感謝について2

心と身体を一から習う

人が幸せになることは、何かを手に入れることではありませんね。今に満足し感謝できる人こそ幸せな人ですね。感謝が満足で、満足が感謝? 感謝で幸福、幸福で感謝? 幸福で満足、満足で幸福? ♪ややこしや~♪ややこしや~(^_^)

思考君を止める ― 欲から自由になるの法

前回のレッスンの続きです。

その6 ― 認識を換えるの術

認識変換 ― 感謝の奥義1 ― 知足の認識に換えるの術

3.世界が相対的でなかったらの術

相対的なこの世界が相対的でなかったら? と想像することです。

暑いがなければ、寒いもなく。高いがなければ、低いもなく。速いがなければ、遅いもなく。悲しいがなければ、嬉しいもなく。悪がなければ、善もなく……。
もしも世界が赤一色であれば、赤を赤と認識できず。もしも世界のすべてが光であれば、自分が光であることを認識できず。そして、もしも身体君に死がなければ生を、苦しみがなければ喜びを、人は認識することができず。

そうじゃ。記憶に依存した心の世界とは相対的じゃ。しかしながら、悲しいがなければ嬉しいもないという事実が、愚かな思考にはなかなか理解出来ぬ故に、嬉しいのみを獲得し、悲しいのみを排除しようと走り続けるのじゃ。


もしも思考が、「嬉しい」という快楽を求める事は、「悲しい」という苦痛を求めておる事に等しいという事実を明確に理解したならば、どうして嬉しいを獲得しようと、或いは悲しいを排除しようと走り続ける事が出来るじゃろうか?

♨ 2020/02/20

このように考えると、人は深~いところでは、この世界で、悲しみ、苦しみ、喜び、楽しみ……すべてを体験したいという根源的な欲求があると解釈することができます。すると感謝できないものはなくなる!?

そんなこといわれても……なかなか感謝できません! という不幸者がまだいる(^_^?

4.「ありがたい」と言っちゃうの術

すべては「ゼロ」であり、感謝できるもできないも解釈の仕方次第なのですが、解釈を与え直す前に、何が起ろうと、どんな人がいようと、「ありがたい!」と言っちゃいます。

すると……(☆_☆)

なんと!! 感謝することになる解釈が、後から付いてくるのです(・O・!

思考君は不満を探し、それを解決するのが大切な任務。放っておくと日常で注意が向くのは不満な面ばかりになります。そんな対象に言っちゃう遊びは超お勧めです。

―― 早朝に鳴き出したハトに、口うるさいお母さんに、電車で隣り合わせになった見知らぬオジサンに、厳格な上司に、何時だろうかと見た時計に、いきなり割り込んできた運転手に、自分が色々と悩んでいることに、慣れきった日常に、ふと見上げた空に ―― 言っちゃう。

思考君はなかなか優秀でして、何がありがたいのかその理由を屁理屈だろうが何だろうが探し出してくるので、よくまぁそんな答えを見つけて来たな~って感心したり笑えたりと楽しいです。

そして本当にありがたいと思っている自分がいるのです。

ちなみに、「ありがたい」のほかにも「素晴らしい!」「嬉しい!」「「得した!」「ラッキー!」など、言葉君にした面に注意が向き、その答えを見つけ出してくれます(^_^)

5.「ありがとうございます」を唱え続けるの術

「ありがとうございます」を言い続けるだけです。これがまた単純明快! なおかつ強力なプログラム書き換えの技術。

思考君による△サイクルを作り上げる。

  1. 「ありがとうございます」を唱え続ける
  2. 満足気分を生み出す
  3. 潜在意識に入れ続ける

→ また、「ありがとうございます」を言うことになる。


単純に言えば、感謝することが習慣になるということです。

今までに固まっていた不平不満の思考回路を少しずつ少しずつ溶かしていくでしょう。

思考君が静まると、身体君が快調に働く(^_^)

不平不満なことがあると、それを解決しようとアレコレ勝手に走りだすのは、他ならぬ思考君でしたね。
すると身体君の方は、戦いに備えるかのように緊急態勢、興奮状態をつくる交感神経を活発にし、全身の筋肉を収縮させ、呼吸を浅くし、内臓への血液量を減らす……。

これは身体君の正常な働きなのですが、しかし、思考君がず~~~っと走りっぱなしだと、リラックスするための副交感神経はいるまでも働くことができず、身体君は休憩をすることができない。そのため段々と元気がなくなってきてしまうのです(*_*)

末期ガン患者でも「ありがとうございます」を一日に何千回と唱えると、ガンが消えたという話もあるほどですから、思考君が止まり、身体君が快調に働いていれば、人の生命力はすごい(^O^!!

感謝ができると思い出すもの……「愛」(^_^)

人は、感謝ができる対象に対して、何かをしてあげたい、喜ばせてあげたい、幸せにしてあげたい……「あげたい」という気持ちが自分の中にあることに気付きます。
「あげる」と「欲しい」は、思考君の流れの向きが反対です。
感謝できることは、満足するという「欲(欲しい)」のない状態であり、エゴから来る思考君の働きをストップさせることになるのです。

そして……(^_^)

そこにあるものこそ「愛(あげる)」であるということです(^_^)

愛することは何も求めることなく、あげる、与えるということ(^_^)
それは、十分に与えられ、受け取っていることのお礼に、お返しをするということ(^_^)

いつでも「どうも~ m( _ _ )m
いつでも「ありがとう~ \(^O^)/


―― その度に欲は消滅し 愛 を取り戻していく ――


誰かや何かを愛するとき、人は幸福感を感じるものです。

そうじゃ。逆に誰かや何かを憎む時、人は悪い気分を感じるのじゃ。故にイエス・キリストは「あなたに手向かう敵を愛し、あなたを傷付ける仇に祈りなさい」などと説いたと伝わるのじゃ。


それもまた、苦痛を排除しようと走り続ける思考を止める方法なのじゃ。思考が止まる時、そこには静寂平安なる"いい気分"があるのじゃ。

♨ 2020/02/20

幸福感の根源は「愛」なんでしょう。愛することは人が存在する上で、本質的なことであると感じませんか?

感謝、感謝で、ありがとう\(^O^)/


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