思考について3

心と身体を一から習う

人は「思う、考える」のほかにも、思考君を使っていることがあるのです。それは「表現」です。思考君は、呼吸・姿勢……など表現の司令塔です。身体君を使って表現にもドンドン思考君を使えば、毎日は、オッ・ハッピー\(^O^)/

思考君は表現に無関心(・_・?

表現のコントロールも思考君の大切な働きです(逆に、思考君の働きの方が表現の1つといえるかもしれませんが)。
思考君の働きが、いつもいつも「思う、考える」ことばかりだと呼吸は浅くなり、姿勢は歪み、全身の筋肉は硬くなり表情もこわばる……気分が(*_*)

そうかといって、表現をコントロールすることに関して、思考君は普段、なかなか積極的に働きません。思考君は「思考君自身が注意を向けているところ(気になるところ)を走る」という素直な働きがあることと関係があるようです。

どうして表現に無関心なの(・_・?

表現を無意識化する

人は一度に1つのことにしか意識を向けることができないでしょう。だから なぜなら、すべての表現を意識していると効率がよくないどころか、生きることさえもままなりません ならないからです。歩くときに手や足の運び方、重心の移動の仕方など、すべてをいちいち意識しているわけにはいかないのです。
そこで、経験を積んだことは主人い知らせずに働くようになります。人のすごい働き「無意識化」です。

でもこの素晴らしい働きにより、思考君はいちいち表現に関心を持たなくなる(*_*)といえそうです。

五官の働きは、注意を外に向ける

眼耳鼻舌身の5つの感覚器官は、外側からの情報を受け取るのが仕事です。
思考君は五官から情報を受け取ると、処理し、認識するという作業をします。これは思考君の注意が外側に向くことです。思考君はそこで走ります。

でもこの素晴らしい働きにより、思考君は内側からの表現には無関心になりやすい(*_*)といえそうです。

注意の向きは思考君の認識による

何に注意を向けているかは、思考君の「認識」によって変わってきます。それぞれが「もっと特になること」や「より損をしないこと」などと認識していることに注意は向きますから、そこで思考君は走っています。

だから思考君が「表現を意識したところで得することがない」と認識している以上は、欲を満たそうとする素直な思考君が、表現に関心を示すことは……ない(*_*)といえそうです。

このような理由があり、思考君は表現に無関心になるといえるでしょうか。

では、どうすれば思考君が表現に関心を持つようになり、いい気分できることができるのでしょう(・_・?

表現に対する認識を換える(・_・!

「思考君による表現の無意識化」や「五官の働き」はそのままでOKです。何とも素晴らしい働きです。
「表現に対する認識」が換われば、思考君は表現の場で素直に走り始めます。

たとえば……

Before

「表現が気分を生み出していることを知らない」「何か特別なことがないと気分はよくならない」などと認識していると、もちろん思考君が表現の場で走ることはありません。

After

「気分から表現が変わるだけじゃなく、表現から気分が変わるのか。今まで表現に気を配ってこなかったからこそ、気分を悪くしていたのか。表現次第で気分はどうとでもなるんだな」と認識が換わると、思考君は表現の場で走り始めます。

このように、人は認識次第でレース(欲)が換わるのです。思考君はいつだって身体君(自分)の欲を満たすために走っているのですから(・_・!

前々回で説明しておるにも関わらず、身体の欲と、思考自身の欲を混同しておるのじゃ。


無論、思考は身体を自分自身であり、自分自身のものであると認識しておる。じゃが、思考は快楽を得る、或いは苦痛を避けるという自分の欲のために、身体の欲に反する事さえも為し得るのじゃ。

♨ 2020/02/16

追記:2020/02/16

  • 身体の欲 → 生理的な肉体的欲求
  • 自分の欲 → 心理的な精神的欲求

思考君を止める ― 欲から自由になるの法

その3 ― 放置するの術

放置の奥義2 ― 表現を換えるの術

「欲」は放っておいて、解決しようと走っている思考君を、表現を換えることで止める事です。

たとえば、「ニコニコ表現」をしながら……「そんなにも気になるレースなら、どうぞお好きに」と思考君に言って聞かせます。

するとすると思考君はうっかり勘違い(@_@)

「何だ何だ。心配していたけれど、大したレース(問題)じゃなかったんだ。じゃあもうや〜めた〜(^_^)

問題ないと認識すると、思考君は勝手に走ることはもうありません。思考君は深刻でなくなった問題については考えなくなってしまうのです。

気分がいいときには何をやっても気分がいい(^_^)

他の術と違う点は、思考君を使って「思考君」をコントロールするのではなく「表現」の方をコントロールすることにより考えることから自由になるところ。

考えたいのならどうぞ。でも……残念ながら、既に深刻な問題はそこにはありませんのでご注意を(・_・!


元々深刻な問題はどこにもありませんね(^_^)
あるのは欲であり認識であり、そして表現! つづく!


お地蔵さん

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