湧き上がるのです。

何もかもすべては、大自然の働きが生み出しているのであり、多くの人や物、事のつながりの中で、与えられているからこそ、今の自分が生きているのは確かなこと。そんな事実に気付けば、たくさんのことに、お蔭だな~、お蔭なのだな~、ありがたいな~、なんて気持ちが湧いてくるはず。

もちろん食べるものも、大自然の働きと多くの人を通して食卓に運ばれているのです(^_^)

当たり前にしていることをしなかったらの術

自分がしていることをしなかったら? を実践してみることです。

テレビを観ることを、携帯電話を使うことをやめる。布団の上で寝ることを、通勤に車や電車を使うことを、コンビニで買い物することを、水道水を使うことをやめる。人と話すことを、ご飯を食べることをやめる……。

当たり前にしていたことをしなかったら? と想像するよりも、実際にやめてみることで、それらのお蔭で生活できていたことを、より実感できますから、その当たり前のものは、ありがたいものに換わりやすいでしょう(^_^)

ちなみに、断食(一定期間食べることをやめる)をすることは、身体君の調整や、習慣のリセットなどにもなります。

断食は指導者のもとで行いましょう。


―― お腹が空いた?

じゃあ、食べものと、食べものを食卓までつなげてきたお蔭様に感謝して、そして安心して、

いっただっきま~~~す(^O^)


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