思考について4

心と身体を一から習う

いつでも「気分爽快\(^O^)/と生活できるとサイコーッ\(^O^)/ですよね。しかし酷いストレスを感じない日々を送っているからといって、いつでも気分を爽快に保つのには、それなりの「工夫」が必要ですよ(・_・!

主人の知らぬ間に気分が……(*_*)

―― 赤いりんご ―― の文字を見て認識したのなら最後……赤いりんごを思い浮かべます。 思考君はいつだって、注意が向いているところを走っています。思考君はすなお~に走りだします(^_^)

腰が痛ければ、注意はそこに向きやすいですし、たとえ自分に関係のないことでもテレビやラジオからはいろいろな情報が流れています。街に一歩踏み出せば、そこは情報の嵐といえます。
思考君はそれらの中で自分の気になるところに注意を向け、アレコレアレコレと走りだします。もちろん気分をよくしよう、欲を満たそう、とです。
主人が観ていない間に、せっせと働いています。

すると知らぬ間に、いや~な気分になっている(*_*!

自分まで気分を悪くしないで(・_・!

テレビなどのメディアからの情報は自分とはいっさい関係ない、と「諦めるの術」を使える人はそういないでしょう。
たとえば、何らかの事件が報道されたなら、被害者が悲しんでいるのを見て、自分まで悲しくなるでしょう。「正義欲のある人」は加害者に対して怒りが生まれるかもしれません。または世の中に対して不平不満や愚痴をこぼす人もいるでしょう。

でも……

「真実は、被害者と加害者だけの問題です……」

と言っても意味が分からないどころか、「なんて思いやりのないことを!」と怒られそうですけど(^_^;

真実とは何じゃろうか? 『被害者』と『加害者』もまたそれを認識する心中にのみ現れる想像であるという事なのじゃ。即ち、個人が外側に存在すると思い込んでおる世界もまた、個人的な心象から成る自分勝手な想像に過ぎぬのじゃ。


故に『被害者』も『加害者』も、無論『問題』も存在せぬというのが実際の事実であり、真実なのじゃ。

♨ 2020/02/17

気分を悪くしないでくださいね。とにかく……。自分まで気分を悪くすることはないですよ。ということです。

思考君を止める ― 欲から自由になるの法

その3 ― 放置するの術

放置の奥義3 ― 表現を観るの術

「欲」は放っておいて、解決しようと走っている思考君を、表現を観察することで止める事です。

アッチコッチと注意が向かう生活の中で、思考君は素直に次々次々と「思う、考える」ことを続けていきます。勝手に走らせているから知らぬ間に気分が悪くなるのですから、思考君の超高速な走りを観察しておけばいいのです。

しかしこれが、なっかなか難しいのです(*_*!
そこで呼吸・姿勢・動作・表情……などの「表現」に注意を向けておきます。思考君の勝手な働きに気付くには、思考君そのものを観察するより「感覚」をともなった表現の方が観察しやすいのです。
意識的に表現に注意を向ける度に思考君は「表現する場」で走ることになりますから、「思考の場」でのそれまでの快調な走りにストップ! 一時停止! がかかります。走っては止まり、また走っては止まり、と途切れとぎれ。思考君は走り続けることができなくなります。

やがて徐々に「思考の場」で勝手に走りだす思考君を観察することにつながり、思考君の働き方も知ることになり、思考君をコントロールすることにつながってもいくのです。

似たもの△サイクル(三角^_^循環)

「ど~んより表現」のときに、「ニコニコ表現」や「ワクワク表現」になるような思考君は、走ることができません。
つまり「ニコニコ思考君」や「ワクワク思考君」は走れず、「ど~んより思考君」だけが走れるということです

つまり、

  1. ど~んより表現が
  2. ど~んより気分を生み
  3. ど~んより思考君が走る

「ど~んより△サイクル」のできあがり。気分が悪いときは、気分が悪くなるような考えしか浮かばなくなるのです。テンションがハイなときには「ウキウキ△サイクル」の天下になります(^O^)v

チリンチリンッ。似たもの同士がサイクリング!!

―― って自転車の話じゃない?

どっちも同じ! どんなものであっても、似たもの同士が惹かれ合い、そして連鎖を引き起こして、サイクルを生み出しますからv(^O^)v

思考君を活用しよう(^O^)/

夢や希望、願望などの「欲」があることには何の問題もないでしょう。それどころか、それを叶えることこそ人生の大きな楽しみといえるのではないでしょうか。

それは思考君によって実現する(・_・!

ただ、欲を満たさなくても、人は初めから幸せであることもお忘れな~く☆

そうではないのじゃ。仮にもし人が初めから幸せであるならば、一体何を欲しがり、何を望むと言うのじゃろうか? 無論、何も望みはせぬ。
即ち、何かしらの「欲」が有るという事それ自体の中に、「私は満たされていない、私は不幸である」という信念が内包されておるのじゃ。


名前と色形を持つ"人"が初めから幸せなのではない。名前と色形を持たぬ"自己(真我)"が初めから幸せなのじゃ。名前と色形から成る世界に浮かぶ"私"は不幸の原因そのものなのじゃ。

♨ 2020/02/17

もちろん、思考することが人にとってすべてではないでしょう。でもこの宇宙で信頼できるお友達(^_^)
頭の中を整理整頓し、勝手に走り回るお友達(思考君)に使われず、意識的に活用しましょう(^O^)/

そうすれば人は幸せの中で遊び(人生)を、より楽しむことができるのではないでしょうか\(^O^)/


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