はじめに

ヨガ!?

ここは、ヨガを習う空間です

はじめまして、思考君です。ここは、初心者から上級者まで、ヨガを一から習う空間です。

ヨガを一から習うと言っても、ヨガの歴史や経典、専門用語などについて詳しく語ることはありません。そのような"知識"を求めているような人に向いた場ではありません。

ここでヨガを習うことに向いている人は、「私」から苦しみを取り除きたいと本気で思っている人、あるいは「私」とは何なのかを本気で知りたいと思っている人といえるでしょう。

1.ヨガの実践とは?

① はじめの一歩

お金、地位、名誉、人気、権力、家庭、健康、美容、若さ……

人は誰もみな、何かを持つことに頑張り、何かを為すことに頑張り、何かに成ろうと頑張るものです。

まずは、自分はどうしてこうも頑張っているのか? その理由を自覚することが大切です。

人が頑張る理由は何でしょうか?

その理由は、私から苦しみを取り除きたいからです。

この最重要事項である基本事実を自覚すること。

それがヨガ実践の「はじめの一歩」です。

離欲りよく

頑張っている人とは、「私が苦しい原因は、○○を持っていないからだ、〇〇を為してないからだ、〇〇に成っていないからだ」などと判断しているということです。

この判断が誤りです。

私が苦しい原因は、何かを持っていないからでも、何かを為していないからでも、何かに成っていないからでもありません。

そもそも、変化の世界においては絶頂の瞬間から衰退へと向かい始めるのであり、一瞬でも持続するような何かはありません。

変化の世界のなかでは、私から苦痛を取り除くことはできません。

原因と結果に対する基本事実を理解すること。この基本事実を理解すれば世界と呼ばれる外的対象への無関心である離欲が起こります。

離欲。それがヨガ実践の「正道」です。

修習しゅうじゅう

私が苦しい本当の原因は何でしょう?

それは「私」を「変化するもの」と見誤っていることであり、つまり「私」とは何なのかを知らないことです。

仮に、「私は身体である」などと判断したなら、私は生まれ、老い、病み、やがて死ぬという苦しみを免れることも、その他の苦しみを免れることもできないのです。

逆に、「私は身体ではない」などと自覚したなら、私は生まれず、老いず、病まず、死なず、様々な苦しみを経験することもできないのです。

私は何なのか? あるいは何ではないのか? という基本事実を自覚するそのために、「私」という感覚である内的主体に注意を向けておくことを修習と呼びます。

修習。それがヨガ実践の「正道」です。

2.ヨガの目的とは?

つまりヨガとは、私から苦しみを取り除く方法であり、苦しみを取り除くことのできない物事から関心を離す「離欲」の実践であり、私とは何なのかを見破るための「修習」の実践です。

ヨガの目的は、「私は身体である」「私は心である」などと、「私は変化する何かしらの対象であり、私は名前と形体を伴った何かである」などという誤った心の作用を止滅させることにあります。

この目的を見失った何かを「ヨガ」と呼ぶべきではありません。

壮美な体位を修得しようが、瞑想しようが、健康になろうが、300年生きようが、空中に浮遊しようが、この目的を見失っているのなら、私から苦しみを取り除くことはできません。

私から苦しみを取り除くこと。それがヨガの目的です。

3.ヨガ空間の役割

苦しみたくないと願いつつも、無意識的に自ら苦しむことを選択し続けるのが、世俗に住まう人々です。

この苦しみの連鎖から抜け出したいと心底願う稀有な人は、本当の「ヨガ」に出会い、その教えを学び、熟考し、理解し、人生で苦しみを選択することを止めていく離欲と 、「私」に留まる修習に邁進するでしょう。

ここは、離欲と修習を実践しうる「能力」を育むための空間です。

つまり、離欲と修習を実践しうる「関心=欲望」を育むための空間です。

  1. どれだけ私を苦しめている外的対象への関心を離れることができるか?
  2. どれだけ私を知るための指針である内的主体に関心を向けることができるか?

関心を外側から内側に向けること。それがヨガ空間の役割です。