自愛について1

心と身体を一から習う

自分のことが大好きで、自分のことを大切にすること。それは人が楽しく幸せを感じて生きるうえで決して欠かすことのできない必要条件といえるでしょう。ということで……「自分のことが嫌い」は、なくしてしまいましょうか(^_^)

何かを嫌うと不幸を招く(*_*?

私の状況思考君の状況」の中にある対象を嫌うという感情が起こるということは、それに対して気分が悪くなるということであり、気分を悪くするという反応が起きるということは、思考君が空回りしているということです。

気分が悪いところに「思考君の空回り」あり(・_・!

主人が観ていないときに(無意識)、思考君は勝手に走り回っています。そして思考君が自動反応を起こすということは起こして気分が悪くなるということは、それに対して解決できない不安・不満を持っているということであり、解決できないと思っている自分や周囲の人々の体格や性格などを「どげんかせんといかん!」と空回りしているのです。

何度も言うのじゃが、意識はただ在るだけであり、思考をコントロールする権限を持ってはおらぬのじゃ。故に意識が観ていようが観ていまいが、思考は自動的に反応するものじゃ。


意識的に思考をコントロールしておるのもまた思考だと言うておるのじゃ。この様な意識と思考の混同、同一化を解く事こそが、ヨガの目的なのじゃ。

♨ 2020/03/04

何かを嫌うと「思考君の空回り」が生まれ、そして不幸を感じる(*_*?

そうではなく……「思考君の空回り」が働くから、何かを嫌いになるのです(・_・!

気分をよくする自分(^_^)( -_- )悪くする自分

この「思考君の空回り」を止めるにはどうするか?

―― 周りが気分を悪くするようなことをしなければ?

いやいや(^_^; 周りの方ではなく、自分がどうするのかを考えてみましょう。そもそもこの世の中には気分をよくさせる人や悪くさせる人がいるわけではないのですから。そうそう、すべてはゼロなのです(^_^!
たとえば、私とかかわったときに、ある人は気分をよくするでしょうし、ある人は特に気分に変化がないかもしれません。まぁ気分を悪くする人もいることでしょうね;^_^A

と、いうことで、私はある人にとっては気分をよくする人であり、ある人にとっては気分を悪くする人であるわけです。しかしながらお分かりのように、私は気分をよくする人に変身したり、悪くする人に変身したりと、変身のできる仮面ライダーでは、残念ながら? ありません。
つまり、私とかかわって気分をよくするのも悪くするのも、私に原因があるわけではなく、ひとえにその人の思考君が私に対してどう反応するかによるわけです。

気分をよくする自分、悪くする自分がいるだけなのだということです(・_・!

―― いーやっ、うちの旦那は私の気分を悪くさせる!?

ですから〜旦那さんの言葉君や行為のせいではなく……。

経験に基づく気分の変化(・_*)

ではでは、同じ対象にもかかわらず、どうして気分がよくなる人もいれば、悪くなる人もいるのでしょう?

ロボットのところでお話ししたように、人は、

  1. 情報を受ける
  2. 経験した情報と比較し分析する
  3. 認識する
  4. 反応(評価判断など)する

ですから経験が違えば当然、経験した情報が違いますから認識も反応(気分)も当然変わってくるのです。

では次に、人が「自動車」を見るとき、それぞれどのように認識し反応するのか見てみましょう。

自動車に対する知識がある人

A君:

その自動車が愛用のマイカーと同じ車種であれば、それも認識し「趣味が合いますね〜」と批評したり、色違いであれば「その色選ぶか〜」と批評したり。

B君:

自動車に詳しい人であれば、車種やエンジンタイプまでも認識し、好みの車種であれば「私も乗りたい」と羨ましがったり、「エンジン音がたまらない」と浸ったり。

C君:

制限速度を大幅に超えていると認識した人であれば、「危ないな!!」と批評したり、「120キロは出てるな〜」と推測したり、「抜かれた〜」と嘆いたり。

自動車に対する知識がまったくない人

D君:

「見たことのない動物」と認識する。

E君:

「神の乗り物」と認識する。

F君:

「???」と認識できないものと認識する。

反応としては、物珍しそうに見入ったり、拝んだり、緊張したり、逃げたり追いかけたり。

もちろん、ABCの3人は自動車を自動車だと認識し、DEFの3人は自動車を自動車だと認識していません。

このように、その場の状況を今までに得た情報と比較して、各人オリジナルの認識に基づいて様々な反応をするのです。これは同じ情報を受けても、誰一人として同じ認識を持っていないということでもあります。
それぞれが自分の脳の中の世界を認識しており、すべての認識は自分の世界とのかかわりの中にあるのです。

つまり、認識が換わるとは、自分の世界そのものが換わるということなのです(・_・!

そうじゃ。世界とは自他の関係性の主観的認識なのじゃ。これまでの話通り、自我とは自他の関係性により成り立っておる故に、世界とは自我の反映であり、自我の数だけ世界は有る訳じゃ。


そして主観的世界とは、個人的妄想世界に他ならず、逆に言うなら個人的妄想世界以外に「世界」などと呼べる何かは存在しておらぬのじゃ。


自我と世界は共に現れ、共に消え去るのじゃ。

♨ 2020/03/04

ということで、どうして好き・嫌いの感情が湧き上がるのかも、経験からの認識によるのですが……。

しかし……(・_・!

たとえ「自分のことが好き」と言える人でも、どこかしら嫌いな部分があるはずです。好きがあれば、嫌いがある。それが法則だからです。
つまり、「自分のことが嫌い」をなくすには、

好き・嫌いを超越する必要があるのです(・_・!

実はそれが、「自分を愛する」ということなのです。
ではそれを、次のレッスンで(^_^)/


次のレッスン

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